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第29話

すると、廊下の向こうから


「おい!ステラ様の邪魔をするな!」

とテオが走ってきた。


「テオドール!あなた全然顔も見せないで……お母さん、とっても寂しかったのよ……」

とハンカチを目元に押し当てるアイリスさん。

今度は嘘泣きか。……この使い分けの境界線がわからない。

そしてアイリスさんはテオに手を伸ばすが、彼はそれを払いのける。


「寂しいって……。ソニアさんがあんたの相手をしてくれてるだろ?本来ならソニアさんはステラ様専属の侍女なんだぞ?有り難く思えよ」


テオがこんなに長文を話しているのを初めて聞いたかもしれない。貴重。


「そんな……。もちろん感謝しているわ。でもお母さんの立場って……このステラさんより下なの?そんなのっておかしくない?私はあなたの母親よ?次期……」


おっと!こんな場所でこの人は何を言い始めるんだ?!

今は私とムスカ、テオとアイリスさんしか近くに居ないとはいえ、誰が聞いているかわからない。


「おい!!もう部屋へ戻れよ。俺が一緒について行くから!」

とテオは少し慌てた様に彼女の腕を掴むと、引きずる様にして彼女を連れて行った。


「痛い!痛いわ!手を離して!」

とアイリスさんが金切り声をあげるが、テオはそれを気にする事なく歩み続けていた。



「ムスカ、貴方が屋敷の中でも側に付いててくれる様になった理由が分かったわ」


「なんとなく嫌な予感がしたので。ソニアも居ませんし」


ソニアとムスカにはテオとアイリスさんの事を私から正直に話した。

ソニアは公爵様に騙されていた!と怒っていたし、私がアイリスさんの世話と見張りを頼むと、とても嫌そうな顔をしたが、ムスカは静かに『屋敷の中に居る時も奥様の側に侍る様にします』と私に言った。

その時は『何故?』と思ったが、ソニアが側に居ない私を気遣ってくれたのだと思っていた。

ムスカは無口で武骨だが、とても優秀だ。色んな意味で。


「さぁ、彼女が戻って来ない内に部屋へ」

とムスカに促された私は部屋へと滑り込んだ。


そして、


「あ!パンのお礼。テオに言うのを忘れていたわ」

と先ほどの夕食で食べた美味しいパンのお礼を忘れた事を後悔したのだった。



それからもアイリスさんは事あるごとに私を悩ませた。


ある時は、王都の街を散策したい。ある時は、お友達を作りたいからどこかのご婦人を紹介して欲しい。ある時は舞踏会に出てみたい。ある時は王宮へ行ってみたい。


「もう……イヤ」

と頭を抱える私にアーロンは、


「ご自分の立場がわかっていらっしゃらない。しかし何度言っても理解して貰えなくて」

と溜め息をつく。


そこにテオが居る事をつい忘れて私達が愚痴っていると、


「本当にすみません」

とテオは謝った。


「あぁ、ごめんなさい。貴方に謝らせたい訳ではなかったの」


最初の頃はテオにアイリスさんの愚痴を聞かせまいと配慮していた私達も、そんな事を構っている暇がない程に彼女に頭を悩ませていた。


「いえ。……あの人には何を言っても無駄ですから」

とテオも投げやりにそう言った。


彼も領地で彼女に悩まされていた一人なのだろうか。



私もアーロンもソニアもギルバートも彼女の無邪気な要求に頭を悩ませていた頃、私は執務室である物を見つけてしまった。


その手紙のような物は机の引出しから溢れたのか、引出しの奥の奥でぐちゃぐちゃになっていた。

私は引出しの奥に何かが挟まっているような感覚に、引出しを一旦外して、そのアコーディオンの様に蛇腹になった手紙を引っ張り出した。




『親愛なる ディーン


明日はテオドールのお誕生日よ。ちゃんと覚えてくれてるかしら?

お店があんな事になってしまって、私、不安でたまらないの。

どうか、私を一人にしないでね。

あなたは私の信頼を裏切った。それは許してあげてるけど、二度目はないわ。これ以上私を失望させないで。じゃなきゃ、私、辛くて悲しくて、生きていく気力がなくなってしまうもの。ちゃんとあなたの誠意を見せて欲しいの。

テオドールもきっとあなたに会えるのを楽しみにしてる。

ね?絶対よ?

                        あなたのアイリスより』



私はくしゃくしゃになった紙をゆっくりと丁寧に伸ばすと、そこに書かれていた手紙……アイリスさんから公爵様へ宛てて書かれた物に間違いない……と思われる物を読んだ。


察するに、この手紙は今年のテオの誕生日前日、或いはこの屋敷に届く日を逆算して書かれた物……という事だろう。


若干のインクの滲みがあるという事は領地の被害を伝える早馬に持たせた可能性が高い。それならば馬が領地を出る時は雨だ。


では次。この手紙を読んだ公爵様はどう思ったのか。

愛する女性がどうしても会いたいと言っている。しかも……命を盾にとるような文言で。


推測に過ぎないが、この手紙が公爵様のあの無謀な行動を取らせる切っ掛けになったのではないか?

それならば、あの時の『明日では遅いのだ』という私への返事も納得出来るというものだ。


ギルバートに、あの日私が食堂へ行った後の会話について尋ねてみたいが、彼は今、領地へと赴いている。……というか、私があちらまで手が回らずにギルバートに手伝って貰っているのが主な理由だ。


それと私がどうしても気になる事があったので、それもギルバートに調べさせている。

その回答を持って帰った時にでも、この手紙の事をギルバートへ確認してみよう。


しかし……私は腹が立ってきた。

息子の誕生日ぐらい、母親一人で祝ったって良いだろう?!

そんなくだらない事で、公爵様の命が奪われてしまったのだとしたら?

私は彼女を許せるだろうか?


それにしても、手紙の中にあった『信頼を裏切った』とはどういう意味だろう?

公爵様はずっと彼女を想っていたし、大切にしてきた。

年の半分は領地へ行っていたし、テオの誕生日だって……今年以外はずっと一緒に祝ってきたのだろう。

こんな風に書かれるような裏切りなど公爵様に出来る筈がない。

それに最後の一文。『テオドールもきっとあなたに会えるのを楽しみにしてる』なんて、まるで取って付けたような言葉に思える。テオの事は二の次三の次というような……。テオの誕生日なのよね?


しかし……テオと公爵様の関係性はどういうものだったのだろうか?

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