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第10話

   9


 あれから二日が経過した。


 それなのに、胸のもやもやはなかなか晴れてはくれなかった。


 どうかすると女店主の顔が思い浮かび、指輪を眺める自分がいる。


 いつまで留守にするのかは知らないが、どうにも気になって仕方がなかった。


 何をそんなに気にしているのか、それは俺自身にも解らない。


 ただこの二日間、ずっと喉に何かがつっかえているような感覚がして、なんとも落ち着かなかった。


 ちょっとだけ、ちょっとだけ店を覗いてみよう。


 もしかしたら、もう帰ってきているかもしれない。


 特に用事があるわけではないが――そう、眼鏡だ。


 スーツのポケットに入れっぱなしの瓶底眼鏡、あれを返さなくちゃならない。


 やっぱり、あんな見た目の悪いものじゃない、別のものに取り換えてもらおう。


 ――うん、それがいい。


 そう思った俺は昼休み、再びあの古本屋の前に立っていた。


 この古本屋の中を通り抜けた扉の先に、魔法百貨堂はある。


 店先には一匹の三毛猫が寝ころび、気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。


 古本屋の中を覗き込めば、奥の扉は閉ざされ、手前の小さなカウンターでは一人の老人が新聞を捲っている。


 あの女店主の祖父だろうその老人とは、これまで一度もまともに話をしたことがなかった。


 何となくムスッとした表情が、話しかけるのを拒んでいるような気がするのだ。


 あんな顔で、果たしてこの古本屋はやっていけているんだろうか。


 いつ来てもほとんど客が居ないんだが……


 そんなことを考えていると、ふと老人が顔を上げた。


 視線が交わり、何となく頭を下げて挨拶する。


 このまま立ち去ってもよかったのだが、気付くと俺は、古本屋の店内へ足を踏み入れていた。


 古本独特の臭いの中、俺は老人の座るカウンターへ歩みを進める。


「――あいつなら、しばらく留守だ。悪いね」

 そう口にした老人に、俺は、

「あぁ、いえ――」

 と首を横に振り、

「あの――お孫さん、ですかね。どこへ行ってるんです?」

「ん? 確か、魔女集会があるとかなんとか、そう言っていたが」


 魔女集会――なんだ、それは。


「二日くらい前に、友達と二人で出かけて行ったよ」


「友達……男、ですか?」


 何となく口にすると、老人は「へっ」と嘲るような笑みを浮かべ、

「――なんだ、兄ちゃん。気になるのか?」


「え、いえ、その――まぁ」


 気にならないと言えば嘘になる。


 これだけ長い間留守にするのだ。


 いったい誰と何処へ行くのかぐらい、聞いたっていいじゃないか。


「安心しろ、女だ」

 老人は言って目を細め、

「確か、ミキエって娘じゃなかったかな」


「ミキエ……」


 十中八九、ミキちゃんのことだ。


 でも、二人で『魔女集会』って……どういうことだ?


 まさか、ミキちゃんも……?


「魔女集会って言っても、あいつの話じゃぁ、婦人会みたいなものだとかなんとか訳の分からんことを言っていたな」


「ふ、婦人会……?」


 何となくおばちゃんばかりが居るような印象があって、あの女店主とそぐわない。


 いったい、どういう集まりなんだ……?


「まぁ、兄ちゃんの想像するようなことはないから、安心しな。あと何日もしないうちに土産を持って帰ってくるだろうから、悪いがそん時にもう一度来てくれや」


 そう言って、老人は俺の返事を待つことなく、再び新聞に視線を落とした。


 俺は無言で頭を下げると、そそくさと古本屋をあとにする。


 やたらと強い日差しに左腕を伸ばし、その手で煌めく太陽を遮った。


 空には雲一つなく、どこまでも、どこまでも、透明な青が続いていた。


 その左手の小指で鈍く光る指輪に俺は目をやり、思わず笑みを零していた。


 気のせいか、胸のもやもやが僅かに晴れたような気がする。


 俺は大きく伸びをすると、ゆっくりと息を吐いた。


 ポケットに手を突っ込み、例の瓶底眼鏡があるのを確かめる。


 まぁ、まだ帰ってきていないというのなら、仕方がない。


 このまま見合いの日まで、持っていようじゃないか。


 返しに来るのは、そのあとでも構わない。


「さて、会社に戻るか」


 そう独り言ちて、俺は鼻歌交じりに、歩きだした。

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