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第7話

   3


 結局あのあと、真帆は彼が何者なのか、ちゃんとした説明もしないまま、ぶつぶつ何事かを呟きながら帰っていった。


 あの男の子の様子から、たぶん、真帆と同じ魔女――もとい、魔法遣いか何かなんじゃないかな、と私は思う。


 そうでないと、普通の子があんな高い屋根の上になんて、駆け上れるわけがない。


 でも、そう考えれば、真帆が彼に惹かれた理由も納得できる気がした。


 魔法を使う同類が、すぐそこに居るのだ。


 ただでさえ魔法の大好きな真帆が、惹かれないわけがない。


 ここはやはり、友達として一肌脱ぐべきだろうか。


 ――なんて考えて、自分でも思っていた以上に、友達思いだったことに驚いた。


 あんな自分勝手で、自由奔放で、いい加減な性格の真帆を、私はそれでも好きらしい。


 ……まぁ、あくまで友達としてだけれど。


 そして翌日。


 いつものように、魔法百貨堂まで真帆を迎えに行くと、珍しく真帆は、すでに登校の準備を整えていた。


 それだけに、真帆が何かを企んでいるというのが、私にはひしひしと感じられた。


 学校に着くと、真帆はこれもまた、いつものように美智に髪を結ってもらい、いつものように授業を受けて――けれど小休憩の度に、どこへともなく姿を消して――そして放課後。


 私たちは、静まり返った図書室の中に居た。


 不思議なことに、図書室の中には人っ子一人いなかった。


 普段なら居るはずの司書の先生すら、今日はその姿が見当たらない。


「……珍しいね、誰も居ないなんて」


 美智の言葉に、真帆はふふんと笑いながら小さな金色の懐中時計を取り出すと、

「ちょっとの間、人払いをさせていただきました」


 どうやら、また何かの魔法道具らしい。


 私たちは、その誰も居ない図書室でテーブルを囲むように席に着くと、

「――さぁ、作戦会議を始めましょう」

 そう真帆は宣言して、口元を手で隠しながら、ニヤリと笑んだ。




 真帆曰く、小休憩の度に、彼を捕らえるための罠を、校内のあちこちに仕掛けていたらしい。


 私と美智は、そんな真帆が最後に仕掛けた罠のところまで、あの男の子を追い込む役を与えられた。


 真帆がどこからか手に入れてきた学校の見取り図を見ながら、私と美智は、彼を追い込むための手順を真帆から指示される。


 それを頭の中に叩き込み、やがて全ての部活動が終わりを迎える、午後六時過ぎ。


 次々に帰宅していく生徒たちをよそに、私たちは行動を開始した。


 すっかり日の暮れた薄暗がりの中、私と美智は、真帆の指定した場所へと向かう。


 大グラウンドの向こう側、校門を目の前にして、右手に見える体育館。


 その裏手に見えるプールとの間の細い通路に、確かに、彼は佇んでいた。


「――うちの中学校は、市内でも有数のマンモス校。全校生徒合わせて千人近い。これだけ沢山の生徒が居れば、たった一人の生徒を探し出すのも苦労して当然でしょう。けれど、学年やクラスが判らないばかりか、誰も彼を見たことがないというのも、どこかおかしいと思いませんか? 普通に学生生活を送っていて、誰の目にも止まらないなんてこと、ある訳がないんです。きっと、普段は誰も居ないような場所に身を隠しているに違いありません。例えば、基本的に人気のないところ――小グラウンドの隅の武道場裏、大グラウンドの隅の体育館裏とか、あの辺りが怪しいですね。武道場の方は昨日、私や早苗と出くわしているので、あの子も警戒している可能性が高い。なので、今日は体育館裏の方に行ってみてください」


 そんな真帆の予想が、見事に的中したのだ。


 ……でも、どうしてこんなところに?


 さっさと家に帰ればいいのに。


 思いながらも、私たちは真帆に指示された配置に着く。


 美智はプール側の、大グラウンドに面した壁に身を潜め、私は体育館の正面を回り込むようにして生け垣を進み、その裏手に回った。


 形的には、彼を通路の前後から挟み込むような感じだ。


 私が彼を大グラウンドの方に追い立て、通路から出てきた彼を、今度は美智が小グラウンドの方へ逃げるよう差し向けるのだ。


 そんなうまくいくのかは知らないけれど、その為に真帆はあちこちに罠を仕掛けているという。


 ――どうせまた、魔法の道具か何かだろうけれど。


 それから待つこと数分、殆どの生徒の姿が見えなくなったところで、私は動いた。


 わざと大きな足音を立てて、彼の方へ歩みを進める。


 その途端、

「またお前か――!」

 と男の子は口にして、身をひるがえすと、一目散に大グラウンドの方へ駆け出した。


 私もそんな彼の後ろを追う。


 やがて通路を抜けだして、彼は方向転換して左に折れようとしたところで、

「――っ!」

 そこから飛び出してきた美智の姿に驚き、大きく目を見開いて高く跳びあがると、急に踵を返して、体育館と第二校舎を繋ぐ渡り廊下の方へ駆け出した。


 ――あ、違う! そっちじゃない! と思ったところで、


 ドンッドンッドンッ!


 と渡り廊下の屋根から、突然、ドッジボールが三個、連続で彼の目の前に落ちてきたのである。


 ふと顔を向ければ、第二校舎の私たちの教室の窓から身を乗り出し、魔法の筒を覗き込む、真帆の姿がそこにはあった。


 男の子の逃げる方向をコントロールするために、あらかじめ渡り廊下の上にボールをセットしておいて、あの魔法の筒を使って、そのボールを次々落としていったのだ。


 落ちてきたボールに、男の子は跳びあがって驚き、バッと走る方向を第二校舎沿いに変え、小グラウンドに向かって駆け出した。


 私と美智は、二人並んでその後ろを追いかける。


 やがて男の子は、第二校舎から徐々に離れていき、大グラウンドの方へ逸れていこうとしたところで、


 コロコロコロコロ……


 どこからか転がってきた、大量のテニスボールに足を取られ、走る速さが遅くなる。


 けれど、すぐにその態勢を整えて――というか、四つん這いになって、再び第二校舎沿いを全速力で駆け出した。


 それからも、男の子が小グラウンドへ向かう道を逸れようとするたびに、真帆の操る大小様々なボールや、使われていないプランターが次々に彼の行く手を遮った。


 男の子は着実に、真帆が仕掛けた最後の罠の方へ向かって駆けていく。


 やがて小グラウンドに出てテニスコートの前を駆け抜け、武道場の手前に差し掛かったところで、


 ――バチンッ!


 一瞬、そんな音が聞こえてきたかと思うと、目の前を走っていた男の子が、急に地面を転がるようにして倒れたのである。


 見れば、その彼の身体の下には、魔法陣のようなものが描かれている。


 これが真帆が最後に用意した罠、捕縛の魔法なのだそうだ。


「くっそ……! 何だこれは……!」


 呻きながら、けれど男の子は、上半身を起こすことすらできない様子だった。


 そんな男の子を見て、私は、言い知れぬ罪悪感に襲われた。


 真帆に頼まれたからとは言え、いくらなんでもこれは酷い。


 なんてことをやってしまったんだろう、と後悔していると、

「――ようやく捕まえましたよ」

 第二校舎の影から、ゆっくりと、真帆が姿を現した。


「……ちょ、ちょっと真帆!」

 私は思わず真帆に駆け寄り、

「いくらなんでも、これはやりすぎでしょっ?」


 呻き、唸り、叫び、その魔法陣から何とか抜け出そうと、必死に身体をよじる男の子の姿は、あまりに見るに耐えなかった。


 ここまでする必要、あるはずがない。


 思ってた以上にその様は酷く、苦痛の叫びに耳を塞ぎたい気持ちだった。


「そうだよ!」

 と美智も私に同意して、

「こんなの、人にやるべきことじゃないよ! すぐに放してあげて!」

 と手を合わせる。


 真帆は私たちに非難されて、けれど、それでも口元に微笑みを浮かべながら、

「――この子は、人じゃないんです」

 そう口にした。


 え、と私は動けない男の子に顔を向ける。


 でも、そこには確かに、人の形をした、人以外の何者にも見えない、人しか居なくて。


「――ごめん、真帆」

 私は眉間に皺を寄せながら、真帆を睨みつけ、

「私には、人にしか見えない。さすがに私も、こんなことまでしたくない。これ以上はもう、付き合いきれない」


 美智も同じことを考えているのだろう、やはり真帆の顔をじっと見つめている。


 真帆はそんな私たちに、小さくため息を漏らすと、

「……わかりました。でも、その前に、この子と話をさせてください」


 それから私たちの返事を待つことなく、真帆は地面に倒れたまま暴れている男の子の所まで歩み寄ると、

「――私と契約してください」

 そう、真面目な顔で、彼に言った。


 男の子は、じっと真帆の顔を睨みながら、

「……なんで、お前なんかと」

 低い声で唸った。


 見開かれたその瞳は怪しく煌めき、剥き出しの歯には長い牙が二本、上から生えている。


 ……それだけを見れば、確かに、人のようには見えなかった。


 まるで吸血鬼か何かのようだ。


 でも、人は人だ。


 彼が人でないというのなら、いったい彼は、何者だというのか。


 私も美智も、黙って真帆と男の子の会話に耳を傾ける。


「私は、あなたが気に入りました。あなたほどの魔力があれば、私もきっと、おばあちゃんに認めてもらえるはずなんです」


 ……おばあちゃんに認めてもらえる?

 どういうこと?


「――知ったことか!」

 男の子は言って、激しく首を横に振った。

「いいから、すぐに俺を離せ!」


「……できません。私と契約してください」


 そんな二人の様子に、私はたまらず口を挟む。


「あのさ、真帆。これだけ嫌がってるんだから、そんな無理矢理――」


「ごめんなさい、早苗。あなたは黙っていてください」


「――はぁ?」


 その一言に、さすがの私も我慢の限界だった。


 真帆の肩を掴み、激しく揺すりながら、

「――なに勝手なことばっか言ってんのよ、あんた! いい加減にしなさいよ! 何でもかんでもあんたの思い通りになるなんて思ってんじゃないでしょうね! わがままばっかり言ってんじゃないわよ!」


「さ、早苗、ちょっと、落ち着いて!」

 慌てたように、私の身体を真帆から引きはがす美智。


 それでも私は、その怒りを抑えきれなかった。


「真帆! あんた何様のつもりよ!」


 私は叫んで、思わず真帆の頭に向かって手を振り上げ、

「――早苗!」

 その腕を、美智がばっと強く掴んだ。


 私ははっと我に返り、美智の顔を見つめる。


 美智は目に涙を浮かべながら、

「お願いだから、待って……! 真帆の顔を見て……!」


 ……どういうこと?

 何が言いたいわけ?


 私は訝しみながら、真帆の顔を覗き見る。


 そこには、目に涙を浮かべながら、じっと男の子を見つめる姿があって。


 私は、そんな見慣れぬ真帆の姿にたじろぎ、

「――で、でも、だって、これは、いくらなんでもやりすぎだよ」


 真帆は小さくため息を吐くと、

「……仕方がなかったんです。たぶん、この子に言葉は通じない。無理矢理にでも捕まえて、私と契約しない限り、この子は恐らく、ここから離れようとはしないだろうから」


「……どういう意味?」


 私の問いに、真帆は首を横に振り、

「そろそろ、元の姿に戻ってはいかがですか?」

 と男の子に声を掛ける。

「もう、その姿でいる必要なんて、ないんですから」


 男の子はしばらく真帆を見つめた後、わたしと美智を交互に見やる。


 それから「ふんっ」と鼻を鳴らした瞬間、急に男の子の身体が縮み始めて――みるみるうちに、一匹の黒い猫にその姿を変えてしまった。


 ――え、なに、これ。どういうこと?


 驚愕のあまり、私は開いた口が塞がらなかった。


 これは、猫?


 ……なんで、どうして?


 確かにそこには、人ではない、猫の姿があって――


「……もしかして、これが彼の本当の姿ってこと?」

 そう訊ねたのは、美智だった。


 真帆はそれに対して小さく頷き、

「――いわゆる使い魔です。正確には、魔力を持った獣。魔女は彼らと契約することにより、その魔力を得るんです。言わば彼らは使い魔なんかじゃなくて、魔法遣いにとって大切なパートナーなんです。だけど、人の姿に変化できるほどの魔力を持った獣なんて、私も初めて見ました」


「な、なんで、そんなのが、うちの学校に――」


 何とかそう口にする私に、真帆は、

「この子は、ある女の子を探す為に、この学校に来たんです」

 震える声で、そう答えた。

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