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「どうでした? うまくいきましたか?」
店のドアを開けて中に入った途端、カウンターの向こうにいた女店主がそう尋ねてきた。
だがその口元はすでに笑いを堪えており、失敗の返事を期待しているのがすぐにわかった。
「……いいや」
と俺は怒りを抑えながら答える。
「ダイニングのテーブル上には置いてたんだが、それだけだ。今朝も俺より先にさっさと仕事に出て行ったよ。変化無しだ」
「いっそ無理矢理バラを鼻に押し付けるとか」
あまりに適当な返答。
「馬鹿なことを。それより、もっと良い方法はないのか?」
「そうですねぇ……」
女店主はしばし思案するようなそぶりを見せ、
「あぁ、これなんてどうですか ?」
言ってカウンターの下から一昨日のような小さな瓶を取り出した。
今度は液体ではなく、何やら白と黒のまだらな粉が入っている。
一見してそれはラベルを剥いだ胡椒瓶のようだ。
「なんだ、それは」
「これを食事に混ぜるとですね、一緒に食事をしている人がキラキラ輝いて見えるようになるんです」
ん? それはつまり?
「身体が光るってことか? それにどんな意味があるんだ?」
その瞬間、女店主はいつものように「ぷぷっ」と噴き出すように笑い、
「違いますよ! 体光らせてどうするんですか、蛍じゃないんですから! そうじゃなくて、相手がより魅力的に見えるようになるって意味です」
「あ、あぁ、そういうことか……」
我ながら言葉通りに解釈してしまった自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
「なので、これを食事に混ぜて食べさせてみてください。食べ物なら、きっと口にしてくれるでしょうから」
確かに、ワインやバラに比べれば簡単だろうけれども……
「問題はどうやって食事に混ぜ込むかだな。俺は帰りが遅いから、妻はいつも息子と先に晩飯食べて寝ちまってる。となると、朝食か…… あぁ、いや駄目だ。アレは仕事の行きにコンビニで買ってるんだったな……」
「いっそお客さんが作ってみては?」
「……なんだって?」
言っていることの意味が解らず、思わず聞き返す。
「お客さんが夜のうちに料理を仕込んでおいて、それにこの調……薬を混ぜておくんですよ。それを翌日の朝とか夜に、一緒に食べればいいんです」
「……そんなうまくいくか? だってワインのときだって飲んでくれなかったし、バラだって嗅いでくれなかったんだぞ。もし食べてくれたとして、一緒に食べないといけないんだろ? さっきも言ったけど、俺は帰りが遅いから妻も子も先に食べることになるから……」
「大丈夫ですよ」
と女店主は断言し、
「愛情を込めて作れば、奥さんは絶対にあなたと一緒に食べてくれます。あと面倒だからそれ以上ウジウジ言わない!」
め、面倒だと? ウジウジって……!
非常に腹立たしかったが、しかし俺はその怒りを必死に堪えた。こんなことでいちいち怒るほど俺は子供じゃない。
が、しかし。
「どうしてそう言い切れる? 本当に一緒に食べてくれるんだろうな?」
「間違いないです。言い切れます」
「何を根拠にそう言ってんだ」
それに対して、女店主は胸を張って声高にこう言った。
「女の勘です!」