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「――断ったんですか?」
仕事帰り、俺は女店主に言われた通り、結果を報告しに魔法百貨堂を訪れていた。
表のガラス戸からは西日が差し込み、静かな店内を橙色に染め上げている。
その光に照らされた女店主は、やはり落胆したのか、小さく溜息を吐くと、
「どうして断ったんです? 良い機会だったかもしれないのに……」
「そうは言うけどな」
と俺も負けじと溜息を吐いた。
「そもそもうちは社内恋愛禁止だって言っただろう? 要らん問題起こして、クビになりたくないからな」
「そこまで厳しいんですか? 綾信さんの会社って」
「まぁな」
と俺は頷き、
「昔、社内恋愛してた奴らが居て、会社の中で色々やらかしちまったらしくてな。怒り狂った社長が、そいつらをクビにして、大々的に禁止にしたんだ」
「色々やらかしちまった、というと?」
……ん? わざわざそこを訊いてくるのか?
ふと女の顔を見れば、不思議そうに首を傾げている。
まさか、本当に解らないのか?
まぁ、こんなところで一人店をやっていれば、解るはずもないか。
とはいえ、そんなこと、俺の口から言えるはずもない。
「いや、だから、それは――色々だ。俺も詳しいことは知らん」
適当にはぐらかすと、女は「そうですか」とさほど興味無さげに小さく答えた。
……え、良かったのか? あんな答えで。
もう少し、しつこく訊いてきそうな気がしたんだけど、別にどうでもいいらしい。
まぁ、彼女がそれでいいのなら別に構わないが……
それから女店主はパンっと両掌を打ち合わせると、
「――じゃぁ、次、試してみましょうか!」
にっこり微笑みながら言って、すっと、どこからともなく小さな瓶を取り出した。
……やはり、空中から突然出てきたようにしか見えなかった。
こりゃぁ、相当に上手い手品だぞ。
こんなところで怪しげな店なんかやるより、外に出て手品師として興行に出た方が儲かるんじゃないか?
いや、そんなことより、
「もうすでに指輪があるってのに、まだ次があるのか?」
俺が問うと、女は「はい」と言って頷き、
「指輪はあくまでおまじない程度の力しかありませんから。次はもう少し、力の強い魔法を試してみようかと思いまして」
「力の強い魔法?」
首を傾げる俺に、女は、
「そうです、今度はこれ、魔法の香水です」
その瞬間、俺は自然と眉間に皺を寄せていた。
指輪の次は香水だって?
まさか、それを俺に振りかけようってんじゃないだろうな?
「おいおい、よしてくれよ。男が香水だなんて……」
「え? いけませんか?」
キョトンとする女店主。
まさか、本気だったのか?
「あのな、俺は男なの。そんなもんかけて会社に行ってみろ。たちまち笑いものになっちまうだろうが」
「えー、そんなことありませんってー!」
と女は唇を尖らせながら抗議する。
「私の知ってる男性も、しょっちゅうこの香水をつけてますよ?」
「嘘だろ? どこのどいつだ、そいつは」
「――気になりますか?」
ニヤリと笑う女店主。
なんだ、その表情は?
「――私の父です!」
胸を張るように言われて、俺は「えっ」と口にする。
「……お前の親父さん、そんなもんつけてるのか?」
すると女は頬を膨らませながら、
「そんなもんって、失礼ですね! ご婦人の方々にはそこそこ好評なんですからね!」
「あ、あぁ、悪かった。すまん、すまん」
とりあえず謝っておく。
いや、でも、しかし――
「それだとお前の親父さん、大丈夫なのか?」
「……何がです?」
キョトンとする女に、俺は、
「いや、だって、これ恋愛の魔法なんだろう?」
「はい、そうですね」
「そんなもんつけてたら、無駄に女が寄ってこないか?」
「あぁ、それは大丈夫ですよ、薄めてますから」
ん? どういうことだ?
「こういう魔法の薬はですね、その濃度を調整することによって、効果を変えているんです。うちの父は集客のために、極力薄めたものを使用しているんですよ」
「はぁ、なるほど」
わかったような、わからんような?
首を傾げる俺に、女はやや痺れを切らしたように、
「と、に、か、く!」
と大きめの声で顔を近づけてくると、
「一度試してみてください! 文句はまた来た時に伺いますので!」
あまりの顔の近さに気圧された俺は、
「わ、わかった……」
そう答えることしか、できなかった。