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第1話

   1


「なんだ、お姉ちゃんか。お帰りなさい」


 そう口にした真帆に、私は思わずぎょっとした。


 店の隅に置かれた大きな背の高い古時計に目をやり、

「――よし!」

 今が『今』であることを確認する。


 挙動不審な私を見て、真帆はぷぷっといつものように噴き出しながら、

「大丈夫ですよ、今日は使ってませんから」


「あ、あんたねぇ……!」

 そんな真帆を、私はぎろりと睨みつけた。


 以前、何も考えずに引き戸を開けると、未来に通じていたことがあった。


 と言っても、二日後の我が家だ。


 そこには二日後の真帆が居て、時刻も帰宅したはずの夕方ではなく、朝方になっていたのだ。


 あの時ばかりは真帆も「あらあら」と少しばかり驚いていたが、一旦店の外に出て、時間をずらしてから帰宅することによって、私は元の時間の我が家に戻ることができた。


 あれ以来、帰宅したときに真帆がいると、私は思わず警戒するようになってしまった。


 真帆が一週間のうちでまともに仕事をしているのは、僅かに二日だ。


 それ以外の日にどこで何をしているのか、私は知らない。


 ただ、お店自体は毎日営業しているらしく、それを可能にしているのが、店の隅に置かれたあの大きな背の高い古時計だ。


 うちのおじいちゃん(表の古本屋を経営している)よりも相当に古い代物らしく、亡くなったおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんが何処ぞで手に入れた魔法の時計なのだそうだ。


 この時計を起動させると、数週間分の時間がその場に集約されるらしい。


 と言っても、その時間の集約に統合性はない。


 未来にも過去にも繋がってしまうらしく、まだ来ぬ新規客の来店がすでに二、三回目だったりするのだそうだ。


 そんな時、真帆は時計をじっと見つめる。


 すると、その時間に至るまでの自分の『記憶』が流れ込んでくるらしい。


 正直、理屈は解らない。


 とにかく、そういう魔法の道具なのだ。


 それを利用して、真帆は毎日だらだら好きに生きている、というわけだ。


 そんな曖昧で如何にも危険そうな魔法、私としては使って欲しくないのだけれど――


 私は大きなため息を一つ吐き、

「ほんと、真帆はおばあちゃんにそっくりだよね」


 特に、いい加減なところとか。


「どうしてこんな曖昧な魔法を使う気になれるのか、私には到底理解できないよ」


「おねえちゃんが心配しすぎなんですよ」


「……あぁ、はいはい。どうせ私は心配性ですよ」

 言って私は奥へ向かい、暖簾を捲る。


「――そろそろ閉店の時間でしょ? 何か手伝おうか?」

 何となく振り向いて声を掛けると、真帆は首を横に振り、

「大丈夫ですよ。そもそも、そんなに片づけるものなんてないですし」


「ま、そりゃそうか」

 そう答えて、私は自分の部屋に向かった。


 スーツを脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えて台所へ向かう。


「――おう」


 私が着替えている間に戻ってきたのか、おじいちゃんがお茶を飲みながらテレビを観ていた。


 私はエプロンを付けながら、おじいちゃんに訊ねる。


「晩御飯、簡単でいい? 仕事疲れちゃって」


「俺は何でも構わんよ。加奈が作ったものは、何でも美味いからな」


 言って「ふふん」と笑うおじいちゃんの左小指には、銀色に鈍く光る指輪が嵌められている。


 若いころ、おばあちゃんから貰った魔法の指輪だそうだ。


 結婚指輪こそ、今は外しておばあちゃんのと一緒に仏壇に並べているけれど、この指輪だけは外しているところを見たことがない。


 おじいちゃん曰く、「死後の世界か、もし生まれ変わりなんてものがあるんだとしたら、そこでもまたおばあちゃんたちと一緒になれるよう、願掛けしてあるんだよ」だそうだ。


 どんだけおばあちゃんのこと愛してんだよ、って感じだけど、反面、羨ましくもあった。


 ……たぶん、私にはこういう関係、無理だろうなぁ。


 なんて思いながら晩御飯の準備をしつつ、ふと調味料の並ぶ棚に目をやると、

「……ん?」

 そこに、全く同じ調味料――ハーブソルトの小瓶が二つ並んでいた。


 唯一の違いは、片方だけ綺麗にラベルが剥がされていることくらいだろうか。


 中身の量も、小瓶についた傷の位置も、全く同じだ。


「んん? 何これ、どういうこと?」


 何だかわけがわからなかった。


 多分、真帆が何かしたんだろうけど――


 とりあえず、ラベルを剥がしてる方はよけておいて、あとで真帆に聞いてみるか。


 そう思って小瓶をポケットに突っ込んだところで、

「――おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん!」

 突然、真帆が興奮したように叫びながら台所へ走ってきた。


 あの真帆がこんなに興奮しているだなんて珍しい。


 何事だろうか、と振り向くと、台所へ入ってくるなり真帆はぴょんぴょん跳ねながら、

「来ました! ついに来ましたよ!」

 とおじいちゃんの腕を掴んでいる。


 その様子に、

「来たって、誰が?」

 そう問いかけると、真帆は大きな声で、

「――おじいちゃんが!」


 ……は? 何だって?


 私は真帆が何を言っているのかまるで解らず、首を傾げた。


「ごめん、意味が解らない」


 素直にそう口にすると、真帆は「ふふん」と鼻で笑い、

「私とおじいちゃんの秘密です。ねぇ?」


「え? ん? お、おう……」

 かわいい孫娘に抱きつかれて悪い気などするはずもない。


 って言うか、なんで私だけハブられなきゃならんわけ?


「そんなの良いから、どういうことか教えなさい」


 ややキツめに言ってやると、真帆は「ちぇっ」と小さく口にして、

「まぁ、何というか、お店を閉めるときに、ちょっと時計の掃除をしてたんですよ。最近調子が悪かったから、メンテナンスもかねて」


 ――調子悪いものを何故使うのか?


 そう思ったけれど、今は言わないでおく。


「その途中ですね、うっかりあの時計を起動させてしまったわけです」


 ちょっとこう、物の弾みで、と真帆は身振り手振りでその様子を教えてくれたけれど、あんなもの使ったことがないので私にはさっぱり解らなかった。


 まぁ、とりあえず続きを聞こう。


 それで?


「その途端、がらりと店のガラス戸が開いたんです。私も驚いちゃって。で、よくよく見れば、若いころのおじいちゃんでした」


 おしまい、とばかりに真帆はそこで話すのをやめた。


 しばらく待ってみても、にやにやと私の顔を見ているだけだ。


「いや、だから、そうじゃなくて!」


 わざとでしょ、絶対わざと中途半端に話を止めたでしょ、この子!


「なんで若いころのおじいちゃんが来るわけよ。またなんか変なことしてたんじゃないでしょうね?」


「違いますよー」

 と真帆はふふんと笑い、

「おじいちゃんが来ることは、おじいちゃんから前々から聞いてましたから。おじいちゃんはその時、私をおばあちゃんだと思い込んでいたそうです。でも、あとあと考えてみればどうもやっぱり雰囲気が少し違う。もしかしたらあれは私だったんじゃないか、って思ったのが、おばあちゃんが亡くなった後だったそうです。私もあの壊れかけてる時計の事があったので、いつ来るかいつ来るかと思ってたんですけど、ついに! 今日! 今さっき! 若いころのおじいちゃんが来店したわけです!」


 わかりましたか? と何故か上から目線で言われて、私は何だかムカッときた。


「……ふんふん、なるほど。時計の調子が悪いのが原因で、おじいちゃんが若かったころの時代に繋がってしまった、とそういうわけか」


 そうです、そうです、と真帆は嬉しそうに頷く。


 そんな真帆に、私ははっきりと告げる。


「――真帆。もう二度と、あの時計は使わないで」


 その言葉に、真帆はむっとした表情で、

「……なんでですか」


「あんた、今、自分で言ってたじゃない。壊れかけてるって。そんな何が起こるか解らないもの、使わせるわけにはいかないでしょ?」


「大丈夫ですよ、今度の魔女集会で修理部品が手に入るので、問題ありません」


「そういうことじゃなくて!」

 私は思わず声を荒らげていた。


 おじいちゃんは私と真帆の間で眉間に皺を寄せつつ、

「よしなさい、二人とも」

 と口にする。


 ――冗談じゃない。今ここで言わないでどうするのよ!


「前々から気になってたのよ、あの時計。勝手に時間をいじくりまわすような魔法、危なっかしくて見てらんないのよ! もし元の時間に戻れなかったら? もし漫画や映画みたいに変なパラドックスとか起きたらどうするわけ? そんな取り返しがつかなくなるようなもの、使うべきじゃないのよ!」


「――そんなのそうそう起こりません!」

 と真帆も負けじと私に叫ぶ。

「いいですか、私もおばあちゃんのもとでちゃんと魔法の修業を積んだんです! そんなへまするわけないじゃないですか! お姉ちゃんが気にしすぎなんですよ! いちいち私のすることに文句をつけないでくれますか? 私だってもう何年もこの仕事をしてるんです! いったい、いつまで私を子ども扱いするつもりなんですか!」


「何言ってんの! そもそもおばあちゃんはあんたを魔女になんかしたくなかった! それなのに、あんたが勝手におばあちゃんの魔法の道具を持ち出しちゃぁ、危なっかしいことばかりやってるから仕方なく―――!」


「――いい加減にしなさい!」

 おじいちゃんがバンッと机を叩き、立ち上がった。

「いい歳して喧嘩なんかするんじゃない!」


 その言葉に、私は思わず口をつぐむ。


 真帆と睨み合ったまま、鼻息荒く溜息を吐く。


「――部屋に戻る」


 私はそう言って、途中まで準備した晩御飯を放置してエプロンを机の上に投げた。


 真帆とすれ違うように台所を出ようとしたところで、

「……ほんと、お姉ちゃんってつまらない人ですね」


 その一言に、私は、

「――あんたがいい加減すぎるだけでしょ!」


 そう言い返して、台所をあとにした。

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