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第32話

「でも……そんな事ぐらいで領地での生活を捨てて、身寄りもないのに王都まで出て来るかしら?」


「最初から……ここを当てにしてたから」

というテオは、またもや申し訳なさそうな顔をした。


「まぁ……少なくともテオを守る為にはこちらも尽力するでしょうけど……」


公爵様亡き後、アイリスさんの立場は非常に微妙だ。

テオの母親である事は確かだが、彼女を保護する義務は私にはない。


……いや、もしこの秘密を洩らすと脅されたら?そうなれば、彼女の面倒を見る必要が出てくる。

でもそれもテオがこのオーネット公爵家を継ぐまでだ。

その後はテオの胸三寸。まぁ、テオが母親を今後も面倒見ていきたいと思うなら、それはそれで私の管轄外だ。


「アイリスさんには窮屈でしょうけど、なに不自由なく生活出来ているだけでも良しと思って貰いましょう。それが嫌なら領地へ帰っていただけば良いわ」


そう私は思っていた。領地での生活を捨てて、こちらへ来たのはアイリスさんの意思だ。自由がない事ぐらい、少し考えれば分かるだろう。我慢……というには些か要求が多いが、後一年。何事もなく過ごせれば良い。そう思っていたのだ。



「どうしてお金をいただけないのかしら?」


数日後、私の執務室へ来たアイリスさんは不満そうに私にそう言った。


今日は前にアイリスさんが観たいと言っていた観劇の日らしく、アイリスさんは朝からウキウキしていたのだと聞く。

明るめの黄色のワンピースを着た彼女と黒いドレスを着た私は対照的だ。

夫の喪に服しているのだから、私が正解なんだけど。


「逆にお尋ねします。何故お金が必要なのでしょう?」

私は彼女に問い返した。


「だって、ここに来てもう一ヶ月よ?前にディーンから貰っていたお金を前と同じ様に支援するって約束でしょう?あの執事が言ってたもの」

とアイリスさんは私の疑問に当然の様な顔で答えた。


「それは貴女方が領地でお暮らしになっていた場合の話ですよね?それならば、テオの事がありますから、支援するのは当然の事でしょう。でも今は違います。

お二人の生活に掛かる費用は全てこのオーネット公爵家から出してますよね?ならば、元々の『お二人の生活を保証する為の支援』はもう必要ないでしょう?」

と私が丁寧に説明するも、


「え?それでは約束が違うわ。あの執事は『領地で暮らしている』事など条件に上げていなかったもの」

とアイリスさんは、驚いた様にそう言った。


……いや、驚くのはこっちの方なんだけど。


テオは今、またパンを作りに厨房へ行っているので、ここは私が何とかしなければならない。


「ギルバートもまさか領地から貴女方が出て来られるとは思いもよらず、あえてそこに言及していなかったのかもしれませんが、普通に考えて……わかりますよね?」


「普通って何?私の常識とステラさんの常識は違うのかもしれないわ」

とにこやかに言う目の前のアイリスさんを、私は物珍しい者を見るような気持ちで見つめた。

こりゃ、何を話しても無理だな。


「……そうですか。では少しお待ち下さい」

と私は言うと、アーロンを側に呼んで耳打ちする。アーロンは、


「畏まりました」

と私に頭をかるく下げて、部屋を出て行った。


「ステラさんが話のわかる人で助かるわ」

と微笑むアイリスさんに、私も微笑み返す。


アーロンはすぐに戻ってきて私に紙を差し出した。私はそれにサッと目を通すと、頭の中で計算した。


「お待たせいたしました。では。まずこちらがいつもアイリスさんへご支援させていただいていた金額です」

と私は机にお金を並べた。アイリスさんは、


「あら、ありがとう」

とそのお金に手を伸ばそうとする。それを私は制して、


「あぁ、お待ち下さい。そうですねぇ……まず、お二人に掛かる食費……」

と言いながら私は机の上のお金をその分取り除いていく。


「それから…光熱費。あ、そうそう。これには家庭教師代も入っておりましたね。今、家庭教師はおりませんし……強いて言うなら、私が教えているので、これは私の取り分という事になるかしら……」

と言いながら、どんどんと机の上のお金を減らしていく。


「ちょっ……ちょっと」

とアイリスさんは少しオロオロしている様だ。


「そういえば、今月は観劇のチケット代もありましたね……」

と言えば、アイリスさんは青い顔で、


「ちょ!ちょっと!何故チケット代まで私が払わなければならないの?!」

と私に詰め寄ろうとする。


私はまた、それを手で制して、


「はて?『何故?』とは?私が『是非観劇に行って下さい』と言ったのであれば、それは私が支払うべきかもしれませんが、観劇をしたいと仰ったのはアイリスさん、貴女自身ですわ。

本来なら……私がこちらに招いた訳ではございませんので、滞在中のお部屋代もお支払いただきたいくらいですけど……それぐらいはサービスさせていただきますね」

と私がにっこり笑えば、


「おかしいでしょう?!私はテオの母親よ?敬われて然るべきだわ!」

とアイリスさんはヒステリックにそう叫んだ。


「………領地に居ても、貴女を次期公爵の生母として敬う者など居なかったでしょう?貴女はテオの母親ですが、公爵様の子どもだという事は秘匿にされていた筈です。

ならば、この屋敷でそんな事を望むのはおかしいのでは?それこそ『何故?』と私が問いたいぐらいですわ。

……さてと……では残りは…こちらですわね?」

と私は机に残った一枚の銀貨をアイリスさんに差し出して、


「どうぞお受け取り下さい。こちらが貴女への今月の支援金です」

と微笑んだ。


アイリスさんは顔を真っ赤にして、それを引ったくるように掴むと、


「あなた、調子に乗らない方が良いわ。テオが公爵になったら……あなたなんて追い出してあげるから!」

と捨て台詞を吐くと、部屋を出て行き、乱暴に扉を閉めた。


その大きな音に私もアーロンも顔をしかめると、二人して


「ふぅ……。なんとか帰ってくれたわね」

「なんとか帰ってくれましたね」

と溜め息をついた。


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