葬儀が終わり、私は屋敷へ戻って来た。
やっと自由になれたのだと、私はもう誰かに馬鹿にされないようにと意地を張る必要もなくなったのだと、葬儀の最中は思っていた。
晴れた空を見上げながら、私の心のようだと、そう思っていた。
「お茶をお淹れしました」
ソニアが私にそう声を掛けた。
窓際に立ち、外を見ていた私は振り返って
「そこに置いておいて」
と一言。
そしてまた外を見る。別に外に何かある訳じゃない。というか、私は何も見ていなかった。
どれぐらいそうしていただろう。気付けば外はオレンジを絞ったような夕暮れになっていた。
私は公爵様の事故を聞いたあの夜を思い出していた。
あの日、公爵様は無理を押して領地へと発った。
山の頂上付近で泥濘に脚を取られた馬が立ち往生した。
馬から降りた公爵様は道から足を踏み外し、崖下に落ちた。
側に居た護衛は何も出来なかったと自分を責めて辞任すると言った。それを私は止めた。
護衛だって危険と隣り合わせだったのだ。無謀な主に逆らえなかっただけ。
彼を責めるのは簡単だ。だがそれをしたからといって公爵様が亡くなったと言う事実は変わらない。
『コンコンコン』とノックの音が聞こえ、廊下から
「奥様、お夕食がご用意出来ております」
とソニアの声が聞こえる。
「ごめんなさい。今はちょっと食欲がないの」
私は部屋の中から答える。
事故を聞いてから今日まで、別に食欲が失くなった事もなく、こんな風に外を眺めるだけで過ごした事もなかったのに。
公爵様の遺体を崖から引き上げるのに二日を要した。泥だらけの遺体を綺麗にして、やっと今日葬儀を行えた。
それまでは私も忙しかった。こうして色々と考える時間もない程に。
『コンコンコン』
またノックの音がして、
「奥様、ムスカです」
と声が掛かる。ムスカが私を訪ねてくるなんて、珍しい事もあるものだ。
私はムスカを部屋へ入れた。
「ムスカが私に話があるなんて珍しいわね」
ムスカとは私が一方的に話を振って彼がそれに短く答えるというスタイルでのみ会話が成立している。
私達にはそれで十分だった。
「イアンの事です」
イアンとは、公爵様にあの日ついていた護衛の名だ。
「イアンがどうしたの?」
「イアンを辞めさせてあげて下さい」
「どうして?イアンだって公爵様を止めたわ。でも公爵様には逆らえないから渋々ついて行った。彼も危険を冒してついて行ってくれたのに、責任を取る必要などないでしょう?」
「もし私が同じ様に、自分の目の前で奥様に何かあったら……許される事の方が辛い、そう考えると思います」
「では、責任を問えと?」
「そうです。護衛は守るのが仕事。それを全う出来なかった者にその資格はない。それは本人が一番わかってる」
こんな風にムスカが私に何か意見する事は今まで殆んどなかった。ムスカから見れば、私の采配というのは、イアンにとってプライドを余計に傷つけるだけだと言いたいのかもしれない。
「……でもイアンを責めても公爵様は帰ってこないわ」
「逆にイアンを許しても公爵様は帰って来ません」
そうムスカにきっぱりと言われ、私は公爵様が本当にこの世界の何処にも居ない事を痛感した。
ムスカは黙っている私に、
「寂しいですか?」
と言った。その声はとても優しかった。
私は、
「喧嘩相手が居ないという事が、こんなに張り合いがないものだと思わなかったわ」
と言ってから、
「イアンの辞表を持っているんでしょう?」
と言って手を出した。
ムスカは懐からイアンの辞表を取り出すと私の手に乗せる。
そして
「ありがとうございます」
と言って部屋を出て行こうと扉の前に立つとゆっくりと振り返って、
「奥様が此処を出ていかれると言うのなら、私はついて行きますよ」
と言って部屋を出て行った。
……どうして私の考えている事がわかるのかしらね。
不思議な人だと思いながら、私はムスカが出て行った扉をジッと見詰めた。