離れの改築を半年程かけてほぼ終えた。この出来栄えに私としては満足していた。
調度品等は、些か金額を押さえ込まれたので、ちょっぴり不満は残るが及第点と言えるだろう。
離れには、ソニアとムスカの部屋もある。私にとっては小さなお城だ。公爵様が引退して、私がそこに移り住む日を思うと少しワクワクした。
公爵夫人として忙しく働く毎日も悪くはないのだが、どうしてもギルバートや公爵様の目があると伸び伸び出来ない。
公爵様が引退すれば、ギルバートも一緒に領地へとくっついて行くらしいと聞いたのは、そんなある日の事だった。
「奥様、紹介しておきます。私の倅のアーロンでございます。これからは私の後釜として育てていきますので、以後お見知り置きを」
とギルバートは一人の青年を連れて私の元へとやって来た。
「アーロン・ネメックです。まずは執事補佐として仕事を覚えていきたいと思います」
とアーロンと紹介された人物は私に頭を下げた。
「ギルバートのご子息?まぁ、はじめまして。私はステラよ。これからよろしく頼むわね」
と私は、ギルバートより頭一つ大きな青年を見上げてそう言った。
なかなかの好青年だ。ギルバートとは全く雰囲気が違う。彼とならギルバートよりは上手くやっていけそう。そう私は心の中で思っていた。
ギルバートの家族構成なんて聞いた事がなかった私は、二人が去った部屋でそっとソニアに尋ねた。
「ギルバートって……結婚していたのね」
「ええ。しかしずっと別居だって言ってましたよ。ギルバートさんは前公爵様の時代からずっと執事としてこの屋敷を切盛りしてきましたから。彼のご主人様への忠義は、そりゃぁもうご立派なもので」
「それは見ていれば分かるわ。でも息子さんってギルバートには似てないのね」
「私も小さな頃に一度見ただけですけど、あのアーロンさんは奥様似の様ですね」
「あの…って事は他にもお子さんが?」
「はい。確かアーロンさんは次男で、長男が……」
「じゃあ、その方は?」
「確か、王宮で文官をされてるんじゃなかったかと。お二人共、優秀だとご主人様から聞いた事がありますから」
ソニアに尋ねるまで、私ってばギルバート個人を知ろうともしていなかった事に自分でも驚いた。
ギルバートにはギルバートの人生があったんだな……と思う。当たり前の事だけど。
ソニアの事は色々と知っているつもりだ。
体の悪い両親を支える為に若い時から侍女として働いていた事も、そのせいで結婚のタイミングを逃した事も。
ムスカは自分の事を殆んど喋らないが、彼にも遠く離れた土地に両親が居て仕送りをしているという事ぐらいは知っている。
私って本当にギルバートに興味がなかったのね。
アーロンが我が公爵家に来た理由は一つ。公爵様が譲位した後を考えての事。
となると、いよいよ公爵様も養子の件に本格的に取り掛かるのかと思われたのだが……
「アーロンは自分が誰の執事になるのか、理解しているの?」
と私が尋ねても、アーロンは首を横にふる。
「実は私も知らないのです。奥様も……ですか?」
とアーロンは不思議そうに聞いてきた。
「まぁね。私は今さら改めて聞こうとも思っていないんだけど、アーロンは自分が誰を主人にするのか分からない状況って、どうなのかな?って思って」
「誰が自分のボスになったとしても、自分のやる事は変わらないんで」
とアーロンはあっけらかんと笑った。
アーロンはギルバートとは全然違うタイプ。私とも結構仲良くしてくれる。……本当にギルバートとは違う。
気づけば私がこのオーネット家に来てから、八年になろうとしていた。
その日は土砂降りの雨と激しい風の音に私は夜中に目を覚ました。
「凄い雨ね……」
私は寝台を降りてガウンを羽織ると、そっと窓際に近づいた。
窓ガラスがガタガタと揺れている。横殴りの雨が窓に打ち付けていた。
カーテンを捲る。分厚い雲のせいで月明かりすらない庭は真っ暗だ。
目が覚めてしまった私は、喉の乾きを覚えて、水差しを持って厨房へ向かった。
厨房には明かりがついている。……誰か居るようだ。
私が厨房を覗くと、そこには扉に背を向けた公爵様がいた。
「どうされました?」
と私が声を掛けると、肩をピクリと揺らした公爵様が振り返る。
「……君か。びっくりさせるな」
私の声に驚いた公爵様は無愛想にそう言った。
「失礼いたしました。で、ここで何を?」
私は持ってきた水差しをテーブルへ置いた。
「雨と風の音に目が覚めた。少し喉が乾いてな」
「奇遇ですわね。私もです。……良ければお茶を淹れましょうか?」
「お茶……を君が?淹れる事が出来るのか?」
「公爵夫人であっても、私は変わり種ですので。……なんて、冗談です。私、集中したい時は一人になりたいので、茶器だけ用意して貰って、自分で淹れて飲んでいるんです」
と私は笑い話ながら、お湯を沸かす。
厨房の椅子に公爵様は腰掛けながら、
「なら、頼む。しかし君が変わり種なのは間違いない」
と私の背に話しかけてきた。
「あら?それは悪口ですの?」
と私は茶器を用意しながら、苦笑した。
「いや。最初に会った時は存在感のない何とも凡庸な女性だと思ったものだ」
「まぁ!やっぱり悪口じゃないですか」
と私が振り返って笑えば。
「あぁ…すまない。そんなつもりではなかったんだが…確かに今のは悪口だな」
と公爵様は少し微笑んだ。
……初めて見た、公爵様の笑顔。ムスカのそれより衝撃的だ。