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第6話

   6


 私が最初に楾アリスに抱いた印象は、『妖精さんがやってきた』だった。


 高校に入学したその日、アリスはそのどこまでも白い見た目から、その場にいた全員から注目の的になっていた。


 学校指定の制服に身を包んだその姿に見惚れてしまったのは、何も男子だけではない。


 私や他の女子たちも、しばらくは彼女から目を離すことができなかった。


 アリスは透き通るような白い肌に薄青の瞳、髪もまつ毛も産毛すらも白く、その唇には薄く桃色の口紅をさしていた。


 まるで絵本の世界から抜け出てきたかのようなその非現実感に、私は即座に彼女に魅了されてしまっていた。


 ――いや、一目惚れしてしまった、と言った方が、たぶん、正しい。


 気づくと私は、授業中はおろか、登下校の時でさえ、彼女の姿を目で追うようになっていたのだ。


 何とかして仲良くなりたい、友達になりたい。


 そう思っていた矢先、思わぬことが起きた。


 当時すでに友達になっていた紗季が、突然彼女に話しかけたのだ。


「ねぇ、楾さん。次の日曜日、うちら街まで遊びに出ようと思ってるんだけど、あなたも一緒に来ない?」


 たぶん、こんな感じだったと思う。


 その見た目からか、微妙にクラスで浮いていたアリスは意外そうな目で紗季と私を見比べた後、

「――うん!」

 嬉しそうに、そう返事した。


 ナイス! 紗季!


 その時の私は内心、そう紗季を称賛していた。


 紗季は私と違って行動力が高い。


「やってみよう」と思ったことは、さっさと実行に移す性格をしている。


 どちらかというと石橋を叩いて渡る私とは対照的で、だからこそ、紗季に助けられたことはこれまでにも何度もあった。


 特にこの時の紗季は行動が早く、私が「楾さんも誘ってみたいと思ってるんだけど、どう誘ったらいいかな」と口にした次の瞬間には、もうアリスに話しかけていたほどである。


 紗季曰く、「何をそんなに悩んでんの? って思ったから」だそうだ。


 実に羨ましい性格をしている。

 爪の垢を煎じて飲みたいくらいに。


 私は踊り狂いたくなるような思いの中、まだかまだかと週末を待ち侘びて――


 そして、そんなこんなで当日の朝。


 私と紗季は、待ち合わせ場所に現れたアリスの姿に度肝を抜かれた。


 それもそのはずだ。


 そこには、あのロリータ服に身を包んだ、西洋人形のようなアリスの姿があったのだから。


 そんなアリスの姿に最初こそ驚愕した私と紗季だったけれど、紗季は紗季でアリスのその姿に興味を惹かれたらしく、その後三人でロリータファッションのお店を巡り歩いたところから私たちの趣味は始まった。


 それがもう、十何年も前の話。

 時の流れというのは、何とも残酷だ。


 高校卒業の後、私は専門学校を出て、就職して――


 その間も、私はずっとアリスを見ていた。


 私の中で燻ぶり続けるこの気持ちを伝えることすらできないまま、ただ、ずっと。


 伝えられるわけがない。


 こんなの、普通じゃないから。


 アリスと一緒に居るだけで嬉しいし、楽しい。


 アリスが居ないだけで、寂しいし、胸が苦しくなる。


 でも、それをどうして口に出して言えるだろう。


 もし、そんなことを口にして、アリスが私を嫌いになったら?


 もし、そんなことを口にして、アリスが私から離れて行ったら?


 もし、そんなことを口にして――


 ……怖い。


 そっちの方が、よっぽど怖い。


 だから私は、この気持ちをずっとひた隠しにしてきた。


 決して誰にも気取られないように。


 自分自身をも騙すように。


 なんてことないふうを装って、アリスと会い。

 なんてことないふうを装って、アリスとわかれる。


「――じゃぁね、また会おうね」


 そう言って、泣きそうな気持ちになりながら、私はアリスに手を振るのだ。


 ――あの儚げな雰囲気が好きだ。

 ――あのどこまでも透明な白い肌が好きだ。

 ――あの可愛らしい微笑みが、大好きだ。


 本当に、ずっと、私のそばにいてくれたらいいのに――


 あの薄青色の瞳を見つめながら、アリスの体をぎゅっと抱きしめることができたなら――


 私は、私は――


 だからこそ、真帆のことを、私は余計に許せなかった。


 この秘かな気持ちをもてあそんだ真帆を、心の底から、恨んでいた。


 ……私が真帆に対して過保護だって?


 違う、そんなんじゃない。


 私はただ、真帆のことを信用していないだけ。


 あの身勝手で、何も考えていない、いい加減な妹を、私は、心の底から、嫌っているのだ。


 私は大きくため息を吐いてから、空に浮かぶ三日月を見上げた。


 まるで月にまで嘲笑されているような気がして、私は再び大きなため息を漏らすと、地面に顔を向ける。


 夜の帳に覆われた空の下、私は一人、公園のベンチに腰掛け、泣いていた。


 どこにも行き場なんてなくて、昔、おばあちゃんや真帆と一緒に遊んだ近所の公園で、ただ、無為な時間を過ごしていた。


 ――何やってんだろう、私。


 そう思いながら、何度目かのため息を吐いた時だった。


「――加奈」


 すぐそばで聞き覚えのある声がして、私は慌てて顔を上げた。


 すっと地面に降り立つ人影。


 その手には、可愛らしいデコレーションの施された箒が握られていて――


「……ア、アリス?」


 優し気な微笑みを浮かべるアリスに、私は思わず目を見張った。


 ……なに、これ、どういうこと?


 なんで、アリスが、空から――


「真帆ちゃんが心配してるよ。一緒に帰ろう?」


 そう言ってアリスは私に右手を差し出してくる。


 その姿は確かに私の良く知るアリスそのもので、けれどどうしてこんなところに居るのか、なんで箒なんて握っているのか、全くわからなかった。


 ――いや、違う。


 わからないんじゃない。

 わかろうとしていないだけだ。

 私はもうとっくに、そのことに気づいている。


 けど、どうして?

 なんで、今まで教えてくれなかったわけ……?


「――アリスも、魔女だったんだね」

 何となく自嘲気味に言う私に、アリスは、

「……うん」

 と小さく頷いた。


 何処か申し訳なさそうに、悲しそうに。


「……ごめんね、いままで、ずっと黙ってて」

 私は何だか気が抜けたようにため息を吐く。


「――言ってくれればよかったのに」

 うん、とアリスは小さく口にして、

「でも加奈、いつも真帆ちゃんの使う魔法のこと、愚痴ってたでしょ?」


「……うん」

「だから、きっと加奈は魔法のことが嫌いなんだと思って、なかなか言い出せなかったの」


 ごめんね、と、そうアリスは口にすると、小さなため息と共に、目を伏せた。


 ――そうか。


 私が真帆のこと愚痴ってばかりいたから、そんなふうに思われていたのか。


「……そんなわけ、ないじゃない」

 私は小さく笑いながら、

「だって、私も魔法遣いの娘だよ? おばあちゃんも、お母さんも、魔法遣い――魔女だったんだよ? 嫌いなわけ、ないじゃない……」


 そんなこと、一度も思ったことはない。


 私がおばあちゃんやお母さんみたいに魔女にならなかったのは、ただ魔法というものにもともと興味を持っていなかった、ただそれだけだ。


 別に、魔法自体が嫌いってわけじゃない。


「――そっか」


 アリスは微笑みながら私の手を取ると、良かった、と安堵のため息を漏らした。


「私が魔女だって知ったら、きっと嫌われちゃうと思ってたから――」


 そんなこと、思ってたんだ……


 普段のアリスの様子からは、全然そんな素振りは――


 思いながら、私は首を横に振った。


 ううん、違う。


 アリスは、そんな素振り、見せていた。


 ただ、私が気付かなかっただけで、いつも。


 先週もそうだったじゃないか。


 私が真帆について愚痴っていた時、アリスは一言もその会話には参加しなかった。


 ただ黙ってジュースを飲んでいただけで、私が何を質問しても、困ったように、わからない、と答えるばかりで。


 ――そういうことだったのか。


 なんで、解ってあげられなかったんだろう。


 きっといつもそうだったんだ。


 私が真帆のことを愚痴るたびに、魔法のことを愚痴るたびに、アリスは自分もまた魔女であることと重ね合わせて、気まずく思っていたんだ。


 ――馬鹿だ。

 私は、とんでもない大馬鹿者だ。


 自分の一番好きな人に、そんな思いをさせていたんだから。


 馬鹿と言わないで、何て呼べばいい?


 はぁあ、と私は夜空を見上げながら、

「何やってんだろう、私」

 思わず、そう口にした。


「そうだよ」

 とアリスも僅かばかりおどけたように、

「真帆ちゃん、本気で心配してたんだよ? 私に連絡してきたとき、大泣きして何言ってるか解らなかったんだから!」


「――嘘だぁ」


 あの真帆が、大泣きだって?

 想像もつかない。


「本当だよ?」

 アリスはくすくす笑いながら、

「おねえちゃんに酷いことした、嫌われちゃった、私じゃぁ連れ戻せないから、アリスさん何とかしてぇって、泣きつかれちゃったんだから!」


「へぇ、あの真帆がねぇ」


 どうにも信じがたいけど、まぁ、アリスが言うのだから、本当なんだろう。


「だから、ね? 帰ろうよ。私が送ってあげるから」


「……うん、そうだね」

 私は答えて、ゆっくりとベンチから立ち上がり、

「……ん? 送るって?」

 思わず眉間に皺を寄せ、首を傾げる。


 そんな私に、アリスは左手に握った箒を示しながら、

「え? 箒でだけど……」

 さも当然の事であるかのように、そう答えた。



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