あれが、おにいちゃん……?
今のおにいちゃんからは、すごく嫌な感じの魔力が溢れています。
それに、動物みたいに唸り声を出して、なのにあんなに笑顔で。
――怖い。
ウルガドって人を殴り飛ばしたおにいちゃんの身体強化は、いつもよりずっとずっと強くて、速くて。
ホントなら強くなったおにいちゃんを見ると、ルコンも嬉しくなるはずなのに、ちっとも嬉しく無くて。
あんな顔で、笑ってほしくないです。
「おぁアアアァァァ!!」
「ぐッ! 生け捕りは、無理か……!」
だめ、このままだとおにいちゃんが殺されちゃう!
でも、ルコンじゃあの人には勝てない。
きっと今のおにいちゃんでも、勝てない。
どうしたら……
「オォォぉ……オぁぁアア……」
「止まった? 今度はなんだ……?」
泣いて、る?
おにいちゃん、辛いの?
気がついたら走ってました。
ほっぺからは血が出てたけど、そんな事は気にならなかったです。
「なっ、離れろ! 今の少年は危険だ!!」
「離れません! ルコンが暴れた時だっておにいちゃんはこうしてくれたんです!
今度は、今度はルコンがおにいちゃんを助けるんです!!」
絶対離しません!
尻尾も使って、これ以上暴れないようにします。
おにいちゃんだって、暴れたくなんてないはずです。
いつも優しくて、カッコよくて、強いおにいちゃんはこんなこと絶対嫌です!
「戻って来てください! 龍を倒すんでしょう?
お母さんやお友達の仇を討つんでしょう?
先生に魔術を習うんでしょう?
お父さんに付いて行くんでしょう?
ルコンと一緒に学校に行くんでしょう!?」
「あ……うぐぅゥゥ!」
聞こえてる!
ルコンの声はおにいちゃんに届いてる!
「ルコンのために怒ってくれるのは嬉しいけど、今のおにいちゃんは嫌です! だから、だからっ!」
あれ、ルコンまで泣けてきちゃいました。
だって、だってこんなおにいちゃんを見てると苦しいんです。
苦しくて、悲しくて、悔しくて、ルコンだっておにいちゃんの力になりたいんです。
だから――
「ごめん、もう大丈夫」
「あっ、おにい、ちゃん――」
――――
声がする。
大事な、守るべき声が。
『戻って来てください!
龍を倒すんでしょう?
お母さんやお友達の仇を討つんでしょう?
先生に魔術を習うんでしょう?
お父さんに付いて行くんでしょう?
ルコンと一緒に学校に行くんでしょう!?』
そうだ、俺にはやるべき事がある。
こんなところで躓いてる場合じゃない。
返せ、俺の体だ。
指先から少しずつ、感覚を取り戻す。
親指、人差し指と順番に動くことを確認し、徐々に腕全体、そして身体全体へと神経を通すように取り戻していく。
先程までの俺は、身体の制御は効かないがなんとか思考は出来ていた。
だがその間の俺の頭は怒りに支配されて、思考は出来ても理性が効いてない状態だった。
『怒り』の力は身を持って体感できた。
これはこの先の力になる。
ならば手に入れる、手に入れてみせる。
『怒り』を抑えつけろ。
飲まれず、手放さず、この身に纏え。
力にしろ!!
「ごめん、もう大丈夫」
「あっ、おにい、ちゃん――」
ゆっくりとルコンの頭に手を置いて優しく撫でる。
泣かせちゃったな、ごめん。
下級治癒真術でルコンの頬の傷を治し、同時に魔術が使えることも確かめる。
「ちょっと待っててくれるか?
大丈夫、もういつものおにいちゃんだ」
「は、はい……」
ニカッと笑ってルコンを後ろに寄せる。
うまく笑えただろうか。
今の俺は『怒り』を纏えている。
そう実感できるだけの変化が、力が身体を包んでいる。
黒みがかった紫の魔力が、薄っすらと身体全体に纏わりついている。
気を抜けばまた支配されてしまうだろう。
だけど、今は。
「意識が戻ったのか?
ならば、大人しくついてこい。
既に貴様は反逆罪に課せられても文句は言えんのだぞ」
「ついていく事には文句はありません。
ただ、ちょっと試してみたいことがあって」
「……なに?」
「このままもう少しだけ闘って下さい」
「何を言うかと思えば……いや、いいだろう。
また暴れられては堪らん。
このまま意識を奪って連れて行くとしよう!」
言うと同時にこちらへと迫ってくる。
恐らく今の俺の状態は長くは続かない。
気を抜けば意識だって持っていかれそうだ。
ならば、今は少しでもこの感覚をモノにする。
それにこいつはルコンを傷付けた。
一発くらいは、大目に見てくれよ。
上段から振り下ろされる刃より速く、一歩懐へと踏み込む。
速度も、重さも、今までとは違う一歩。
「な、はやっ――」
「であアァァァァァ!!」
纏った怒りを右拳に乗せて突き出す。
ズンッ!! と重い音が響く。
硬い鎧などまるで硝子細工のようにヒビを入れて砕き、腹部にめり込む拳はそのままウルガドの体を後方へと勢いよく打ち出す。
打ち出された衝撃は波となって髪を揺らし、ウルガドは空き地の外へと転がり出ていく。
「すごい、これが……俺?」
自身の力に浸る余韻も無く、周囲が騒がしくなる。
気づけば幾人もの鎧を着込んだ者達が空き地を包囲していた。
しまった、俺ってもしかしなくても既に国家反逆者……
事態を飲み込む頭が急速に現実を叩きつけ、纏った怒りは儚く霧散していく。
これからどうすればと考える時間も無く、包囲網の中から一人の男が進み出てくる。
ロディアス騎士団
ロディアスに来るまで世話になったその男は、心底困惑した表情を浮かべながら口を開く。
「何が何だかサッパリだが……ひとまず、一緒に来てくれるな?」