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第8話

   7


 待ち合わせは駅前の噴水の前だった。


 ここから高速バスに乗り、ちょっと遠い県境の水族館へ行くのだ。


 噴水の周りにはわたしと同じように待ち合わせをしているらしい人がたくさん居て、他にもどこへ行くのだろう、様々な人々が引っ切り無しに行き来している。


 類人くんはなかなか姿を現さなかった。


 気持ちばかりが急いているからだろうか、待っている間の時間が酷く長く感じ、段々と不安になってくる。


 バスが停留所に着いた頃になって、類人くんはようやくコンビニの袋を提げてやってきた。


「ごめん、ごめん。何が良いか迷ってたら遅くなっちゃった……」


 そう言って開いて見せてくれた袋の中にはおにぎりやサンドイッチ、お茶、他にもお菓子がたくさん入っている。


「あ、ありがとう……!」

 お礼を言って財布を取り出すわたしを、けれど類人くんは、

「いいよ、いいよ。俺のオゴリ!」

 と太陽みたいな笑顔で言った。


 その時、バスの運転手さんが、

「あと十分ほどで出発します!」

 と叫び、わたしたちは大慌てで窓口で切符を買い、乗り込んだ。


 普段あまり乗ることのない大型のバスに戸惑うわたしを、類人くんは慣れたように優しくエスコートしてくれる。


 よく他所の学校の試合を見にいくのに使ってるんだ、と言いながら、類人くんはわたしを窓側の椅子に座らせてくれた。


 その隣に座る類人くんは、ふとわたしの姿をマジマジと見つめ、

「いいね、その服。なんだか凄い大人っぽいし、可愛いね」


 その言葉に、わたしは顔を真っ赤にしながら小さく、

「あ、ありがとう……」

 言って恥ずかしさのあまり類人くんの顔を直視できず、俯いてしまう。


 そんなわたしに、類人くんは楽しそうに笑った。


「あと何だかいい香りがする。なんだろう……?」


「あ、あの、バラの香水を、ちょっと…… ごめんね、匂い、強かったかな……」


「そんなことないよ! なんだか大人っぽくてさ、ドキドキしちゃってさ…… あ、ああ、ほら」

 と類人くんは慌てたようにコンビニの袋から中身を取り出しつつ、

「ど、どれが良い? 好きなの選んでよ」


「あ、ありがと……」

 と、わたしがサンドイッチを選んだのと同時に、バスがゆっくりと動き出した。


 油断していたせいか、その揺れで思わずわたしはバランスを崩しかけて、思わず類人くんの腕を掴んでしまう。


「あ、ご、ごめんなさい……!」

「だ、大丈夫、気にしないで」


 類人くんも頬を朱に染めながら、恥ずかしそうに笑うのだった。





 バスに揺られること約一時間半。わたしたちは県境の水族館に辿り着いた。


 水族館は思っていたよりも空いていて、数組の家族連れと私達のような男女のカップルがちらほら見受けられる程度だった。


 そんな中、わたしと類人くんはチケットを買い、入り口のゲートを抜ける。


 その先は干潟の生き物を展示したエリア、それに続いて浅瀬を泳ぐ魚たちの水槽が順々に並ぶ。


 手こそ繋いだりしなかったけれど、たぶん他の人から見れば、わたしたちも仲の良いカップルに見えているんじゃないだろうか。


 それが何だか嬉しくて、けれど恥ずかしくて、なんとも言えないフワフワした気分の中、わたしたちはゆっくりと先へ進んだ。


 海辺の生き物のエリアを過ぎ、脇に設けられた川の生き物のエリアを覗く。


 川魚やカエル、亀と順に見ていく中、オオサンショウウオの水槽で類人くんのテンションが一気に上がった。


「すげぇデカい! なぁ、凄くない? 良いよなぁ、オオサンショウウオ!」


 はしゃぐ類人くんの姿は子供っぽくて、けれどキラキラと輝いて見えて、そんな彼を見ているだけでわたしは幸せだった。


 やがてたくさんのクラゲが展示された部屋に入って、

「わぁ、きれい……」

 わたしは思わず、感嘆の声を漏らした。


 色とりどりのライトに照らされたクラゲたちが、ゆらゆらとまるで空を舞うかのように水槽の中を泳いでいた。


 緩慢な動きは、けれどそのゆったりとした時間や空間に於いて、わたしたちの心を癒してくれる。


 幻想的な雰囲気に包まれながら、いつしかわたしたち以外、誰の姿もないことに気がついた。


 二人だけの空間。


 ふと顔を向けた先、類人くんと視線が交わる。


 高鳴る鼓動。二人の吐息。


「……柴田」

「……類人くん」


 類人くんが一歩前に踏み出し、すぐ目の前に彼の顔が迫った。


 両肩に触れられる類人くんの手は暖かく、わたしは思わず目を瞑る。


 すっと顔を寄せてくる類人くんの気配。


 唇と唇が触れ合いそうになったその瞬間。


 ふいに、あのバラの香りが鼻を過ぎった。


「……あれ? 類人?」


 突然の声に、わたしたちはばっと顔を向ける。


「……誰、それ。どういうこと……?」


 そこには派手な化粧をした、隣のクラスの片岡さんの姿があった。


 クラゲ部屋の入り口で大きく目を見開き、立ち尽くしている。


「あ、いや、これは……」

 途端に狼狽え始める類人くん。


 これは、いったい……


 あまりのことに、わたしも慌てた。


 何だかいけない事をしていたみたいな気がして、わたしも動けない。


 そんなふうに微妙な空気が流れる中。


「え、なに、なんで類人がいるワケ?」


 片岡さんの後ろから、また一人、女の子が顔を覗かせる。3年生の緒方先輩だ。


 眉間に皺を寄せながら、一歩踏み出す緒方先輩。


「えっと、コレは……?」

 と口にしたのは、更に後ろから姿を現した見知らぬ女の子。


 以降、まるで湧いて出るかのように次から次へと女の子がやってくる。


 なに、何なのいったい!?


「類人、コレどういうこと? この女どもは何なワケ? ねぇ、どういうことよ?」

 緒方先輩が先頭に立ち、類人くんに詰め寄る。

「あんたから話があるから来いってメールが届いたから来てみれば……!」


 その言葉に、後ろに控える片岡さん以下女の子全員が「私も!」「あたしも!」と続く。


「え、えぇっ?」

 蒼褪めながら、後ずさりする類人くん。

「お、俺そんなメール全然……」


「ねぇ、どういうことか、説明してくれるよね……?」


 緒方先輩の、その鬼のような形相に。


「う、うわぁあぁぁぁっっ!」


 唐突に叫び声を上げ、全力疾走で逃げ出す類人くん。


「あ、待てコラ! 逃げんなぁあぁぁぁっ!」


 その後を、緒方先輩率いる女の子が全員で追いかけて行く。


「え、えぇ……?」


 一人ぽつんと取り残されたわたしは、そんな彼女たちの後ろ姿をただただ見送ることしかできなかった……

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