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第11話

   10


 ――何となく空気が重いのは、やはり俺の所為だろうか。


 見合い当日、俺の両脇には、和服に身を包んだ親父とお袋の姿があった。


 目の前には、同じく両親に連れられてやってきた小柄な女性が、やや下を向いて佇んでいる。


 結い上げられた髪は美しく、卵のような輪郭の顔には奇麗に化粧が施されていて、その身を包む着物には色鮮やかな花が散らされていた。


 俺はというと、いつもと同じスーツ姿。


 しかも、しばらく洗っていないので、あちらこちらがよれよれだ。

 どうかすると、食事中に零したシミすら見える。


 まぁ、とどのつまり、俺はすでにこの見合いに乗り気ではなかったのだ。


 かと言って、お断りするにはあまりに直前過ぎて、とりあえず見合いをするだけして、こちらから断られるように仕向けることにした次第である。


 もちろん、そんなことはうちの親父にもお袋にも、ジジババにすら言っていない。


 俺が勝手に決めたことだ。


 双方軽い自己紹介をした後、その微妙な気まずさの中、お袋同士が何やら我が子の自慢話を展開する。


 その間、親父も俺も、あちらのお父さんも、だんまりを決め込んでいた。


 お嬢さんの方はというと、ちらちらと俺に視線を寄越しては頬を赤く染めている。


 こんなだらしない恰好をしているにもかかわらず、俺に好意を抱いているのだろうか。


 なんとも奇特な娘さんだ。


 そんなことを考えながら、俺は小さく溜息を吐く。


 ――茶番だ。


 こんなの、さっさと終わらせてしまいたかった。


 俺にはこの後、大切な用事があるのだから。


 それからしばらくして、俺とお嬢さん二人きりの時間を持たされた。


 親ばかり喋っていても仕方がない、当人同士で少しは話をしてみろ、とあちらのお父さんがそう口にしたのだ。


 その必要なんて微塵も感じなかったけれど、まぁ、ここは言われた通りにしておく。


 見合いの場所となった料亭には広い中庭があり、そこを俺たち二人は並んで散策する。


 一言も会話をしないまま、錦鯉の泳ぐ小さな池のそばを歩いていると、

「――ごめんなさい」

 何故か、お嬢さんが謝ってきた。


「私、何か粗相をしたでしょうか」


 俺は思わず眼を見開き、

「な、何のことです?」

 そう、訊ねる。


 いったいどうしたことか、何も心当たりはないが。


「なんだかずっと、不機嫌な顔をしていらっしゃるので……」


「あ、あぁ――」

 俺は顔を綻ばせながら、

「違いますよ、あなたの所為じゃない」


「なら、どうして……」

 不安そうに口にするお嬢さんに、俺は頭を掻きながら、

「……全部、俺が悪いんです。最初から断っておけばよかった」


「――っ」

 息をのむお嬢さんに、俺は慌てて、

「あ、ご、ごめんなさい。なんて言えばいいのか、その――」

 意を決したように、俺は言った。


「実は俺には、好きな人がいるんです」


 もう、今更隠す必要もないだろう。


 お嬢さんはどこか「やはり」という顔で、

「なら、どうしてすぐにお断りにならなかったんですか? こんな、わざわざ――」


「それは、俺がその人を好きだと気付いたのが、昨日の事だったからです」


「――はい?」


 首を傾げるお嬢さんに、俺はスーツのポケットから瓶底眼鏡を取り出す。


「それは……ずいぶん古い眼鏡ですね」


「これを貸してくれた方によれば、掛けると目の前にいる人の顔が、好きな人の顔に変わるんだそうです」


「――はぁ」

 信じられない、といった表情で、お嬢さんはそう口にした。


 まぁ、当たり前だ。信じられるはずがない。


 でも、と俺はその瓶底眼鏡を掛けて、目の前に立つお嬢さんの顔を見つめる。


 そこには確かに、俺の好きな人の顔があって――


 これを見せられては、もはや否定のしようがなかった。


 昨日、試しに掛けた時、目の前の鏡に映る自分の顔が、見事に変わったことによって、俺はようやくその気持ちに気がついた。


 どうりであいつの前で眼鏡を掛けてみた時、何も変わらなかったはずだ。


 これまで恋愛なんてしたことがなかったから、俺はその感情が何なのか、昨日までまるで理解できていなかったのである。


 ――でも、今は違う。


「あなたも、試しに掛けてみてください」


 俺は眼鏡をはずし、それをお嬢さんの前に差し出した。


「い、いえ、私は――」


 露骨に怪しみ、眉間に皺を寄せるお嬢さんに、俺はあいつのように、

「物は試しです。とりあえず、掛けてみてください」


「……はい」

 そうしてお嬢さんも、その瓶底眼鏡を掛けてみて、

「――っ! こ、これは……!」

 慌てたように、眼鏡をはずした。


「な、なんで、どうして! これ、何なんですか!」


「今、何が見えました?」


 俺の問いに、お嬢さんは、

「昔気になっていた、男性の顔が――でも、これは、どうして……」


「魔法の眼鏡、だそうですよ」


「ま、魔法――?」


 俺はお嬢さんから眼鏡を受け取り、

「ね? 凄いでしょ?」

 言って思わず微笑んだ。


「いったい、何者なんですか、これを貸してくれた方って――」


「魔女、だそうです」

「魔女?」


 そう、魔女。


 あいつは見事に、俺に恋愛の魔法をかけやがった。


「一見して大人しそうな奴なのに、言うことはいい加減だし、やることは強引だし、人の事を馬鹿にして笑いやがるし――」


 正直、良い所なんて外見以外、ひとつも見当たらない。


 だけど――


「そういう奴だからこそ、一緒に居て楽しいって思えるんじゃないかって」


 俺のつまらない性格や人生に、あいつは一石を投じてくれる、刺激をくれる。


 そこにはきっと、楽しい日々が待ち受けているはずなんだ。


「だから、すみません。今回のお見合いは、あなたの方から俺を断ってください。たぶん、その方があなたの為でもあるでしょう」


 俺から断ったことにしてしまっては、今後お嬢さんが別のお見合いをする際に、不利になるだろうから、それだけは避けなければならない。


「――そんなの、当たり前じゃないですか!」


 お嬢さんは言って、ふんっと鼻息を荒くする。

 やはり、怒らせてしまったか。


「それで、あなたはその方に、まだ好きだって、伝えてらっしゃらないんですよね?」


「あ、えぇ、まぁ――」


 とりあえず、見合いを終わらせてからって思っていたからな。


「だったら早く行ってください! こんなところで無駄に時間を費やしても仕方がないでしょ!」


「い、いや、しかし……」


「もう! こんなところでウダウダしてどうするんですか! そんな男らしくない人、私の方から願い下げです!」


 ――男らしくない。


 お嬢さんに言われて、俺は思わず目を見張る。


 まさか、こんなところでそんなことを言われるなんてな。


 このお嬢さん、可愛らしい見た目に反して、なかなかに気丈な方らしい。


「――すまない、ありがとう!」


 言って俺は深く深く頭を下げ、そして駆け出した。


 何事か、と眼を真丸くする双方の両親の前をそのまま駆け抜け、全速力で料亭を飛び出す。


 向かうべき場所は、一つしかない。


 彼女の居る、あの場所。




 ――魔法百貨堂だ。



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