「なんだか悔しい……」
私は思わず呟いた。悔しい……。
ここに来て、ずっと不安だった。馴染めるのかとか、公爵夫人としてやっていけるのか…とか。
それでも結婚してお互いを知っていけば、それなりに絆も出来る筈だとも思っていた。
「お父様やお母様。お兄様に何て言えば良いのかしら」
実家で幸せになる!と言った私に、不安そうな笑顔で見送ってくれた家族の顔を思い出した。
……決めた。こんな事で落ち込んでいたら、あの男にまるで抱かれたがっているみたいではないか。あんなオジさんに私の大切な操を捧げずに済んだ事を有り難く思おう。
私は、あの男の鼻を明かす為にも完璧に公爵夫人として務めてみせよう。そう私は決意した。
あの男に文句を言わせない為にも、私は努力してみせる。そう心に誓った。
私は翌日から、公爵夫人としての勉学に勤しんだ。
それはもう鬼気迫る勢いであったに違いない。
色んなお茶会にも顔を出した。人脈を作る為に。
あの男……公爵様とは、その後必要最小限しか顔を合わせる事はなかった。
食事も別々。それに公爵様は月の半分は領地で過ごす。
私にとっては、嫌いな男と顔を合わせずに済む生活は有り難かった。
……がしかし。
「何なんだ?この請求書は?」
またもや、執務室に呼び出された私は公爵様の質問に答える。
「この公爵家でお茶会を開く為の費用に御座います」
「こんなに金が掛かるのか?母はこの半分で賄っていたぞ!」
「御存じでしたか?オーネット公爵家のお茶会は公爵家が催すには些か…『ショボい』と噂されていた事を」
「は?なんだ?『ショボい』だと?」
「ええ。大勢の方を招待する時は特に。多分予算が決まっていて、しかたなかったのではないでしょうか」
「誰がそんな失礼な事を?!!」
「それを言っている人が失礼なのではなく、おもてなしにお金をケチる方が失礼なのでは?」
「きっ……君は!君の方こそ失礼過ぎるだろ!とにかく!こんな請求書は認められない!キャンセルだ!全部キャンセルしろ!そして、母と同じ予算でやってみろ!」
…やってみろ!って…。お金を使うだけがおもてなしではないけれど、相手の時間も使って貰うのだから、それに相応しいお金を使うのが常識なんじゃないかと思うんだけど。
「ふぅ。わかりました。では招待客の人数を絞り、なんとか予算内に収まるようにいたします。……ところで。そちらの領収書ですが、計算が間違っております」
と私が指摘すると、
「ど、どこだ?」
と公爵様はゾロゾロと長く書かれた明細を指で辿る。
私が、
「最終的な合計金額ですわ。明細に載っているものを全て足してもこの金額にはなりません。少し……多めに書かれておりますわね。前公爵夫人が懇意にしていた商会は…あまり信用がおけないように思いますが。もしかして今までもこうして上乗せして請求されていたのでは?」
と私が少しクスリと笑えば、公爵様は私を睨み付けた。
……少し前の私ならこの鋭い目つきに怯んでいた事だろう。
「もうこれ以上のお話はありませんわね?それでは私、忙しいのでこれにて失礼いたします。こんな所で時間を無駄にしている暇は御座いませんので」
と私は部屋を出るために扉に向かう。
私のその背中に、公爵様は、
「おい!何故これが間違っていると気づいた?」
と今、計算を終えたのか私に問いかけた。人に物を尋ねる人の口調ではないけど。
私は振り返り、
「私、計算も得意なので」
と一言だけ言うと、部屋を後にした。
「ムスカ、出掛けるわ」
と私が声を掛ければ、彼は直ぐに準備に取りかかる。
「どちらへ?」
「街へ出るわ」
「畏まりました。……この前の様な場所には近づきませんように」
と無表情にムスカは言う。
所謂『下町』と呼ばれる場所へ足を踏み入れた時、私は暴漢に襲われそうになった。
勘違いしないで欲しい。
『
「分かってる。ちゃんと貴族街を歩くわよ」
ムスカから注意を受けていたのに、うっかり下町へ入ってしまった自分の責任は感じていた。なので、私は素直にそう答える。
しかし、ムスカは本当に強かった。無口で無表情だけど。なので彼が居れば私は安心して出掛けられる。
ソニアは、
「私もお供いたします」
といつも申し出てくれるのだが、如何せんソニアは体格が良いので、私達から遅れがちだ。
ムスカも私一人の方が守り易いと言ってくれるのでいつも断ってしまっている。
「大丈夫よ。それに今日はたくさん歩く予定だから」
と暗にソニアには辛い一日に成りかねない事を前もって告げる。
「まぁ。今日はどういったご用で?」
「前公爵夫人……というか、オーネット公爵家が懇意にしていた商会とは手を切るつもりなの。新しく取引をする商会を探さなきゃ。それには私自ら赴いて、取り扱っている物や値段を自分の目で確認したいの」
さっきの請求書でも分かるように、あの商会はどうも信用出来ない。
それに、質が良いからと何かと値段を高めに設定しているのも気に入らなかった。
「奥様、そんな事をしたら、またご主人様に叱られません?」
とソニアは心配そうだ。
「別に叱られても構わないわ。ケチケチしているのは、公爵様の方だもの。
でも、あの細かい性格はどうにかならないのかしら?いつもいつも私のやる事に目くじらを立てて。そんなに私が気に入らないのなら、自分で全部なされば良いのよ」
事あるごとに呼び出されて叱責を受ける私を心配してくれるソニアの気持ちは有難いが、もう叱られる事には慣れた。……が、こうもやる事成す事全てを見張られていると息が詰まる。
もちろん忙しい公爵様がずっと私を見張っている訳ではない。……あいつだ。執事のギルバート。もう『さん』なんて付けてやるものか。
あいつが公爵様の忠犬よろしく、私の行動を逐一報告するのだ。尻尾を振って。あの男は私の事がどうも嫌いらしい。
本当に、息が詰まる。