10
――何となく空気が重いのは、やはり俺の所為だろうか。
見合い当日、俺の両脇には、和服に身を包んだ親父とお袋の姿があった。
目の前には、同じく両親に連れられてやってきた小柄な女性が、やや下を向いて佇んでいる。
結い上げられた髪は美しく、卵のような輪郭の顔には奇麗に化粧が施されていて、その身を包む着物には色鮮やかな花が散らされていた。
俺はというと、いつもと同じスーツ姿。
しかも、しばらく洗っていないので、あちらこちらがよれよれだ。
どうかすると、食事中に零したシミすら見える。
まぁ、とどのつまり、俺はすでにこの見合いに乗り気ではなかったのだ。
かと言って、お断りするにはあまりに直前過ぎて、とりあえず見合いをするだけして、こちらから断られるように仕向けることにした次第である。
もちろん、そんなことはうちの親父にもお袋にも、ジジババにすら言っていない。
俺が勝手に決めたことだ。
双方軽い自己紹介をした後、その微妙な気まずさの中、お袋同士が何やら我が子の自慢話を展開する。
その間、親父も俺も、あちらのお父さんも、だんまりを決め込んでいた。
お嬢さんの方はというと、ちらちらと俺に視線を寄越しては頬を赤く染めている。
こんなだらしない恰好をしているにもかかわらず、俺に好意を抱いているのだろうか。
なんとも奇特な娘さんだ。
そんなことを考えながら、俺は小さく溜息を吐く。
――茶番だ。
こんなの、さっさと終わらせてしまいたかった。
俺にはこの後、大切な用事があるのだから。
それからしばらくして、俺とお嬢さん二人きりの時間を持たされた。
親ばかり喋っていても仕方がない、当人同士で少しは話をしてみろ、とあちらのお父さんがそう口にしたのだ。
その必要なんて微塵も感じなかったけれど、まぁ、ここは言われた通りにしておく。
見合いの場所となった料亭には広い中庭があり、そこを俺たち二人は並んで散策する。
一言も会話をしないまま、錦鯉の泳ぐ小さな池のそばを歩いていると、
「――ごめんなさい」
何故か、お嬢さんが謝ってきた。
「私、何か粗相をしたでしょうか」
俺は思わず眼を見開き、
「な、何のことです?」
そう、訊ねる。
いったいどうしたことか、何も心当たりはないが。
「なんだかずっと、不機嫌な顔をしていらっしゃるので……」
「あ、あぁ――」
俺は顔を綻ばせながら、
「違いますよ、あなたの所為じゃない」
「なら、どうして……」
不安そうに口にするお嬢さんに、俺は頭を掻きながら、
「……全部、俺が悪いんです。最初から断っておけばよかった」
「――っ」
息をのむお嬢さんに、俺は慌てて、
「あ、ご、ごめんなさい。なんて言えばいいのか、その――」
意を決したように、俺は言った。
「実は俺には、好きな人がいるんです」
もう、今更隠す必要もないだろう。
お嬢さんはどこか「やはり」という顔で、
「なら、どうしてすぐにお断りにならなかったんですか? こんな、わざわざ――」
「それは、俺がその人を好きだと気付いたのが、昨日の事だったからです」
「――はい?」
首を傾げるお嬢さんに、俺はスーツのポケットから瓶底眼鏡を取り出す。
「それは……ずいぶん古い眼鏡ですね」
「これを貸してくれた方によれば、掛けると目の前にいる人の顔が、好きな人の顔に変わるんだそうです」
「――はぁ」
信じられない、といった表情で、お嬢さんはそう口にした。
まぁ、当たり前だ。信じられるはずがない。
でも、と俺はその瓶底眼鏡を掛けて、目の前に立つお嬢さんの顔を見つめる。
そこには確かに、俺の好きな人の顔があって――
これを見せられては、もはや否定のしようがなかった。
昨日、試しに掛けた時、目の前の鏡に映る自分の顔が、見事に変わったことによって、俺はようやくその気持ちに気がついた。
どうりであいつの前で眼鏡を掛けてみた時、何も変わらなかったはずだ。
これまで恋愛なんてしたことがなかったから、俺はその感情が何なのか、昨日までまるで理解できていなかったのである。
――でも、今は違う。
「あなたも、試しに掛けてみてください」
俺は眼鏡をはずし、それをお嬢さんの前に差し出した。
「い、いえ、私は――」
露骨に怪しみ、眉間に皺を寄せるお嬢さんに、俺はあいつのように、
「物は試しです。とりあえず、掛けてみてください」
「……はい」
そうしてお嬢さんも、その瓶底眼鏡を掛けてみて、
「――っ! こ、これは……!」
慌てたように、眼鏡をはずした。
「な、なんで、どうして! これ、何なんですか!」
「今、何が見えました?」
俺の問いに、お嬢さんは、
「昔気になっていた、男性の顔が――でも、これは、どうして……」
「魔法の眼鏡、だそうですよ」
「ま、魔法――?」
俺はお嬢さんから眼鏡を受け取り、
「ね? 凄いでしょ?」
言って思わず微笑んだ。
「いったい、何者なんですか、これを貸してくれた方って――」
「魔女、だそうです」
「魔女?」
そう、魔女。
あいつは見事に、俺に恋愛の魔法をかけやがった。
「一見して大人しそうな奴なのに、言うことはいい加減だし、やることは強引だし、人の事を馬鹿にして笑いやがるし――」
正直、良い所なんて外見以外、ひとつも見当たらない。
だけど――
「そういう奴だからこそ、一緒に居て楽しいって思えるんじゃないかって」
俺のつまらない性格や人生に、あいつは一石を投じてくれる、刺激をくれる。
そこにはきっと、楽しい日々が待ち受けているはずなんだ。
「だから、すみません。今回のお見合いは、あなたの方から俺を断ってください。たぶん、その方があなたの為でもあるでしょう」
俺から断ったことにしてしまっては、今後お嬢さんが別のお見合いをする際に、不利になるだろうから、それだけは避けなければならない。
「――そんなの、当たり前じゃないですか!」
お嬢さんは言って、ふんっと鼻息を荒くする。
やはり、怒らせてしまったか。
「それで、あなたはその方に、まだ好きだって、伝えてらっしゃらないんですよね?」
「あ、えぇ、まぁ――」
とりあえず、見合いを終わらせてからって思っていたからな。
「だったら早く行ってください! こんなところで無駄に時間を費やしても仕方がないでしょ!」
「い、いや、しかし……」
「もう! こんなところでウダウダしてどうするんですか! そんな男らしくない人、私の方から願い下げです!」
――男らしくない。
お嬢さんに言われて、俺は思わず目を見張る。
まさか、こんなところでそんなことを言われるなんてな。
このお嬢さん、可愛らしい見た目に反して、なかなかに気丈な方らしい。
「――すまない、ありがとう!」
言って俺は深く深く頭を下げ、そして駆け出した。
何事か、と眼を真丸くする双方の両親の前をそのまま駆け抜け、全速力で料亭を飛び出す。
向かうべき場所は、一つしかない。
彼女の居る、あの場所。
――魔法百貨堂だ。