私が案内されたのは、一階にある……所謂『客間』であった。
私は思わず
「ここは……?」
とソニアに尋ねてしまう。ソニアは少し困ったように、
「いえね。私もご主人様に言ったんですよ。ちゃんとね。普通夫婦の部屋というものは寝室を挟んで両隣にあるべきものなんです。もちろん、このお屋敷でもそのような仕様になっております。ご主人様のお母様……前公爵夫人が使っていたお部屋がちゃーんと存在するんです。ご主人様のお部屋の並びに。でも……ですね……」
と少し早口で捲し立てた後、最後は口ごもってしまった。 そしてため息を一つつくと、
「『あの部屋は今後も使う予定はない。それは私が結婚したとしてもだ』と言われてしまいまして……」
と諦めたようにそう言った。
言った人が誰なのか……尋ねなくても分かる。
私が黙っていると、
「ご主人様の言う事はこのお屋敷では絶対ですから。私も納得しないながらも、渋々頷いたという訳です」
とソニアは大きな体が少しだけ小さくなったように、申し訳なさそうにした。
なるほど。私は公爵様から今のところ『妻』と認められていないという訳か。
……しかし、今のソニアの言葉から察するに、ずっと認めてもらえなさそうな気がするが、私はそこを丸っと無視する事にした。
「お部屋なんて、どこでも構いません」
と私が微笑むと、ソニアは少しホッとしたように見えた。
この状況はソニアの責任ではない。なんなら全てあの強面公爵のせい。
ソニアは気分を切り替えるように、
「元は客間だったかもしれませんが、ここはもうステラ様のお部屋でございます。どうぞお好きにお使い下さい!足りない物や必要な物、欲しい物が御座いましたら、このソニアになんでもお申し付け下さいね」
と私に明るく言ってくれた。
だが、私を気遣ったその優しいソニアの言葉も、あの強面公爵の前では木っ端微塵に砕け散るのだが、それはまだ少し後のお話。
湯浴みと着替えを終えた私は、夕食の為食堂へと案内された。 だだっ広い食堂に私一人でポツンと座る。
実家ではこの半分くらいの食堂に、両親、兄、私。姉達が嫁ぐ前であればその姉二人も一緒になって食卓を囲んでいた。
狭いながらも楽しい我が家。そこには温かな家族団らんがあった。
しかし今は私一人。食事はどれも美味しかったのだが、何とも味気ない夕食を私は終えた。
「私……此処に馴染めるのかしら」
部屋で一人呟いてみる。
行き遅れと後ろ指をさされたくなくて、そればかりを考えていた時期もあった。
公爵家との縁談なんて望んだ事も考えた事もなかったのだが、こうしていざ『貴女は公爵夫人になるんですよ』と言われた所で、現実味がない。
……もしや長い夢でも見ているのかしら? もし夢なら……私はどちらを望むのだろう。夢から覚めて実家で肩身の狭い思いをするのか、はたまた夢なら夢のまま、この公爵家で肩身の狭い思いをするのか……。どちらを選んでも、あまり楽しそうではないな……と思う。
そんな事を考えながら、私はオーネット家での初日を終えたのだった。
「大司祭様より婚姻証明書を受理したと返事が御座いました」 と朝食の席で執事のギルバートさんに告げられた。
「あぁ。そうですか」
昨夜、夕食後にサインをさせられた事を思い出す。 それを夜中に大司祭様へと届けたのだろうか?それって結構迷惑なのでは?と私は結婚した事実から目を反らすように、どうでも良い事を考えた。
「これでステラ様はオーネット公爵夫人となられましたので、今後はそれらしい振る舞いを心掛けて下さい。それと、今後は『奥様』とお呼びいたしますので」
とギルバートさんは淡々と簡潔に私にそう言った。
私はまた、
「あぁ。そうですか」
としか返せなかった。
奥様かぁ……何か嫌だな。とは言わないけど。
私が部屋に戻ると、私のドレス姿を見たソニアから、
「すみません。奥様には少し……落ち着き過ぎですよね」
と謝られた。
私が今着ているドレスは、公爵家で用意された物だ。 私は何も持って来なくて良いと言われた手前、大きな荷物になる物は全て実家に置いてきた。数枚の下着と着替えだけを持って。
私は自分の姿を鏡に映す。いつもより質は良いが何とも地味なドレス姿の私がそこに居た。
(……元々顔が地味なんだけどな……) と私はその姿を見ながらそう思った。
確かに適齢期は過ぎていたが私はまだ十九歳。
このドレスは些か落ち着き過ぎではないだろうか。
色も暗め、シンプルイズベストと言わんばかりに、装飾は最低限だ。
髪はダークブラウン、瞳は暗めの緑。そんな私を益々凡庸に見せるこのドレス。
両親と兄はこんな私を『可愛い』と言って憚らなかったが、姉達は『うーん。何となく地味なのよね。華がないって言うか。素材は悪くないと思うのに』と私を辛辣に、かつ的確に評価していた。姉妹とはそんなものだろう。同性の目は厳しい。
ちなみに姉二人は私より華やかで美人である事は付け加えておこう。
「公爵様がわざわざ御用意して下さった物ですもの。それに、とても仕立てが良いのが分かります。着心地が良いわ」
と私はなんとかこのドレスを褒める事に注力した。
いや、嘘ではない。着心地は抜群だ。
「『公爵夫人として恥ずかしくない質の物を』と注文を受けまして、私が選んだんです」
というソニアに、私は (ん?ならこれはソニアの趣味?)と思ったのだが、
「『かつシンプルで、華美でなく、落ち着いた装いを』と……」
というソニアの言葉に、 (ならこれを選ぶのは理解できるわ)と私は納得した。