ここから王都までは二日程かかる。
流石公爵家の馬車だけあって乗り心地は抜群だが、一人でこの空間に居ると何とも言い難い不安に襲われた。
本当に私なんかに公爵夫人という大役が務まるのだろうか。
そしてあの怖そうな人との初夜というものが私には全く想像が出来なかった。
自領を出発して二日目の夕方、私はやっと公爵家に到着した。
「お初にお目にかかります。執事のギルバートと申します」
と初老の男性が私を玄関ホールで迎えてくれた。そして、
「それと、ステラ様のお世話をいたしますソニアと、護衛を勤めますムスカです」
とギルバートさんの少し後ろに控えた二人を紹介してくれた。
「あ、あの……初めましてステラ・ホーキンスと申します」
と頭を下げた私に、
「頭を下げてはなりません。貴女様はこれからオーネット公爵夫人になられるのです。
相応しい身のこなしをしていただかなければ、恥をかくのはディーン様なのです」
とやれやれといった口調でギルバートさんに注意された。
「申し訳……」
と私が謝罪を口にしようとするも、
「謝罪も結構。使用人に軽々しく謝る必要などありません。覚えておいて下さい」
とピシャリと言われてしまった。
ってか、怖いんですけど! 一応、望まれてこちらに来たんですよね?私。
この執事の言う事を要約すると、『公爵夫人たるもの、ふんぞり返って威張りちらしておけ!』って事ね。
私はずっと『ありがとう』や『ごめんなさい』はちゃんと口に出すように習ってきた。人間の基本だとも。
しかし、ここでは違うらしい。そんなものを口に出せば、絶対にまた速攻で注意される事間違いなしだ。 『郷に入れば郷に従え』とはこの事だ。
私は反論せずにだんまりを決め込む事にした。
すると、ソニアと紹介された恰幅の良い女性が、
「ギルバートさん、そんなに目くじら立てる必要はないじゃないですか。まだ初日。これからちゃーんとご主人様に相応しい奥様になっていかれますよ」
とギルバートさんをやんわりと嗜めてくれた。 そして彼女は改めて私に、
「ソニアと申します。私がステラ様の身の回りのお世話をいたしますので、何なりとお申し付け下さい。
もちろん他にメイドもおりますので、心配なさらずに」
と優しく微笑んでくれた。
朗らかそうなその物腰に私は少し安心する。だって執事が怖いんだもの!
「これからお世話になります。よろしくお願いします」
と頭を下げたくなる気持ちをグッと堪え、私も微笑み返した。
そしてもう一人、ムスカと紹介されたガタイの良い男性が、
「……ムスカです。外出の際には私が護衛としてお供いたします」
とぶっきらぼうにそう言った。もちろん笑顔はなしだ。
「護衛……ですか。私、今まで護衛など付いた事がなかったので……」 と私が戸惑いながら言うと、
「ご主人様を妬む者というのは一定数おりますので。このオーネット公爵に嫁ぐという事はそういう事なのです。ムスカは腕が立ちます。ご安心下さい」
とギルバートさんは淡々と説明した。
なるほど。『出る杭は打たれる』 お金持ちの名家も良い事をばかりではないのね……と私は納得した。
しかしまぁ……とんでもない所へと嫁いで来てしまったな……と、うっかり後悔しそうになる。
そうは思うが私には断るという選択肢はなかったのだ。甘んじて受け入れるしかない。
「わかりました。ではムスカ、これからよろしくお願いします」
と私はさっきのソニアと同じように挨拶し、その無表情の男性に微笑んだ。……まぁ、無反応ではあるが。
そして私はキョロキョロと辺りを見渡し、
「あの……オーネット公爵様にご挨拶をしたいのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
とギルバートさんに尋ねてみるが、
「ご主人様はただいまオーネット領へとお戻りになっております。王都へのお帰りは明後日の予定。ですので、あとでこちらへサインをお願いします」
とギルバートさんは私に婚姻証明書を差し出した。
すでにそこにはオーネット公爵の名前は記入済みだ。
そして何故か国王陛下のサインまで……。 私がそれを少し不思議そうに眺めていると、
「すでに陛下から婚姻の許可は得ております。後はステラ様のサインを頂き、大司祭へと提出するのみ。そうすれば、無事、結婚は成立です」
とギルバートはこれまた淡々と私に告げた。
まさしく用意周到だ。私はその大きな流れに飲まれて従うしかないのだろう。
確かに、仰々しい結婚式などしないと言われていたが、サインをするだけとは。
神の前で誓い合う事すらも無駄だと言うのだろうか? 私は驚きながらも、それを表情に出さぬ様に努めた。
ここで反論したからといって何になるのだ。私もギルバートさんに倣って淡々と
「わかりました」
とだけ答える事にした。 ソニアが、
「さぁさぁ、こんな場所で長々と立ち話なんてするものではないですよ! ステラ様。まずはステラ様のお部屋に案内いたしますね。長旅でお疲れになったでしょう?お着替えを済ませましたら、早速お夕食にいたしましょうね」
とその場の空気を切り替えるように手を叩いてそう言った。
正直、私もくたびれている。その上このギルバートという怖いおっさん。 私は天の助けとばかりに、ソニアへ向かって、
「お願い出来るかしら?」
と答えていた。ソニアが
「では、こちらへ」 と私を先導するように前を歩いていく。
私はそれを追いかけながら、「はぁ~」と思わず深い溜め息をついてしまうのだった。