「彼女の名前は……確かアイリス。平民でしたが、商会が裕福であった為か、とても質の良いワンピースを着ていた事を覚えています。
綺麗なブロンドに桃色のリボンを付けて……とても愛くるしい少女でした」
ドナ様はその頃を思い出すように少し顔を上げると、ゆっくりと語り始めた。
「彼女は快活で……私とは真反対。その姿が私にはとても眩しかった事を覚えています。
しかし、羨ましいと口に出すのは私のプライドが許しませんでした。
私が彼女に誇れるのは……この貴族令嬢という立場です。それにうちは、子爵としてはかなり裕福でしたので、その事を私はついつい自慢していたのだと思います。
彼女が嫌いだった訳ではありません。こんなつまらない私とたくさんお喋りしてくれましたから。
それでも、私は……彼女に負けたと思いたくなかった。
彼女は私を羨ましがりました。貴族特有の世界にも興味津々で。
王都で暮らす事が夢だった……とも語っていましたわ。
私は彼女が私に嫉妬する度に、気分が高揚した事を覚えています。……しかし、私はやり過ぎたのだと思います」
そうド言うとナ様は俯いた。
「やり過ぎた……とは?」
「それまでは私が持っているアクセサリーやリボンを見せびらかすだけでしたが、ある日母が大切にしていたネックレスを見せました。
彼女はそれに目を奪われていました。そのネックレスには大きな宝石が付いていて、それに彼女が触れようとしました。
私はつい『ダメ!』と大きな声を出してしまって。彼女はそれが気に入らなかったのでしょう。『それならば見せなければ良いじゃない!』と怒って、乱暴にそのネックレスを私の手から奪いました。
バキッという嫌な音がして、彼女が掌を開いてそのネックレスを見ると、宝石にヒビが……」
なるほど。アイリスさんは『わざと』ではないかもしれないが、こうして大切なネックレスを壊してしまっていたのか、と私は納得した。
「その後の事はよく覚えていません。父にとても怒られた事は覚えていますが。
そしてアイリスがうちに来る事はなくなりました。彼女がその後どうなったのかも尋ねた事はありませんが、申し訳ないことをしたと思っています」
とドナ様は目を伏せた。
「そうでしたの。で、そのネックレスは?」
「同じ宝石を父が見つけて来て、付け替えを。子どもながらに、本当に恐ろしい事をしてしまったと反省しております」
その新しい宝石の代金を払ったのが、カンデラ商会……。もしかしたらその宝石をどこかから買い付けたのもトミーさんだったのかもしれない。それは大変な苦労だっただろう。
その後も色々と話をして、私は譲り受けた香炉と共にミスリル子爵邸を後にした。
「私がアイリスさんの借金の肩代わりをするわ」
私の言葉にアーロンは眉をひそめた。
「そんな必要がどこに?」
「昨日ドナ様の話を聞いて、流石に当時まだ成人前であったアイリスさんに借金を負わせるのもいかがなものかと思ったの。
状況的にも『わざと』ではなかったと思うのよ」
そう言う私に、
「奥様は甘過ぎます。ここに置いている事もそうですが、その上借金の肩代わりなど」
「アーロンの言いたい事はわかるわ。でもドナ様もアイリスさんも……お互いがお互いに嫉妬をした事で、思いもよらない事が起きてしまった。……嫉妬をする気持ちはわかるのよ。私にも」
私がそう言うと、アーロンは、
「奥様がですか?想像も出来ません」
と首を振った。
「私の姉二人は私と違って華やかで美しい人だった。あまりパッとしない伯爵家なのに、姉二人にはその美貌で婚約者候補が大勢いたわ。私は父に似たのか……容姿に自信もなかったし、特別誇れる所もなかったしね。
釣書が全く来なくても『別に気にしてない』そう表面上は取り繕っていたけど、内心では姉にも……兄の婚約者にも嫉妬していたわ。皆、私に無いものを持っているのだとね」
「……奥様、最近ご自分を鏡で見たことは?」
「毎日見てるわよ?え?私、何か変な所がある?!」
ソニアをアイリスさんに貸し出してからというもの、私の身支度を整えてくれるのは若い侍女達だ。
もしや……若作りとでも思われたのかしら?!もう二十七歳だもの、もっと落ち着いた感じにしてもらうべきだった?
「逆ですよ。私はここに嫁いだばかりの奥様を知りませんが、奥様は美しいですよ?」
「アーロン……褒めても何も出ないわ。自分の見た目が地味な事ぐらいわかっているもの。
それに、もし美しく見えるのであれば、いつも腕によりをかけて私を磨いてくれている侍女や、この質の良いドレスのお陰ね」
と私は笑った。
「奥様は気づいていないんですよ。奥様を輝かせているのは、内面から滲み出る自信です。
ドレスは公爵夫人にしては地味ですし、髪色も瞳の色も珍しい訳ではありません。でも、奥様は輝いておいでです。眩しいぐらいに」
とアーロンは真面目な顔で答える。……褒めすぎじゃない?え?これって褒め殺し?
「……男性に褒められた事などないから、疑ってしまいそうだけど……賛辞はありがたく受け取っておくわ。……ありがとう」
と私が少し照れた様に言うと、
「我が国でトップと思われるこのオーネット公爵家を切り盛りしてるのです。自信を持って当たり前。
正直に言って私は父に感謝しています」
「感謝?」
「はい。全く家庭を省みなかった父を正直嫌っておりました。
しかし、このオーネット公爵家の次期当主に私を付けるよう指名してくれた事、心から感謝しているんです。でなければ、今のこの経験はありません。
私は奥様に仕えることが出来て良かったと思っております」
そう言うとアーロンはにっこりと笑った。