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「ぷ、ぷぷぷっ!」
必死に笑いを堪えようとしながらも、そんな音を口から漏らす女店主に、俺は、
「笑うなよ、大変だったんだぞ、こっちは」
と僅かばかり抗議した。
一夜明けた翌日。
俺は外回りと称して、魔法百貨堂を訪れていた。
昨夜のことを語って聞かせると、女は次第にニヤニヤと笑い始め、最終的にはさっきみたいに噴き出すように笑いやがったのだ。
「でも、よかったじゃないですか」
と女はカウンターに両肘をつきながら、その手に顎を乗せつつ、
「商談はそのままだったんでしょう? なら、問題ないですよ」
「あのね、そうは言っても、次はないって釘を刺されちゃったんだぞ、俺。問題ないことはないだろうが」
溜息と共に吐き出してやると、女は、
「そうですか? 丸く収まればそれでいいと私は思いますけど……」
「だいたい、あの香水の所為だぞ、俺があんな目に遭ったのは」
それに対して、女はニヤリと笑みを浮かべると上半身を起こしながら、
「――そうですね、そうかも知れませんね、ごめんなさい!」
言いながらも、悪びれた様子なんて微塵もなかった。
やれやれ、だ。
「で、結局恋愛も糞もないままなんだが?」
「おかしいですねぇ、効いてるはずなんですけど、魔法」
やっぱりインチキなんじゃないだろうな?
いや、そもそも魔法なんてものがあるなんて、思っていないわけではあるんだが……
「まぁ、大丈夫ですよ」
女はにっこりと微笑んで、
「そのうち、ちゃんと効いてきますから!」
「……本当だろうな?」
どうにも胡散臭いんだよなぁ、やっぱり。
思いながら、俺は女店主の顔をまじまじ見つめる。
端正な顔立ちに幸せそうな微笑みなんか浮かべやがって、もしかして俺をもてあそんでいるだけなんじゃないだろうな?
……なんか、憎たらしくなってきたぞ。
「なに笑ってんだよ、こんにゃろう!」
俺は思わず女の顔に両手を伸ばすと、その柔らかい頬を摘まんでいた。
女は別段嫌がるふうもなく、
「にゃ、にゃにふるんでふかぁ!」
とされるがまま口にする。
ちょっとだけやり返した感を満喫し、俺は女の頬から手を離した。
「次はちゃんとした魔法にしてくれよ?」
俺の言葉に、女は頬を擦りながら、
「いつでもちゃんとしてますよー」
とぶうぶう唇を尖らせる。
「どうだかな」
俺はふっと笑みを漏らした。
「次は……そうですねぇ」
と女は唇に指をあてつつ、目を瞑って思案する。
「あぁ! 惚れ薬なんてどうですか?」
「惚れ薬?」
なんだ、そのあまりにそれっぽいそれは。
「名前の通り、相手を自分に惚れさせる薬です」
「いや、だから、その相手が居ないから困ってるんじゃないか――」
「あ、違います、違います。相手に飲ませるんじゃなくて、むしろ自分が飲むんですよ!」
――は? どういうことだ?
「ですから、綾信さんはご自身が恋愛できればそれでいいんでしょう? だったら、適当に相手を見繕って、自ら惚れ薬を飲めばいいんですよ。そうすれば、あら不思議、目の前にいるその人を好きで好きでたまらなくなってるって寸法です」
どうだ、とばかりに胸を張る女。
え、いや、でも、それって――
「それ、恋愛って言えるのか?」
その一言に、女はキョトンとした顔になり、
「と、言うと?」
「いや、それって要は、薬の力で人の心を無理やり捻じ曲げてるってことだろう?」
「えぇ、まぁ……そうですね」
「それって、恋愛なのか?」
なんか違う気がする。果たしてそれを、恋愛なんて呼べるのだろうか。
恋愛って、もっと自然なものだと思ってたんだけど――
「まぁ、恋なんてしたことのない俺が言うのもなんだがな」
女店主はしばらく俺の顔をまじまじと見つめると、
「ふぅん、なるほど……」
と小さく頷く。
「そんなこと考えてるから、綾信さんは恋愛ができないんですね」
……なんだって?
「どういう意味だ?」
「だから、綾信さんは恋愛に対して夢を見てるって言うか、理屈っぽいって言うか――」
「夢見てる? 俺が?」
そんなこと、初めて言われたぞ。
「あと、もしかしたら理想が高いんじゃないですかね。こう、恋愛に対して身構えてるって感じでしょうか」
俺は思わずぽかんと口を開ける。
そんなこと、考えたこともなかった。
「もう少し気楽にしても良いんじゃないです? 恋に発展するかどうかは置いといて、もっといろんな女性と親しくなってみればいいんですよ。そうすれば、そのうち誰かに恋しちゃうかもしれないじゃないですか」
いや、でも、しかし――
本当に、そんなことでいいのか?
そんな軽い気持ちで女性と付き合うだなんて――
「近くに適当な女性、居ませんか? こないだの山田さんとかどうです?」
そんな、軽はずみな気持ちで、女性と――
ダメだ、考えられない。
そんなの、全然男らしくない。
「あるいは――私、とか?」
「――へ?」
その瞬間、俺の思考は停止する。
目の前の女をじっと見つめ――思わず息をのんだ。
優しげなその微笑みが俺に向けられ、大きな瞳が俺を見つめる。
清潔感のある服装、やや背は低いけれど、均整の取れた身体――
これは、けど、しかし……
「――ぷ、ぷぷっ! 冗談ですよ! 本気にしないでください!」
「あ、あぁ、冗談か――」
俺はいったい、何を焦っていたんだろうか――
「まぁ、それは置いといて、明日また来てください。何か適当な魔法を探しておきますから」
「え、あぁ、うん――」
俺は曖昧な返事をして、一歩あと退る。
明らかに俺は動揺している――なぜ?
そんな俺に構うことなく、女は、
「そう言えば、来週お見合いって言ってましたよね? 具体的にはいつです?」
「た、確か、次の祝日だったはずだ。だから、そう、五日後……」
「五日後……まぁ、それだけあればなんとかなると思います」
「なんとかって……?」
「五日もあれば、適当に恋愛ぐらいできるでしょう」
て、適当って…… そんな……
「楽しみにしててくださいね!」
言って満面の笑みを浮かべる女店主に、俺はそれ以上、何も言えなかった。