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第4話

 そのケーキ屋さんは、つい先月オープンしたばかりで、店の名を、パティスリー・アンといった。


 小さな店内の片隅には、二卓の丸テーブルが置かれており、それぞれ二脚ずつ、背もたれ付きの椅子が置かれている。


 私たちはレジでそれぞれ好きなものを(私と美智はチーズケーキとオレンジジュースを、真帆はクッキーシュークリームと紅茶を)先輩に買ってもらうと、そのテーブルに向かった。


 私と美智が右側の席に、真帆と先輩が左側の席に、それぞれ向かい合うように腰を下ろす。


 先輩は深いため息を漏らしながら財布を閉じ、それをお尻のポケットにしまった。


 ……ごめんなさい、荻野先輩、ありがたくいただきます。


 一応、心の中で謝っておく。


 荻野先輩は、誰とでも楽し気に会話をする、フレンドリーな人として有名だった。


 見た目もそんなに悪くないし、優しいし、正直申し分ない。


 けれど、真帆はこれまで告白してきた男子たちと同じように、荻野先輩にも容赦ない態度だった。


 まるで目の前に誰も座ってなどいないかのように、クッキーシューをおいしそうに頬張る。


 数日前に三人でこの店を訪れて以来、真帆はクッキーシューの虜になっていた。


 本人曰く、一日に一個は食べないと気がすまないくらいに美味しいのだとか。


 確かに私も美味しいとは思うのだけれど、どちらかというと、チーズケーキの方が食べやすくて好きだ。


 実際、今の真帆も口の周りをカスタードクリーム塗れにしながら、むしゃむしゃと口を動かしている。


 まるで小さな子供のようだ。


 そんな真帆を、複雑な表情で見つめながら、荻野先輩はおもむろに口を開いた。


「――あ、あのさ、楸さん」

 真帆はそんな先輩に対して一度瞬きをして、

「……はい?」

 と首を傾げる。


「実は、その、前々から、どうしても、伝えたいことがあって――」


 あぁ、やっぱりか――


 私は思いながら、向かいの美智に視線をやる。


 美智も私に顔を向けながら、小さく頷いた。


 ここ数日、やけに先輩の様子がおかしいと思っていたのだ。


 これまで以上にそわそわしているというか、事あるごとに真帆に近づこうとしていたというか……


 たぶん、ついに告白しようと決意したのだ。


 荻野先輩はやたらと緊張した面持ちで、膝の上で手をぎゅっと握り締めたまま、

「なんていうか、その、俺――」

 なかなか言葉が出てこないらしい。


 普段のおしゃべりな先輩とは大違いだ。


 やっぱり、告白となると、緊張してなかなか言い出せないらしい。


 真帆はそんな先輩を無視してむしゃむしゃとクッキーシューをすべて平らげると、お手拭きで口と手を拭い、紅茶に手を伸ばした。


「じ、実は、前から、楸さんのことが気になっててさ――」


 スティックシュガーをびりっと破り、サーっと紅茶にそそぐ。


 それからスプーンでゆっくりとかき混ぜながら、


「――ん?」


 真帆の袖から、さらっと何かの粉が紅茶に振りかかるのが私には見えた。


 けれど、先輩の位置からは真帆の腕に隠れて見えないらしく、気付いた様子はまるでない。


「楸さんって、ほら、凄く美人で、可愛くて、どうしても目が離せないっていうか、その――」


「――先輩」

 と、荻野先輩の言葉を遮るように真帆は言って、その紅茶を先輩の前に押しやりながら、

「ちょっと慌てすぎですよ。まずは紅茶を飲んで、落ち着いてください」

 そう言って、にっこりと微笑んだ。


 ……口の端を、僅かに歪ませながら。


「え、あ、あぁ、うん――」


 なんて素直で憐れな先輩。


 たぶん、真帆は紅茶に、何かを仕掛けた。


 でも、いったい、何を――?


 先輩はごくごくと紅茶を一気に飲み干すと、とん、とそれをソーサーに戻し、

「……楸さん! お、俺は、お前の事が――」


 次の瞬間、


 ――どんっ!


 と大きな音を立てて、先輩はテーブルの上に頭を突っ伏した。


 そしてそれっきり、大きないびきをかいて眠り始めたのである。


 私はその様を見て、思わず目を見開きつつ、

「ま、真帆? あんた、紅茶に何を……?」


 その問いに、真帆はぷぷっと笑いながら、

「眠り薬と、忘れ草を煎じたものを少々」


「だ、大丈夫、なの?」

 美智も心配そうに訊ねる。


 真帆はふふんと胸を張りつつ、

「大丈夫ですって! おばあちゃんのノートを参考にしましたから」


 ……また勝手に? 大丈夫?


「たぶん、十分後には勝手に目を覚ますはずです。その時には、私に何を言おうとしたのか、すっかり忘れちゃってると思いますよ」


「――良いの? 毎度毎度男子からの告白を断って」


「……どうしてです?」


 不思議そうに、首を傾げる真帆。


「だって、その――年頃だし?」


「ぷっ! ぷぷっ!」

 と真帆は口元に手をやって、意地悪な笑みを浮かべながら、

「いいんですよ! 私、そもそも男の子に興味なんてありませんから!」


「――ん?」


 どういうこと?


 首を傾げる私と美智に、真帆はにっこりと微笑みながら、こう言った。


「私、早苗と美智が居てくれれば、それだけで十分ですから!」

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