「都会……怖い。王都がこんなに幽霊だらけの場所だなんて、想像もしていませんでした……」
ギリアラード王都の豪華な宮殿の一室で、私は護符を震える手で強く握りしめた。
王都に来てからというもの、視える幽霊の数に圧倒されっぱなしだった。
スタラートは田舎だけあって、悪意が少なかったんだな……。
正直王都なんて子供の時におじい様が叙勲される時に来た以来だ。
確かに幽霊は居た気がするけれど、その時はお友達ができて楽しかった記憶が圧倒的であんまり覚えていない。
まさかこんな所だったとは。帰りたい。
隣でエラルド王子がおかしそうに笑い声をあげ、そっと私の肩に手を置いた。
すっと顔を近づけ、甘い声で囁く。
「何が怖いんだ、ネラリア。私が一緒に居るだろう? 安心していいよ」
「都会も怖いですが、エラルド王子が一番怖いです! あなたがこの国で一番幽霊に憑かれてます!!!」
肩に置かれた手を払い、思わず私は叫んだ。
そのままさっと距離をとる。
エラルド王子はこの国の第三王子であり、絵師がこぞって描きたがるほどの美形である。
甘い声に美しい笑顔。優雅な所作は誰でも恋に落ちてしまうと噂されている。
しかし、私にはその姿は霊に覆われてもやもやと霞んで見える。
無駄に整った顔で微笑まれても、もやもやが多すぎて恋に落ちる所ではない。はっきり言って、怖い。
「そうなのかな」
「そうです。後ろにずらっといますよ……それに強い女性の幽霊がいて、なんだかエラルド王子自体がもやもや見えてます」
……視えて祓えるから祓い師なんだけど、視えるのはやっぱり怖すぎる。恐怖に足がすくむのを、必死でごまかす。
「君に私の顔がはっきり見えていないのは残念だ」
「それは問題ありません。問題は多すぎる幽霊です」
「君は祓い師なんだし、私には無害なんだから、別にいくら憑かれたって関係ないだろう?」
「私にはなくてもエラルド王子にはあります! それに幽霊は無害じゃありません」
「なら、スタラートで一番の祓い師と呼ばれるネラリアが祓ってくれれば、問題は解決だね。君の事を怖がらせるのは当然本意じゃないから、私も君の為に努力するよ」
「甘い声で言ったって駄目です! 不感症王子!」
「そんな悪口を言うのはネラリアだけだな」
エラルド王子は私の不敬に、ただ嬉しそうに微笑んだ。
多分、エラルド王子は田舎者が珍しいのだろう。相手は王子だから、と何とか不敬にならないようにしたいと思っているのに、からかわれると素が出てしまう。
ううう、不感症王子はふざけているタイプの人間だ……。
でも、こんなに憑いているのに、エラルド王子が何も感じないのは本当にすごい。
「皆、気味悪がってます。親しくなる女性が皆幽霊を見るようになるって」
「それを言わせないだけの権力が私にはある」
「呪われ王子って呼ばれてますよ」
「強そうじゃないか」
「引く手あまたな好条件でしかない殿下に一向に女性が寄ってきていません」
そうなのだ。
本人に影響がなくても、この量の幽霊が居て何の問題も起きないはずがない。
地位も能力も見た目も所作も、何もかもが完璧なエラルド王子が、成人を迎えてまだ婚約者が決まっていない。
どう考えても、おかしい。
こんな優良物件を逃してなるものか、幽霊ぐらい大丈夫だと言っていた女性が、王子が親しくなった最後の女性らしい。
彼女は部屋に引きこもり、社交界からは離れたいと言っているようだ。
エラルド王子とはもう会いたくない、と。
今では、誰もエラルド王子の婚約者に名乗りをあげようとしなくなってしまった。
これは由々しき事態だと、王都から遠く離れたスタラートに王命で祓い師が呼ばれたのだ。
それに白羽の矢が立ったのが、私だ。
「それの何が問題なんだ?」
「あなたはこの国の王子なんですよ……! 大問題です」
「王子とはいえ第三だし、どこかの領土は継ぐとは思うけれどそれだけだ」
「私みたいな片田舎に住んでいる人間にすら、エラルド王子が優れた人だという事は伝わってきているんですよ。駄目です」
「……このままにしておけば、唯一近づける君と、結婚するしかない。もちろん私はそれでもかまわない。結果は同じだからね」
エラルド王子はまっすぐに私を見て、微笑んだ。
霞んで見えるだけ良かったかもしれない。認めたくないけれど、くっきりはっきり見えたら、別の意味でドキドキしてしまうに違いないから。
私にはよく見えないから大丈夫だけど。
「……精一杯、祓います!」
エラルド王子は、何故か私みたいな祓い師にも甘い言葉をささやいてくる。でも、祓い師として育てられた私はドレスも着たことがないし貴族のような美しい所作もない。
王子の前に出るという事で化粧や髪は綺麗にしてもらったけれど、祓い師の衣装をまとった私は男か女か区別すらつかないに違いない。
それだけ王子は女性に飢えているのかもしれない。きっとそうだ。
だから私にみたいな人にも、優しい眼差しを向けてくるのだ。
……こんな状況は、凄く可哀想だ。選ぶ権利があるどころの人じゃないのに。
婚約者さえできれば、王に一番近いのは彼だと囁かれているのも知っている。
私は彼に婚約者ができるように来た、祓い師だ。
どんなに会話が楽しく、何故か彼に親しみを感じてしまっていても。
……間違えては、いけない。
*****
今日は幽霊を祓う日だ。
祓うには危険が伴う為、対象者とふたりで行うのが望ましい。けれど、相手はエラルド王子だ。そういうわけにはいかないらしい。
貴族を集め、祓いを行うと聞いた。
私は祓い師の正装を着て、薄いピンク色の長い髪をおろしている。少しでも幽霊と通じやすくなるために肌の露出は多く、宝石を身に着けている。
この衣装が不敬にならないといいけれど。
私は緊張したまま、護衛に先導され広間に通された。
王宮の中でも特に豪奢な部屋で、壁には美しいタペストリーがかけられ、周囲には豪華な調度品が並んでいる。しかし、その場の豪華さとは裏腹に、冷たい空気が漂っていた。
たくさんいる貴族らしい人々も、こちらに目を向けたものの無言だ。
「こちらです。エラルド王子がお待ちです」
護衛の言葉に促され、部屋の奥に目を向ける。
そこには、王の隣に座る、エラルド王子の姿があった。
彼の顔色は悪く、どこか物憂げな様子を見せている。彼の視線は遠くに向けられているが、その目には深い影が宿っていた。
「ネラリア……来てくれてありがとう。今日も一層に素敵だね。でも露出が多いんじゃないかな」
私に気づいた王子は、優しい笑顔を浮かべた後に、からかう言葉を口にした。
けれど、その笑顔の奥に悲しみのようなものが見えて心配になる。
「これは祓い師の正装なんですよ。普段からこれというわけにはいきませんが、幽霊と通じやすくなるのです。今日はエラルド王子を祓う日なので、正装となっています」
すぐ近くに王が居るので、言葉遣いも気を付ける。いかにエラルド王子が気安く話してくれいたかにも気が付いた。
いつものように軽口をたたかないようにしないと。
エラルド王子はさっきみたいにからかってきそうで、危ない。
「そうなのか。あまり人に見せないようにね。……実は、祓う前に見てもらいたいものがある」
軽い口調でエラルド王子が言うが、その場に緊張感が走ったのがわかった。
なんだろう。
できるだけ平静を装いながらも、その場の空気に驚きを隠せなかった。
エラルド王子は窓際の小さなテーブルに歩み寄り、その上に置かれた小箱を手に取った。その仕草は慎重で、どこか神経質な様子さえ感じられる。
箱の中には何かが入っているらしく、エラルド王子はそれを開けて見せようとはしない。
「この中に……ずっと私が大切にしているものがあるんだ。君にも見てもらいたいと思い持ってきた」
エラルド王子は憂えた様子で、そっと箱を撫でる。その瞬間後ろの幽霊がぞわりと蠢いたのを感じぞっとする。
……幽霊が、喜んでいる?
「その箱の中には、何が入っているんですか?」
聞きたくないけれど、聞かないわけにはいかない。
私の問いに、エラルド王子は少し躊躇した後、箱を慎重に開けた。
中から現れたのは、精巧に作られた小さな人形だった。金の髪に華やかなドレスをまとったその人形は、一見して普通のものに見える。
しかし、一目でそれがただの人形ではないことが感じ取れた。エラルド王子の後ろに居る幽霊のドレスと似ている。
「この人形は、エラルド王子のものなんですか?」
「ああ、母が亡くなる前に私にくれたものだ。ずっと大事にしていたんだけれど……これを手にすると、まるで何かに囁かれているような感覚がするんだ。最近はずっと触れてもいない」
エラルド王子の言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。思わず後ずさりしてしまう。
「……この人形、言いにくいのですが幽霊の元凶な気が、します」
私の言葉に、エラルド王子は頷き苦笑を浮かべた。
ここに持ってきている段階で、気が付いていたのだろう。
エラルド王子の隣に座っていた王は、諦めたようにため息をついた後、私をじっと見つめた。
「やはり、君にはわかるんだね。この人形が、彼女が、私の息子の邪魔をしているのか……」
「……残念です」
何が残念なのか、誰も言葉にはしなかった。
エラルド王子の母が、幽霊の正体だ。
周りに居る弱い幽霊たちは、彼女に引き寄せられているのだろう。きっと、生前から人を引き付ける力があったんだ。
エラルド王子は私の前に人形をもって、歩いてきた。そのまま、私はその人形を受け取った。
私に触れてほしくないのだろう。ぐっと魔力の圧がかかる。でも、私は祓い師だ。
これぐらいの圧に、負けるわけにはいかない。
「……大丈夫? 君も、他の令嬢と同じように何も感じないわけじゃないんだろう? 怖がりなのに」
「いえ、大丈夫です。……ただ、祓うとこの人形も壊れてしまうかもしれません。思い出のものなのに……ごめんなさい」
「いいんだ。私には、もっと大事にしている人形がある。それに、君が祓ってくれるなら大丈夫だと、信じている」
その言葉はとても真剣で、エラルド王子が本当にそう思っていることが伝わってきた。
「どうしてなんですか? 初めて会ったのに」
「本当に、そう思う?」
じっと目を見つめられ、正直に白状する。
「……もしかして、とは思ってました」
最初は怖くてよく見えなかったけれど、彼の後ろに居る強い幽霊にはなんとなく見覚えがあった。
これだけ強い女性の幽霊はまれだ。女性の幽霊は相手に執着しているために、基本その人から離れることもない。
おじいさまが叙勲したあの日。楽しい思い出をくれた彼は、エラルド王子だったのだ。私の告白に、エラルド王子は嬉しそうに笑った。
「良かった! もう、覚えていないんだと思っていた!」
「……でも、王族だなんて思いもしなかったです」
「私も、君が誰だかわからなかった。……でも、あの時君に会えたのは良かった」
「いえ、もっと強い祓い師だったら良かったです。あの時、おじいさまに頼んであげればよかった。あの時はそんな事、思いつきもしなかった」
「いや、大丈夫。……実を言うと、君と会いたかったんだ。あの日から、ずっと」
「え……?」
なんだかエラルド王子の言葉が甘く響いて、こんな時なのに頬がかっとなる。王もいるというのに、集中しなければ。
ぎゅっと目をつむって冷静さを取り戻そうとしている私に、ふっと笑い声が聞こえた。
目を開ければ、エラルド王子が目を細めて私を見ていた。
「いや、それは後でだな。……今は、母上を、頼む」
「お任せください」
そうだ。まずはエラルド王子を、エラルド王子のお母さまを楽にしてあげなくては。
祓い師として。
祓い師の魔法は普通のものと違う
。
祓い師独特の魔法陣に、清めた札を使う。
私は祈る気持ちで魔法陣を描き、まっすぐに幽霊を見つめる。
エラルド王子のお母さま。
血まみれで、色の失われた目でこちらをじっと見ている。憎しみのこもった魔力が、こちらに突き刺さってくる。
今は、正気を失っているように思える。通常で祓ってしまえば、彼女はすぐにでも塵になってしまう。それでは、あまりにも酷い。
息子が好きで、心配で。それで、こんな風になってしまった。
私も、エラルド王子が心配です。好きなんです。同じ気持ちです。
「清めるのは、難しいですが……次につなげることはできます。次はきっと、きっと、もっと好きな人を見守れるように……」
魔法陣に、魔力を込めた酒をかける。
魔法陣は、明るい黄色にひかり、辺りをぼんやりとした温かいもので包んでいく。
エラルド王子のお母さまにも、その光は届く。浄化の光は彼女を苦しめ始めた。周りの弱い幽霊は次々と消え去っていく。
人形も、残念ながらさらさらと塵になった。
私はじっとその様を見つめる。今だ。向けられた魔力が弱った瞬間に近寄り、私の魔力を込めて札を貼りつけた。
札にどんどん魔力を流していくと、エラルド王子のお母さまが苦しそうに手を伸ばしてくる。
私は目を離さずに、札に魔力を流し続ける。幽霊の魔力が逆流してきそうになるのを、必死で押し戻す。
これが終わったら、楽になるから……受け入れてください。
札はじわじわと溶け、エラルド王子のお母さまも一緒に溶けていく。
……そのまま、エラルド王子のお母さまは、輪廻の輪に消えていった。
「……次は、きっと大丈夫です」
祈りは届いただろうか。
エラルド王子と、きっとエラルド王子のお母さまのことが好きだった王の祈りも。
「これは……見事だ」
「ネラリアは天才と呼ばれていたギリア殿の孫ですから。ギリア殿は自分を超える能力があるだろうと言っていました」
「まさか、これほどまでとはな」
「ええ。本当に優しい、素晴らしい心のこもった祓い師です。……彼女は聖女ですよ」
「そのようだ。……エラルド、本当に良かった……。あれについては本当に、悪かった」
「大丈夫です。それよりも……」
エラルド王子と王が、祓われたのを感じたのかほっとした雰囲気で話している。
あっという間の祓いだったけれど、魔力は驚くほど消費した。頭がぼんやりとして、目がちかちかとしている。しかし、彼らにお母さまの事を伝えなくては。
私はぐっとお腹に力を入れ、二人を見つめた。
「終わりです。……お母さまは輪廻の輪に入れました。浄化はできませんでしたが、塵にもなりませんでした。……あ」
必死で説明している間に、魔力不足でぐらりと視界が揺れた。
「ネラリア! 大丈夫か」
大丈夫です、と答えようとした言葉は声にはならなかった。
そしてそのまま視界は暗くなってしまった。
*****
起きたら私は聖女になっていた。
正確には、聖女ということになっていた。
「……どうしてそんなことになってしまったんでしょうか。私は祓い師で、確かにお母さまを祓わせていただきました。聖女じゃありません」
目が覚めた時。ベッドに横たわる私を、にこにことエラルド王子が見つめていた。
そして祓いが終わった後、私は聖女として扱われることになったと伝えてきた。
全く意味が分からない。
「実際、聖女みたいなものだろう? 私の母上を輪廻の輪に戻してくれたんだ。幽霊になったものは塵になるしかないと聞いていたのに」
「……それは、おじいさまの教えのおかげです」
「ああ、ギリア殿にも感謝している。……とてもね。本当にありがとう」
目をつむって、心からお礼を告げてくれているようなエラルド王子を見て、私も嬉しくなった。私の技術が役に立てて、嬉しい。
「でも、聖女にされるのとは、違う気がするのですが……」
「母上が幽霊になってしまったというのは、あの場に居た貴族全員が知っている。母上を救ってくれた君を聖女とするのは、自然なことだ」
「祓い師じゃ駄目なんですか?」
「王都の人間は祓い師については理解がないが、逆に聖女だと言えば問題ない」
自信満々の顔で言うエラルド王子の言葉が理解できない。
私は聖女じゃない。
「私は祓い師で、聖女なんて凄い人じゃないのは、エラルド王子が一番ご存じですよね!?」
「当然、君の聖女ともいえる程に素敵なことは一番ご存じだよ。……君が好きなんだ。聖女になって、私と結婚してほしいんだ」
「えっ……け、結婚……!?」
「ああ、そうだ。私は問題がなくなったから、結婚もできるしきっと王にもなる。お買い得だと思うのだけど」
「お買い得どころじゃありません! ……ただの祓い師の私が、エラルド王子と結婚するのは無理です」
幽霊が居なくなったエラルド王子。
つまり、もう女性は近づけるということだ。
……その中で私がエラルド王子と結婚するなんてことは無理だ。祓う前からわかっていた。
それでも、祓わないなんて選択肢は選べなかった。
「そのお言葉は、本当に嬉しいです……。それだけで、私は本当に幸せです」
「大丈夫だ。聖女の君となら結婚できる。この国は案外信心深いんだ。その為に、あの場にたくさんの人間を呼んだ。君が聖女にふさわしいことを見せつける為に」
「えっ」
「君が私のものになるなら、何でもいい。聖女に祭り上げるぐらい造作もない話だ。だから、私のものになってくれネラリア」
名前を呼ばれ、そう甘く囁かれてしまえば、どうしていいかわからなくなる。
「は……祓い師が村から減ってしまうのは、おじいさまが許さないんじゃなかと」
「当然、問題ない。そんな手を打たずに私が君にプロポーズすると思っているのか?」
私の精一杯の反撃は、あっという間に流された。
「……不感症腹黒王子」
「不感症じゃないところは、これから存分に見せてあげるよ」
「!!! そういう意味じゃありません!」
私ははっきり見えるようになったエラルド王子に、すっかりドキドキとしてしまうのだった。
……こんなやりとりを嬉しいと感じてしまう私は、祓い師としてエラルド王子をずっと一生護ろうと思った。
たとえ聖女と呼ばれたとしても。
*****
ついに彼女を手に入れた。
自分でも驚く程浮かれた気持ちで、彼女の髪を撫でる。ふわりと優しい手触りに、懐かしさと喜びが込み上げてくる。
あの時、触りたかったものが、今自分の中にある。
それが、こんなにも幸福なものだとは思わなかった。いや、自分の中に幸福という感情があるということを、そもそも知らなかった。
こういう気持ちになるものなのか。
知らず微笑みながら、私は彼女と初めて会った日のことを思い出していた。
*****
「私、幽霊が見えるの。幽霊みたいなもので、影響力を持つものを、幽霊っていうの」
「……君は?」
叙勲式に参加後、私は一人裏庭に来ていた。この時間は警備の人間以外誰も居ない。
特に問題もなく王子としての役割を果たした私は、ひとりになりたくなった。
悪意も欲望も羨望も熱狂も、向けられ慣れているとはいえ人数が多すぎた。
まだすべてをやり過ごすには経験が足りなかった。
そこで出会った、不思議な衣装をまとった年下と思われる少女。赤い頬に緊張した面持ちをして、私をまっすぐに見つめた。
「私、祓い師なの。まだ見習いだけど、幽霊を祓うお仕事なのよ」
「ねえ君、震えてるけれど、大丈夫なのか?」
「……大丈夫。私、視えるのは怖いけど……でも大丈夫。幽霊が付いているなんて、驚いたでしょう? 視えなくても、あなたの方がきっとこわいだろうから、私は大丈夫なの」
残念ながら私は全く怖くなかったけれど、彼女が気丈にそういうので頷いておく。
「今、護符をつくるから待ってて。……こんなつよいものが憑いている人が、居るだなんて思わなかった……」
ぼろぼろと涙を流し、手を震わせながら、彼女は見たことのない魔法陣を展開した。
王になる為の教育として高度な魔法も習っていたが、それらとは全く違う形。
青く光り見たこともない記号が並ぶ魔法陣は、綺麗な空気をまとっているように感じる。涙をぬぐい、その涙を人形につける。
そのまま彼女は、自分が手に持っていた小さな人形にその魔法陣を定着させた。
震える手で、彼女は私の手に人形を載せてくれる。
「これは……?」
「これは護符替わり。あなたに憑いている幽霊はつよすぎて今の私じゃ祓えないの。でも、少し影響をなくすことなら、私にもできると思う。怖いと思うけど、大丈夫だよ。心配しなくて、いいんだからね」
よっぽど自分の方が怖がりながらも、護符を持つ私の手を温かな手で包んだ。
「幽霊がつくと、どうなるんだ?」
「あなたについている幽霊は一つだけじゃないけど、その中でもあなたの事が凄く好きな幽霊がいるみたい」
「私のことを好きな?」
「そう……それで、あなたの事を好きな女の子を、嫌ってる。でも、護符を身につけていればあなたに憑いている幽霊は、悪さをしにくくなる。これをどこでもいいから身に着けて」
わたしの事を見るのも怖いのか、下ばかり見ている。
薄ピンクの髪の毛が、ふわりと揺れている。そっと髪をとり、こっそりと口づける。
彼女は気が付いた素振りもない。
自分の行動に驚きつつも、私はそ知らぬふりをして彼女を心配する言葉をかける。
「君は大丈夫なのか?」
「わ、私は祓い師だから……。視えてもとりつかれたりなんてしない」
「影響はないのか?」
「うん、私は近づいても大丈夫だよ。私には何も起こらないから、安心してね。それに、これを持っていればきっと大丈夫。怖くないからね。」
ぎゅうぎゅうと握る手は必死に私に安心を伝えようとしていて、愛おしい気持ちになる。
「君は、護符がなくても大丈夫なんだな……」
「祓い師だからね! いつか大きくなったら祓ってあげる」
涙交じりでにこりと笑った顔は、本当に可愛かった。
ずっと見ていたいと思った。
でも、今はその時期じゃないともわかった。
「ありがとう。期待してる。……君は初めてできた女性の友達だね。一緒に遊んでくれるかな」
「もちろん、いいよ! 同い年位の子が居なくて寂しかったんだ。あっちに面白そうな場所があったから一緒にいこう!」
私の誘いに、彼女は飛び上がるように喜んで手を差し出した。恐怖心も吹き飛んだのか、まっすぐに私を見つめた。
彼女の目に自分が、自分だけが写る。
そろそろと彼女の手を握る。お互いの名前も名乗らずに、私達は友達になった。
驚くほど楽しい時間だった。
私は部屋に帰って、彼女が作ってくれた人形の護符を、すぐに机の上に飾った。
手作り感のある人形は、こんな所にまで連れてきていたから彼女の大事なものに違いない。もしかしたら手作りなのかもしれない。
「彼女以外寄ってこないだなんて、驚くほどに親切な幽霊じゃないか」
私は人形を見つめながら独り言ちた。自然と口角があがる。
小さいころから何でもできた。誰もが自分を褒め称えた。
周りは皆、出来が悪く見えた。
期待されそれにすべてこたえてきた自分は、欲しいものは何でも手に入った。
だから、何も欲しいとは思わなかった。
きっとこのまま、王になって、結婚して子供を持って、その子供に後を継がさせる。父が歩んだものと同じ、人生の先が既に見えていた。
……欲しいものができるなんて。
「彼女を手に入れるまで、しっかり憑いて煩わしい誘いを遠ざけてくれ、母上」
人形から手を離すと、多数の人影が現れた。
私はその中でも特に力の強い女に笑いかけた。
血みどろで、ただ邪魔だとしか思えなかった彼女に、初めて感謝した。