「借用書……?」
「アイリスが両親を亡くして親戚に預けられた話はいたしましたね?」
「ええ、覚えてるわ」
「アイリスを引き取ったのはアイリスの母親の弟家族です。アイリスの母親は元々は結構裕福な商人の娘でした。それが駆け落ち同然でアイリスの父親と結婚した」
「その父親がパン屋を?」
「その通りです。父親は王都のパン屋の息子でした。二人は家族の反対を押しきって王都から逃げるようにしてオーネット公爵領に来て、パン屋を始めました」
「では……元々は王都に?」
「そういう事です。なので、アイリスを引き取った弟家族も王都に住んでいました。アイリスは弟家族……彼の名をトミーと言います……に引き取られ、特段、不自由なく暮らしていました」
……ここから、何故借金の話になるのかしら?
「アイリスが十五歳の時、トミーの知人である貴族の家にアイリスが出向く様になります」
「貴族?トミーさんは平民よね?」
「トミーは商会を営んでまして。その顧客としてミスリル子爵と知り合いになり、懇意にしていたそうです」
「ミスリル子爵……確か子爵だけど領地の資源が豊かで、結構裕福な家柄だったと記憶してるわ。しかし……あそこにはご結婚していないお姉様がいらっしゃった筈」
「いつもながら、素晴らしい記憶力で。今子爵を継いでいらっしゃるのは、トミーと懇意にしていた方のご子息です。そしてその方には奥様が仰った通り、御姉様がいらっしゃいます」
「待って。確かその方は病床に臥せっていらっしゃるのではなかったかしら?歳の頃は……確か……アイリスさんと同じぐらいだったわね」
「そうです。アイリスが十五歳の頃、ミスリル子爵は病弱な娘の為に、アイリスを話し相手に選んだのです」
「なるほど。外へ出る事も学園に通う事も叶わない娘の為に友達を用意した……それがアイリスさんって事ね」
「そういう事でしょう。そしてアイリスはある時……事件を起こします」
「事件……?」
「ミスリル子爵の家に置いてある高価なネックレスをアイリスは壊しました」
「壊した……。わざと?」
「本人は認めておりませんが、使用人が目撃した話では」
「……ならこの借用書は……」
私はもう一度その借用書に目を通す。
「カンデラ商会……これがトミーさんの商会?」
「ええ。今はトミーの息子が継いでます。アイリスの従兄弟ですね」
「ミスリル子爵に弁償したのはこのカンデラ商会。そしてアイリスさんはこのカンデラ商会への借金という形で弁償して貰ったお金を返していたってことね」
何となくアイリスさんがお金を必要としていた理由の全貌が見えてきた。
「そのようです。トミーの息子……コビーと言いますが、コビーとアイリスの仲は最悪です」
「最悪。この借金のせい?」
「かなり高額な物だったようで、その弁償の金を工面するのに、トミーは結構苦労したようです。カンデラ商会の信用問題にも発展。一時、カンデラ商会は窮地に陥りました。トミーはその時の心労が祟って病を患いました」
「はぁ……。それは、恨まれても仕方ないわね」
「トミーは自分の姉であるアイリスの母親と随分と仲が良かったようで、アイリスの事も大切に育てていたそうですよ。コビーにしてみれば、恩を仇で返された様なものです」
「今もまだ借金は返済されていないの?」
「それなんですが……もちろんコビーはテオドール様がオーネット公爵家の跡取りとは知りません。ですのでパン屋で稼いだ分から返済していると思っています。しかし……この前の大雨でパン屋が潰れたからもう返済は不可能だとアイリスから手紙を貰ったと」
「それはコビーさんにとって、頭の痛い問題ね。だって完済はしていないのでしょう?」
「そうですね。私がオーネット公爵領の者だと言っただけで、これだけの愚痴が出るのですから、アイリスを憎々しく思っている事は間違いないでしょう」
「コビーさんはテオの存在自体は知ってるの?」
「はい。未婚のくせに子を産んだふしだらな女だと罵っておりました」
「……それはアイリスさんのせいではないわ。公爵様の責任」
「………」
「公爵様の事を悪く言いたくない気持ちは分かるけど、そこは公平な目でみないと。でもこの借用書、よく見せてくれたわね」
「アイリスが領地から居なくなった話をしたら、コビーは慌てていました。ますます借金を返して貰えなくなったと。私が捜しましょうと言ったら、色々と話を聞かせてくれたんです」
「そう……。テオはこの借金の事を知っているのかしら?」
「どうでしょうか。……それより。家庭教師の給金も懐に入れていたわりに、返済額が少なすぎる様に思うのですがね」
「……。もしかしたらアイリスさんはどこかにお金を隠し持っているかもしれないわね。それならその話をして、コビーさんに完済させるようにしましょう。……貴方、コビーさんにアイリスさんを捜すと約束したのでしょう?約束は守らなくては」
と私が言えばギルバートも、
「アイリスがご主人様と知り合った時はとても可愛らしく、素直な少女でした。王都から領地へ戻ってきて……再会をご主人様は大変喜んでおりましたが……こんな事を仕出かしているとは。
……もう少しアイリスの身辺調査をしておけば良かったと後悔しております。せめて借金の件は片をつける様、私からアイリスに話します」
「家庭教師の件も話を。例え宝石を盗まれた件が本当の事だとしても、公爵家が雇った教師を勝手に解雇、しかもそれを隠してそのお給金を自分の物にしていたのなら、大問題だわ」
「……ここは私にお任せ下さい。全ては私の責任ですので」
ギルバートは深々と頭を下げた。
オーネット公爵家に近づく者をもう少し精査する必要があったのは事実だが、人を好きになる気持ちというのは、理屈ではない。
例えギルバートが公爵様から、アイリスさんを引き離していたとしても……結果は変わらなかったかもしれないと私は思った。
とはいえ……ギルバートに謝罪されるなんて、珍しい事もあるものだ。