「何、びっくりした顔をしてるの?」
私はポカーンと口を開けたまま固まってしまったテオに声をかけた。こんな表情も出来るのだと、つい笑ってしまう。
「……他人事だと思ってました」
とため息をつくテオに、
「前にも言ったけど、貴方には政略結婚なんて、思いもよらない事でしょうね。でも……仕方ないのよ、こればかりは。貴族というのは、そういうもの。
貴方が前に『恋愛をした事がない』と言うのを聞いて、本当は少しホッとしたの。……あぁ、ごめんなさいね、だから貴方に政略結婚をさせる事が簡単に出来ると思った訳ではなくて、……もし想っている女性が居るなら、政略結婚なんて、受け入れ難いでしょう?他に好きな人が居るのに、他の女性と結婚するのは……きっと辛いわ。……公爵様のように」
私には好きになった殿方などいなかったから、この結婚をするに当たって、そういう辛さはなかった。
しかし、公爵様にとっては、受け入れ難かったに違いない。それは、アイリスさんもそうだろう。相思相愛であるのに結ばれる事もなく……自分の想う人が他の女性と結婚するのだ。例えそれが『白い結婚』であってもそう簡単に割りきれるものではないだろう。
「ステラ様の言いたい事はわかります。……でも全然知らない相手と、結婚?」
とテオは困惑しているようだ。
「大丈夫。なるべく気立ての良いご令嬢を探しましょう。もちろん家柄も大切だけれど……テオが共に歩んでいけると、そう思える方を見つけましょう。時間をかけても良いから。
家柄だって、私は伯爵位以上であれば誰にも文句は言わせないわ。だって私が伯爵家の出ですもの。ね?」
と私は微笑んだ。
平民として暮らして来たテオには、到底想像もつかない事だろう。
貴族として生きていくには……ある程度、自由は諦めて貰わなければならない。
「俺が……共に歩んでいけると思う女性……」
とテオは私の言葉を小さく反芻していた。
「そうよ。急がなくても良いから。それに結婚してからだってお互い歩み寄る事も出来るわ。誠心誠意、お互いを尊重し合えればね」
と私はテオを安心させるように言う。
するとテオは私の顔をジッと見て、
「……候補者の中から相手を選ぶ時には、俺の気持ちを尊重して貰えますか?」
と確認する様にそう言った。
私は、
「もちろんよ。貴方を生涯支えていく女性ですもの。一番大切なのは、テオの気持ちだわ」
と安心させるように大きく頷いた。
それを見て、テオは少しホッとしたようだ。
「さぁ、クッキーも食べたし、残りの仕事に戻りましょうか?」
私が明るく声を掛ければ、
「「はい」」
とアーロンもテオも仕事に取り掛かった。
明日はお茶会。そういえば約二ヶ月ぶりだ。
私はパトリシア様に会うその時を想像しながら、少し微笑んだ。
「ステラ様!お久しぶりです。……公爵様の事……とても残念でしたわ」
パトリシア様は久しぶりに会う私の顔を見て、パァ!と明るく笑顔になったが、私の出で立ちを見て、喪中である事を思い出したのであろう……少し目線を落としてそう言った。
「ありがとうございます。お茶会にこの様な出で立ちで申し訳ありません」
さすがにお茶会に真っ黒なドレスとはいかないので、私は薄い灰色のデイドレスを身に纏っていた。装飾品はブラックパールで統一させた。
「いえ。まだ喪も明けぬ内に、私がどうしてもとお願いしたんですもの。立ち話もおかしいわね。さぁ、どうぞ座って?」
と薦められた椅子に私は腰掛けた。
私達はこの会えなかった二ヶ月にあった出来事を話した。
公爵家の跡継ぎについて尋ねたそうな様子はあったが、パトリシア様がそれを口に出すことはなかった。
……自分の身に置き換えて考えてしまっているのかもしれない。
パトリシア様が十八歳で王太子妃となって約六年が経とうとしていたが、まだ二人の間には御子が産まれて居なかった。
そろそろ側室を……との声が挙がっているのは、私も耳にしているが、王太子殿下が頑なに拒否されている事も聞き及んでいる。
パトリシア様はその事でとても悩まれていた。
「このスコーン……とても美味しいわ。どちらの店でお買い求めに?」
と言うパトリシア様に、
「知り合いが……焼いてくれましたの」
と私は少し誤魔化すように微笑んだ。
実はこのスコーン、テオの手作り。
もちろん、私も先に食べているし、毒味係にも確認して貰っているので安心安全だ。
しかし、店名を訊かれてもそれは答えられない。……パトリシア様に嘘をつくようで心苦しい。
テオは本当にパン作りや、お菓子作りが上手い。
私が褒めたら『他にする事、なかったんで』と悲しい答えが返ってきて、私は少し胸が痛くなった。
しかし、公爵家で取り扱う小麦はとても質が良いらしく、領地で作っていた時より美味しく出来ると言ったテオの顔は少し得意気で、その表情を思い出すと可愛らしかったな……と私は少し口角を上げた。
「まぁ!こんな素晴らしい腕前の方がお知り合いに?では、是非王宮の料理人として……」
と嬉しそうに手を叩くパトリシア様に、私は慌てて、
「じ、実はその方貴族籍の方でして……」
と提案をやんわり却下した。
次期公爵を王宮の料理人にされては困る。
「あら……残念。殿下にも食べていただきたかったのに」
としょんぼりするパトリシア様が可愛らしい。
いつまで経ってもお二人は仲睦まじい。だからこそ、側室を拒む殿下のお気持ちは手に取るように理解出来た。
そこからは二人で取り留めもない話をする。時間はあっと言う間に過ぎていった。
すると、パトリシア様から
「実はステラ様にご相談があって。『ポール・ダンカン』という画家をご存知かしら?」
と尋ねられた。
『ポール・ダンカン』……何かで見かけた……。私は自分の記憶の引出しを探る。
「確か、海を挟んだアンプロ王国の画家でしたね。その画家がどうかなさいました?」
「実は王太后様がその画家の描いた絵画をコレクションしているの」
私はハッと思い出した。そういえば昔、王太后様のお茶会で訪れたサロンに飾ってあった絵画……あの絵のサインが確かポール・ダンカンだった気がする。
「もしや……王太后様のサロンに飾られた人物画が?」
「そうよ!さすがステラ様だわ。もう少し先だけど、王太后様が退位して十五年になるでしょう?その記念に彼の絵をプレゼントしたくて」
「なるほど。で、私にどのようなご相談で?」
「今、色々な方に訊いて彼の絵を探しているのだけど、なかなか見付からなくて。彼が生涯に描いた絵画自体、数が少ないみたいなの。でもステラ様は顔が広いでしょう?もしかすると、ご存知ないかと思って……」
とパトリシア様は小首を傾げた。
確かに私は自分の足で人脈を広げたので、色々な商会や商人と繋がりがある。
私は、
「何件か画廊にも当てがありますので、少し訊いてみますわ。でも……あまり期待しなくで下さいね」
と頷いた。