7
翌日の昼、俺は約束通り、魔法百貨堂をもう一度訪ねた。
「――あ、おかえりなさい」
ガラス戸を開けるなり女店主がそう口にしたので、俺は面食らった。
なんだなんだ、家人の誰かと間違えたのか?
困惑しながら女を見ていると、
「ここ最近、よく来られるので、旅館風に言ってみました。ダメでしたか?」
微笑む彼女に、俺は、
「い、いや、そんなことは――」
どちらかと言うと、来いというから来ているだけなんだが……
「なら、やっぱり、おかえりなさい」
もう一度そう言う女店主に、
「た、ただいま……」
そう返した途端、何だかやたらと背中がむず痒くなる。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
俺の返事に満足したのか、女は嬉しそうににっこり笑うと、
「そうそう、なかなか面白いものを見つけましたよ!」
と言って、ひょいっとカウンターの上に一本の古そうな眼鏡を置いた。
なんだ、この瓶底眼鏡は?
「何年か前に、掘り出し物市で見つけたものなんですけどね」
彼女の言葉に、
「――掘り出し物市?」
と思わず呟く。
これまた怪しげな言葉が出てきやがったぞ。
ただでさえ怪しい店なのに、ますます怪しいじゃないか。
「ただの掘り出し物市じゃないですよ? 定期的に催されてる魔法使いの掘り出し物市です。普通では手に入らない珍品が手に入ったりして、なかなか面白いんですよ」
「はぁ、魔法使いの」
怪しさ満点だな、おい。
「まぁ、大概は魔法の実験や魔法具の製作中に、たまたま出来上がった失敗作の不要品処分が主な目的だったりもするんですけどね、売り手としては」
「――おいおいおい、大丈夫なのかよ、そんなの」
「大丈夫じゃないです? そこまで危険なものなら売りに出したりしませんって。魔法使いとしての信用ってのもありますし」
「……はぁ、そんなもんかね」
よくわからん。
「で、その瓶底眼鏡にはどんな効果があるんだ? まさか、そんなもんで魅力が増すとか言うんじゃないだろうな?」
「確かに眼鏡好きな女性もいらっしゃるかも知れませんけど、これには特別そんな力はないですね。逆に時代遅れな感じがして嫌煙されそうな気もします」
じゃぁ、駄目じゃないか。
「この眼鏡はですね、作った方の説明によると、掛けると嫌いなものが好きなものに見えるそうです」
俺はその眼鏡を手に取ると矯めつ眇めつしながら、
「なんだそれ、どういうことだ?」
「その方はもともとお子さんの偏食に困ってらして、これさえ掛ければあら不思議、嫌いな食べ物が好きな食べ物に見えてちゃんと食べられるようになる、ってのを作ろうとしていたそうなんですけど、結局失敗して、食べ物じゃなくて人の顔が違うふうに見えるものができちゃったんだそうです」
ふうん? 人の顔がね。
思いながら、試しに眼鏡を掛けてみる。
「……」
「どうですか?」
……うん、何も変わらん。
試しに掛けたり外したりを何度か繰り返してみたけれど、特に何かしらの魔法を感じたりすることもなかった。
「――何も変わらないけど、大丈夫なんだろうな、これ」
「さぁ? 私は試していないので」
その言葉に、俺は眼鏡を外しつつ、
「……適当にもほどがあるだろう、お前」
と思わず呆れてしまうのだった。
彼女はおかしそうにくすくす笑うと、
「まぁ、物は試しですよ」
前にも言われたな、その言葉。
「で? これでどうしろって?」
そう訊ねると、
「お見合いの時に掛けてみてください。どんなに気に入らない相手でも、好きな相手に早変わり、きっといい恋と結婚ができますよ。一石二鳥でしょう?」
「――なんだって?」
おいおい、そりゃどういうことだ?
「いえ、お見合いするってことは、結局のところ、結婚を前提に話を進めているってことですよね?」
まぁ、そうだな、こちらが相手を気に入って、あちらも俺を気に入ればな。
「だとして、それとは別に恋愛なんかしちゃったら、それこそ浮気や不倫になっちゃうじゃないですか」
「……あぁ、まぁ」
そうか、そうなるのか。
結婚する相手と恋愛する相手、どちらも同時に存在することになるわけか。
それは――男らしくないな。
男たるもの、一人の女性を貫くべきだ、うん。
「なら、いっそお見合いする方と恋愛すればいいんじゃないかと。この眼鏡があれば、どんなに気に入らない顔の相手でも好きな顔に見えるので、ちょうどいいじゃないですか」
うんうん――うん?
思わず俺は首を傾げる。
「それ、なんか違うんじゃないか?」
「はて、何がでしょう?」
「いや、だって、相手の顔が好きな顔に見えるってだけで、元の顔はそのままなんだろう?」
「そうですね」
当たり前じゃないか、みたいな顔をしやがる。
「だって綾信さん、最初から言ってたじゃないですか。ジジババの持ってくる見合いで結婚できればそれでいいって。それって、あんまり相手にはこだわらないってことだと私は思ったんですけど、違いました?」
「いや、まぁ、そうだけど――」
「それなら、元の顔なんてどうでもいいじゃないですか。むしろ眼鏡を掛ければそこに好きな顔が見えるんですよ? ちょうどいいじゃないですか」
「えぇ…… それは、なんか違うような……」
言い淀む俺に、女は頬を膨らませて、
「――もう、綾信さん、面倒くさいです! つべこべ言わずに試してみてください!」
な、なんかまた押し切ろうとしてるぞ、この女。
……まぁ、もう、別に良いけどな。
俺はその眼鏡を懐にしまうと、
「で、いくらだ?」
指輪も香水もタダで貰っているから、流石に今回は払うべきだろう。
そう思っていると、
「あ、お代は要りません。というより、あとで返してください」
「――ん? それは貸し出しってことか」
「はい。一応、それなりに高かったので」
値段の問題かよ!
……ってことは、また来なきゃならんのか。
「まぁ、良いけど」
「あぁ、あとですね」
と女店主は思い出したように言って両手を合わせると、
「私、明日からしばらく留守にしますので、お店もお休みします」
「――はぁ」
だから?
「もし私に会いたくなっても居ませんので、悪しからず」
「……わかった」
会いたく――なるか?
俺は思わず女の顔を見つめる。
そこにはあの、優し気な微笑みがあって――
「どうかしましたか?」
「あ、あぁ、いや、なんでもない!」
俺は言って、慌てて踵を返した。
「じ、じゃぁ、俺は帰るよ。ありがとな、また来るよ」
はい、と女の声が後ろで聞こえる。
「それじゃぁ、次のご来店、お待ちしてますね」