「ローカ、ハシルナ!ローカ、ハシルナ!」
教室で顔を上げると、直立した人のようなものが凄いスピードでドアを横切った。
ガシャン!
慌てて廊下に出ると、突き当りの壁で倒れていたのは、赤い筋肉や内臓と人の肌とが縦半分に分けて描かれた人体模型。腕は外れて落ち、隣にモーター付きの台車が横倒しになっている。
「江地さんの発明って、なんか惜しいよな。廊下を走るなって言う奴の方が速く走ちゃ駄目だろう」
隣で礼石くんがのんびり呟いた。
(発明?)
「駄目じゃないんです!学校の規則は”児童は廊下を走ってはいけない”なの。人体模型は児童じゃないからセーフ!」
近づいて来た江地さんが反論した。手には拾った筋肉模様の"腕"を持っている。
(人が廊下を走らないことより、あんな大きな物を走らせる方が危険じゃ……)
僕が思ったのと同じことを、礼石くんが口にすると、江地さんはギロリと睨んだ。瞳が大きく結構美人なので迫力がある。
「あーっでも、小六であんなものを作れること自体凄い!いやほんと天才!っていうか、凄すぎてもはや理解出来ない」
「えー、まあ、ね」
見え透いたお世辞に、満更でもなく礼石くんの肩をバシっと叩いた江地さんは、持っていた模型の手を突き出した。礼石くんが戸惑いながら握手すると「直すの手伝って」とそのまま模型を渡された。
今はクラブ活動の時間。礼石くんによると、江地さんはロボットプログラミング部に所属しているが、クラブ活動の域を超えた発明狂で、よく騒ぎを起こすらしい。
今回も突然、廊下を走る子を取り締る機械を作ろうと閃き、モーターを付けた台車に人体模型とスピーカーを付けたという。
江地さんは事故現場を腕組みで眺め「重心が高いから不安定なのか」と一人反省会をしている。
(でも何で人体模型?)
礼石くんが僕を見て「確かに」と言い「何で人体模型付けたんだ?」と江地さんを向いた。彼女はちょっと妙な顔をした。
「人を追いかけて注意するなら、スピーカーに車付けるだけで良くない?」
「ああ。見た目が怖い奴が言った方が効果があるでしょ」
あんなのに追いかけられたら逆にスピードをあげて逃げたくなる、と思ったが、礼石くんはなるほど、と説得された。
「よく先生が許可したな」
「いや、だめって言われたよ。でも見つからなきゃ……」
「わっ何だ!?江地か!」
言ってるそばから、通りがかった担任の声が飛んだ。
が、先生も半ば諦めているのか、人体模型や壁に傷がないのを確かめると、江地さんに元の場所に戻すことを約束させ、あっさり解放した。その上、ニヤニヤ眺めていた礼石くんも、戻すのを手伝うよう言われた。模型の片腕を持ったままだったので、発明狂仲間と認定されたらしい。
礼石くんは、ブツブツ言いながらも人体模型を理科室へ運ぶのを手伝った。その上主犯の江地さんは、モーターの部品がないと探しに出てしまい、一人で模型の組み立てに取り掛かることになった。
礼石くんは僕を見て笑った。
「一緒につきあって来なくてもいいのに」
(うん。でも面白い)
「そうかぁ?」
転校して三日、僕はまだ礼石くん以外の子と話したことがない。誰も僕に話しかけてくれないのだ。こっちから話しかければ良いのだが、その勇気が出ない。前の所は全学年でも数人しかいなかったから、沢山同級生がいるのに慣れないのもある。でも、やっぱり自分の弱虫がいけない。よく母さんにも直しなさいって言われたな……。
「腕の角度、どう?」
見ると、人体模型の両腕がバンザイしていた。
僕が思わず吹き出すと、礼石くんも笑った。急に考え込んだ僕を見て、わざとふざけてくれたようだ。
(こんな風にクラブ活動してみたいって、ずっと思ってた)
「ふーん。ま、人体模型直すのは全然クラブ活動じゃないけどな」
静かな理科室に、腕をはめ直すキュッという音が響く。
(礼石くんって何のクラブ?)
「心霊研究会。今日は顧問の先生の都合で早く終わっちゃったけど、いつもは図書室から怪談の本とか心霊写真集借りて皆で読むんだ。結構人数いるよ。でも多分、本当に”見える”のは俺だけかな」
(本当に見える?嫌だな、僕怖い話苦手なんだけど)
礼石くんは手を止め、じっと僕の顔を見た。
「お前、気付いてないの?」
礼石くんはゆっくり、理科室備え付けの丸椅子に腰を下ろした。僕もつられて向かいの席に座りながら身構えた。弱虫で、すぐに怖がったり、人に話しかけることも出来ない僕を、礼石くんも嫌になったのだろうか。
「言いづらいけど、お前さ、俺以外には見えてないんだよ。つまり、お前、幽霊だぞ」
(……へっ?)
「だってお前、クラスに席ないだろ。それにそのパジャマ。学校にそれで来たら、普通誰か突っ込むよ」
自分の体を見ると、痩せた腕や足に、市松柄のパジャマがぴったりくっついていた。
「その柄、見たことあると思ってたけど思い出した。登校の時に、よく学校の向かいの病院の窓からこっち見てた子だろ。少し前から見かけなくなったから、多分病気とかで、その……」
思い出した。そうだ、僕は病気でずっと入院していた。行ったことのある学校は、病院の中に設けられた院内学級だけ。だから、窓から見えた普通の小学校に通う子が羨ましくて、よく眺めていたんだ。年の近そうな子を見つけると、退院してその子と登校するところを想像した。勉強したり遊んだり、皆と同じ給食を食べるってどんなに楽しいだろうと思った。
三日前、急に病気が悪化してあっという間に死んじゃったから、自分が幽霊になったことには、気づいていなかった。でもなんだか体が軽いし、学校に通えるかもって思ったら、いつのまにかここに転校してきた気分になっていたんだ。
「あー」礼石くんが気遣うような、励ますような声を出した。
「俺も詳しくないけど、ほら、こういうのって、思い残したことやったら成仏できるんだろ?お前のやりたいことって何?さっきクラブ活動って言ったけど、一緒に心霊研究会出る?あ、怖いの駄目だっけ。じゃ、他にやってみたいことは?俺でよければ友達になるし、ってか、もう友達だし。そのうち成仏できるよ。いや、そんな急いで成仏してほしいわけじゃないんだけど」
ガタガタッ。
理科室のドアを引いて江地さんが戻った。と、そのままぐるりと見渡し、ポツンと一人座っている礼石くんに眉を潜める。
「あんた大丈夫?また大きな独り言言ってたよ。廊下にまで聞こえてた。いつも変だと思ってたけど、ここ2、3日特に変だよ?」
「えっ?」礼石くんは心底驚いた顔をした。
「江地さんが変だって言うの?俺のことを?江地さんが?」
本気で戸惑っている礼石くんに、江地さんはムッとした。
礼石くんは、多分信じないと思うけどと言いながら、僕のことを掻い摘んで説明した。僕が向かいの病院で死んだというときは、ちょっと言いにくそうに僕を見た。
しかし江地さんは、意外にもあっさりと話を受け入れた。彼女によると、科学を学べば学ぶほど理屈では説明出来ないこともあると気づけるのだそうだ。
「まって、そのお化けの子、今この部屋にいるってこと?」
礼石くんが頷くと、
「インタビューさせて!」
突如、江地さんの声が裏返った。
「ほら通訳して」
「いや、江地さんからの声は聞こえてるよ、なぁ?」
僕はうんうんと首を動かす。
江地さんは見当違いの方向に視線を漂わせ「色々聞きたいんだけど」と言って、礼石くんを見る。
僕が答えられることなら、と言うのを礼石くんが伝えると、
「ありがとう!!」
江地さんの言葉に、僕は突然、体が熱いような、くすぐったい気持ちになった。
この三日で初めて、礼石くん以外の子と話が通じた嬉しさも大きかった。けどもう一つ、皆が無視してたのは弱虫な自分だからじゃなく、本当にただ気づかれていなかったんだと実感して、ほっとしたんだ。
「因みに、こっちな」
又あらぬ方向に話しかけようとしている江地さんに、礼石くんが僕の位置を指す。
「話しづらいわ。お化けくん、何かに憑依?入ることできないの?出来れば人っぽいものに」
パンッと手を打って、江地さんは後ろを指差した。先ほどの人体模型がいる。
僕に、あれに憑依しろと?
江地さんの瞳が更に煌めいた。
「ねぇ!頑張ったらあれ、走らせたりも出来る?お化けパワーで。廊下走る奴追いかけるとか。そしたらモーター要らない……えっ凄っ、やってみて!」
江地さんはもう一度、両方の人差し指を立てると、ビシッと人体模型を差した。喜びの興奮で顔が紅潮している。
(お化けパワーって何)
礼石くんが堪えきれずに吹き出した。
江地さんに協力するかはさておき、成仏する前に、もうちょっと彼らと小学生ライフを楽しむのもいいかもしれないと思った。