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定時に帰宅だなんて、いったいいつ振りだろうか。
こんな明るい時間から帰宅の途についている自分に、何とも言えない罪悪感を覚えつつ、足早に自宅へ向かう。
率先して取り組んでいた企画があったが、例の魔法百貨堂を紹介してくれた同僚に昼間の事を話すと、
「あなたの分も私が頑張るから、早く帰ってあげなさい」
と背中を押してくれた。
彼女にはいつか何らかの形でお礼をしなければならない。
歩き慣れた道は沈みゆく陽の光に照らされ橙色に染まり、空には次第に藤色が広がっていく。
その何とも美しい風景に感動しながら歩いていると、気付くと自宅の前だった。
玄関を抜け、ダイニングに向かう。
「あ、おかえり! どうしたの? 今日早いじゃん!」
久しぶりの、息子の出迎え。
「ただいま、大地」
「おかえりなさい、あなた」
紗季は俺が昨夜作ったカレーを火にかけながら、そう口にした。
机の上には先日買ってきたワインとグラス、そしてあの魔法のバラの花束が飾られている。
……なるほど、こういうことか。
あの女店主、もしかして最初からこれを見越していたんじゃないだろうな?
「なぁ、紗季」
「ん? なによ」
振り向く紗季に、俺は言うべきことを言うべく、口を開く。
「この間は、本当にすまなかった。これからは、なるべく早くうちに帰るように努力するよ。休日も可能な限り出勤は控える。その分、家族で出かけよう。今しかできないことを、家族でするんだ」
その言葉に、紗季はくすりと馬鹿にするような笑みを浮かべながら、
「まぁ、クビにならないよう、ほどほどにね」
そうだな、と俺は苦笑し、そしてもう一つ、紗季に言うべきことを思い出した。
「あとな、紗季」
「なに?」
「その、なんだ――」
俺は何となく恥ずかしく思いながら、それでも頑張って、その言葉を口にする。
「愛してるよ」
紗季は見慣れた微笑みを浮かべながら。
「――知ってる」
*ひとりめ・了*