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「――ほんっと、ムカつくのよ、あいつ!」
翌日土曜日の昼下がり。
私は街中のカフェテラスで、思い出しても腹立たしい昨日の一件を、紗季とアリス相手にずっと愚痴り続けていた。
二人とは高校の頃からの友人で、もう十年以上の付き合いになる。
紗季もアリスも、うちの店――真帆がおばあちゃんから引き継いだ魔法百貨堂を知る、数少ない友人たちだ。
「まぁ、確かに真帆ちゃんは昔から危なっかしい子だったから、加奈の気持ちはわかる」
そう口にしたのは紗季だった。
この三人の中で唯一の既婚者で、モデルのように長身でスタイルも良く美人だ。
一人息子の大地くんもその血を色濃く受け継いでおり、何度か会ったことがあるけれど、かなりの美少年だった。
ただ残念なことに、今日は紗季のご両親宅に預けて来たらしく、この場には居ない。
どうせなら、あの小学生らしい可愛らしさに、心癒されたかったんだけどなぁ。
思いながら、
「でしょ? いくつになっても変わらないのよ、あの子は!」
と私が興奮しながら口にすると、
「――けど、真帆ちゃんの言い分も解らなくもない」
私の怒りに対して、紗季は落ち着いた口調でそう言った。
「えぇ! なんでよ!」
口を尖らせる私に、「だって」と紗季は目の前のコーヒーを一口含み、
「真帆ちゃんだってもう大人だよ? いったい、いくつになると思ってんのよ」
「ええっと――二十……七、八?」
あいつの歳を考えるということは、すなわち私自身の年齢を再確認するということに繋がる。
あぁ、嫌だ嫌だ!
なんて思っていると、
「加奈? あんた、いったいいつまで真帆ちゃんを子ども扱いするつもり?」
言って紗季は大きなため息を一つ吐いた。
「そりゃぁ、真帆ちゃんだって言い返したくもなるわよ」
「いや、でも、だってさぁ――」
真帆を見てるだけで、なんかこう、気になって仕方がないというか、何というか――ねぇ?
とアリスに顔を向けて同意を得ようとしたのだけれど、アリスは急に話を振られて困ったらしく、その青い目をパチパチさせながら、飲んでいたオレンジジュースのストローをズズッと小さく鳴らしただけだった。
まぁ、急に話を振った私が悪い。
「――そんなことより、うちの旦那、会社でどんな感じ?」
そんなことよりって――まぁ、いいけどさ、もう十分愚痴ったし。
「……平本くん? 頑張ってるよ。相変わらず忙しくて、なかなか仕事が思うように運ばないみたいだけど。今も会社で仕事してるんじゃない?」
「何とかならない? 何度言っても仕事仕事で、大地も寂しがってるのよ。だって、ずっと休日返上で仕事してるでしょ? たまの休みすら家でパソコン開いてずっと仕事してるし……」
「そうは言ってもねぇ……」
紗季の旦那である平本くんとは会社の同僚である。
私たちより二、三歳年上で、性格は馬鹿正直の生真面目。
与えた仕事には一生懸命で、脇目も振らず集中するその姿は驚異的だ。
けれどその反面、何をしても要領が悪い。
例えば複数の資料が必要な時、私なら予め何が必要か頭の中でリストアップしておいて、一気にその資料を揃える。
それが平本くんにはできない。
何度も何度も資料棚と自分のデスクを行き来するし、どうかすると全く必要のない資料すら持ち出して、本当にその資料を必要としている他の同僚に迷惑をかける始末。
そのうえ、書き仕事もめちゃくちゃ遅い。
綺麗な字で丁寧に書くのは良いんだけれど、それに一時間も二時間も掛けるのは本当にやめてほしかった。
パソコンを使わせてもよく操作を誤って、せっかく作った表を全削除した挙句上書き保存して、それまでの時間が全て無駄になった、なんてことも今まで何度もあるくらいだ。
――けど、そんな事実を紗季に言うのも何だか気が引ける。
元々紗季に平本くんを紹介したのは私だったし、何より、平本くん本人は一生懸命に仕事をしているのだから、そんな悪口みたいなこと、言えるはずもない。
「……まぁ、言うだけ言っておくよ」
そんな私に、紗季は「よろしくね」と言って、ふと腕時計に目をやる。
「――あ、そろそろ帰らなきゃ」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
アリスの言葉に、紗季は、
「大地を英語教室に連れてかなくちゃならないのよ」
「――はぁ、すっかりお母さんになっちゃって」
ため息交じりにわざとらしく言ってやると、
「……あんただって、似たようなものじゃない」
「ん? どういう意味?」
思わず私は首を傾げる。
「真帆ちゃんに対して、過保護な母親みたいなこと言ってるんだもの」
「――そ、それは」
私は思わず言い淀む。
「まぁ、何にしても、もうちょっと真帆ちゃんを信じてあげてもいいんじゃない?」
じゃあね、と言って背を向けると、紗季は有無も言わさずすたすたと足早に帰ってしまったのだった。
そんな紗季の背中を見つめながら、
「ねぇ、アリスはどう思う?」
そう問いかけると、アリスは、
「え、あ、私は――」
と困ったように笑みを浮かべ、
「ごめんね、わかんない……」
「まぁ、そうだよね」
言って私は、小さく溜息を吐いたのだった。
紗季が帰って行ったあと、私とアリスは二人で色んなお店を見て回った。
と言っても、行くお店なんて、だいたいいつも決まっている。
「――似合ってる? どうかなぁ?」
リボンいっぱいの白いブラウスを体にあてがいながら、アリスは嬉々として私に訊ねた。
アリスは透き通るような白い肌で、その髪もまた金に近い白だ。
背も低いため、どうかすると私や紗季より一回り以上幼く見える。
けれど、何より一番目立つのは、その可愛らしい服装だった。
水色のワンピースドレスには白いリボンがいくつもあしらわれており、その裾にはアンティーク調のイラストがちりばめられている。
すらりとした脚には白と黒を基調としたニーハイソックス、その靴もまた、小さな丸い厚底パンプスを履いていた。
簡単に言ってしまえば、甘ったるいロリータファッションだ。
淡く青い彼女の瞳と相まって、一見すると、その姿は西洋のお人形さんそのものだ。
肌が弱いので外を歩くときはどんな天気でも黒い日傘を差し、日焼け止めクリームも忘れない。
三十を超してなお若々しいその姿に、私は彼女と会うたび、感嘆の声を漏らした。
かつては彼女に誘われて、私も紗季もその世界に足を踏み入れていたのだけれど、こんなに完ぺきに着こなしたことは一度もない。
アリスはまるで、ロリータ服を着るために生まれてきたんじゃないかと思えるほど可愛らしかった。
別にその所為というわけではないのだけれど、ここ数年、私も紗季もロリータ服なんて一度も袖を通していない。
紗季は結婚を機にすべて処分してしまったそうだし、私もおばあちゃんの部屋に衣装ラックごとそのまま放置してしまっている。
最後に着たのは、果たして何年前だっただろうか――?
この歳でも母子で楽しんでいる友人知人は結構な人数いるのだけれど、私の場合は仕事仕事の毎日を繰り返しているうちに、いつの間にかそこから遠ざかっていたのである。
たまには着たい衝動に駆られたりもするのだけれど――真帆のあの人を小馬鹿にしたような笑いを受けることを考えると、どんどん気持ちが遠のいていくという現実があった。
一方、アリスは就職もせず実家暮らしで、毎日普段着の如くロリータファッションを身にまとっているらしい。
ろくに仕事もしていないようなので、そんな格好で一日中何をしているのか、と訊ねたことがあったのだけれど、アリスはただ曖昧に微笑んで、「秘密」と答えただけだった。
まぁ、彼女の家は相当なお金持ちのようなので、きっと毎日楽しく暮らしているのだろう、たぶん。
「――うん、可愛い!」
私のその一言に、アリスは「えへへ」と満面の笑みを私に返した。
そのあどけない表情に、私は胸をおさえる。
……どうしたらこんなに可愛くなれるんだろう、不思議だ。
年齢を感じさせないその姿に、私は羨望の眼差しを向けた。
こんな可愛いのが、ずっと私のそばにいてくれたらいいのに。
私は大きなため息を一つ吐き、
「……真帆みたいなんじゃなくて、アリスが妹だったら良かったのになぁ」
「え、そう?」
アリスは嬉しそうに、微笑んだ。