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「いらっしゃいませ。どのような魔法をお探しですか?」
真帆さんがいつもの営業スマイルでいつもの言葉を口にした。
この笑顔の可愛らしさといったら、女の私ですら引き込まれそうなほど愛想が良い。
けれどご多分に漏れず、その笑顔が心からのものであるとは限らない事をわたしは知っている。
真帆さんは特にそういう人だ。
男の子はちらりとわたしの方を見て、再び視線を真帆さんに戻した。
それからゆっくりとカウンターまで歩み寄ると、もう一度わたしに顔を向けてくる。
お、なんだ少年。わたしの可愛らしさに見惚れてるのかな?
なんて思いながらわたしは男の子にウィンクしてやる。
どうだ、サマになってるでしょ?
「……?」
少年の、不審者を見るようなその視線。
やめて! そんな目でわたしを見ないで! 何だか恥ずかしくなるから!
外してしまったことに赤面しながら真帆さんに目を向ければ、あの、人を小馬鹿にしたような目で口の端をニヤリとしている。
「ごめんなさいね、あのお姉ちゃん、ちょっと変わってるから。気にしないであげて」
こんにゃろう、あとで覚えてなさいよ!
わたしがプンスカしてる姿を首を傾げながら見ていた男の子、ふぅん? と鼻で返事をして真帆さんに顔を向けやがる。
ああ、腹立たしい! 腹立たしい!
「それで、どんな魔法をお探しですか?」
改めて問う真帆さんに、男の子は少し迷ったような表情を浮かべ、意を決したように口を開いた。
「人を呪い殺す魔法が欲しいんだ」
……は?
わたしは思わず目を丸くして閉口した。
いま、なんつった?
男の子は背が低く、見た感じ小学生の低学年くらいだろうか。髪は短くも長くもなく、これで眼鏡を掛けていたらぱっと見は優等生然とした雰囲気をしている。
可愛らしい顔立ちで、どうかしたら美少年と言ったって良いかもしれない。
真帆さんも男の子の発言に驚いたのか、というほどの顔でもなく、あの微笑みを浮かべたまま、
「う〜ん、魔法で呪い殺すより、ナイフか何かで一思いにプスッとやっちゃった方が早いと思いますよ?」
と、とんでもないことを言いやがった!
「ちょ、ちょっと真帆さん!?」
思わずツッこんでしまうわたし。
「小学生の男の子になんてこと言ってんの!」
けれど真帆さんは口を尖らせながら、
「えーっ、だって人を呪わば穴二つって言うじゃないですかー。準備するのだって面倒臭いですし、それよりも一思いにやっちゃった方がリスクも少ないと思いません?」
「そうかも知れないけど! そうじゃなくて!」
焦るわたし。微笑む真帆さん。
その間で、男の子は首を横に振った。
「そんなことしたら警察に捕まっちゃうじゃないか! だから魔法じゃないと!」
いやいや、あんたもそうだけどそうじゃないでしょ!
真帆さんは「ふん」と小さく鼻を鳴らして、
「どうして魔法を使ってまでして殺したいんです? それに、いったい誰を殺そうっていうんですか? もしかして意地悪な継母とか? でしたら別に殺さなくとも永遠に遠ざけてしまえば良いわけですから、この魔法の扇を使えばたちどころに地球の裏側まで吹っ飛ばしてくれますよ?」
おふざけモードに入った真帆さんは、何処から取り出したのか、ニヤニヤしながら扇を見せる。
けれど男の子は激しく首を横に振ってそれを拒んだ。
はて、どうしたものか……
真帆さんはそんな男の子に優しげな微笑みを浮かべて首を僅かに傾げながら、
「……おはなし、聞かせていただけますか?」
男の子はしばらく黙りこくっていたけれど、やがてゆっくりと、口を開いた。
「ぼく……いじめられてるんだ」
いじめ、と聞いてわたしはさぞ陰惨な目にあったに違いないと想像を巡らせた。
例えば仲間外れにされた、教科書を隠された、捨てられた、上靴の中に画鋲を入れられた、なんて定番から始まり、ネットに個人情報や殴られたり蹴られたりしてる動画を晒されたり……とか、いじめられた経験のないわたしには凡そ理解できない、知り得ない目に合わされているに違いない。
「いじめられてるって、何をされてるんです?」
真帆さんの問いに、少年は歯を食いしばるようにして小さな声で、
「あいつ、学校の行き帰りにいつも僕の手やランドセルを引っ張ったり、突き飛ばしたりするんだ」
「へぇ」
真帆さんはけれどいつもの調子で、興味なさげに相槌を打つ。
気のせいか視線は時計に向いていて、これはまともに聞く気がないな、と私はため息を吐き、
「他には?」
「僕のノートを勝手に持っていって隠したり、じっと僕を睨みつけてくるんだ。それからいつもいつも早くしろ、ノロマって言ってきて……」
ふぅん。定番といえば定番。この分ならあまり大した問題じゃなさそうだ。
けど、この小さないじめから段々とエスカレートしていく可能性だって十分にある。
何より、いじめられて何を思うか、感じるかはこの子次第だ。この子にとっては今、この件は相手を殺したいくらいに重大案件なんだろう。
でも、殺すってのはさすがに穏やかじゃないなぁ。
なんて思っていると、
「まあ、それはタイヘン!」
……真帆さんは明らかに大袈裟な態度でそう言った。
嘘だ。絶対に何も思ってないぞ、この女。
「さぞ、辛かったでしょう、よしよし!」
真帆さんは言いながら男の子の頭を優しく撫でる。
撫でられている男の子の方はというと、まんざらでもない様子で恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
まるで子犬か子猫のような可愛らしさだ。
なんだその表情は、可愛いぞこの野郎!
ここは私もお姉さんらしく一緒に撫でてやるか、と手を伸ばしたところで、
「そんな時にはこれです!」
と私の目の前に真帆さんの背中が立ちふさがり、その手を阻んだ。
わざとか? わざとなのか、この女!
真帆さんは後ろで殺意を抱くわたしを無視して、ぱっとその手に何やら小さな土人形を取り出した。
「直接手を下したくない方にお勧め、古代の魔獣が封印されたこちらの土人形はいかがです?」
魔獣、と聞いて男の子眼が僅かに光った。
男の子って好きだよね、そういうの。
きっと頭の中では大人気カードゲームのイメージが湧いているのに違いない。
そのイメージであってるか、って言ったら、きっと真帆さんの事だから違う気がするけど。
「それ、強いの?」
ほら見ろ、意識が強いかどうかになっちゃってるじゃん。
男の子の期待の眼差しに、真帆さんは「もちろん」と言ってにっこり微笑む。
「これを地面に叩きつけると中から大きな鳥の魔獣が現れます。三本足の真っ黒い、カラスみたいな大きな鳥です。かっこいいでしょう? あとはその魔獣にいじめっ子を食べてもらえばいいんです。ほら、簡単でしょう?」
なにが簡単でしょう、だ! と私は思わず突っ込みそうだった。
目を輝かせている男の子の手前、私はその言葉を飲み込んだけれど。
想像してみればいい。巨大なカラスが虫を喰らうように小さな子供を食い殺すのだ。
なんておぞましい……!
まぁ、真帆さんの事だから本当にそんなものを渡すのか判らないけれど。
多分、きっと、大丈夫。
いや、でも、真帆さんだしなぁ……
或いは、もしかして――?
なんて一人頭を悩ませていると、当の真帆さんはその土人形を男の子に手渡しながら、
「ただし、これを使うときは誰も居ない広い場所にしてください。そうでないと、その場にいる全員を食い殺してしまうかもしれません。いいですか?」
まるで学校の先生のように、指導する。
「はい!」
男の子もいい返事。優等生然としている。
いったい、こんないい子をいじめてる子って、どういう子なんだろう。
いや、むしろこんないい子で美少年だからこそ、眼を付けられるのか。
わたしも結構可愛い方だから、今まで色々嫌味は言われてきたけれど、その都度ギャンギャン言い返していたら、いつしか何も言われなくなったなぁ。陰では知らないけど。
出る杭は打たれる、そういうことだね、うんうん。
……。
………。
…………。
自分で思って恥ずかしくなってきたところで、
「そうですね」
と真帆さんは口元に手を当てながら、
「大地くんの家の近くに、空白公園ってありましたよね? 山の上の広い公園」
「うん」
と美少年はこくりと頷く。
「あそこなんて丁度いいんじゃないです? 普段、そんなに人も居ませんし、居たとしても多少の犠牲は仕方がありません。諦めてもらいましょう」
は?
「そうですね!」
いやいや、ダメでしょ、他に犠牲者出しちゃダメでしょう!
「え、ちょっと、流石にそれは!」
とわたしが口にしようとするのを、
「よし、決まりですね! 明日の夕方、雄太くんを空白公園に呼び出して食い殺してもらいましょう!」
真帆さんが大きな声で、男の子の背を店の出入り口に押しやった。
心なし楽しそうに見えるのは気のせいか? 気のせいであってほしい!
じゃない、止めなきゃ!
「ちょっと、真帆さん!」
「いやぁ、明日の夕方が楽しみですねぇ! 大地くん!」
「はい! 楽しみです!」
がらり、ぴしゃっ!
あっという間に男の子を送り出し、真帆さんは嬉々として帰っていく男の子の背中に笑顔で手を振った。
「い、いいの? あんなもの渡して! そんな物騒なものじゃないんですよね、ホントは?」
そんなわたしの質問に、真帆さんは「んん?」と笑顔のまま振り向いて、
「本物ですよ、超巨大人食いカラスが召喚されます。楽しみですねぇ、どうなっちゃうのか! ぷぷっ!」
言って鼻歌を歌いながら、店の奥へと引っ込んでいった。
「――えぇ、マジ?」
わたしのその一言は、たぶん、誰の耳にも届かなかった。