1
平日の午後三時過ぎ。外回りの合間に立ち寄ったこの店は、同僚からの紹介で初めてその存在を知った。
古本屋の方は表通りに面しているので昔から知っていたが、まさかその奥にこんな怪しげな店があったとは。
俺はその女性、恐らくこの店の主人であろう彼女を胡散臭いモノを見るような目で眺めながら、
「ここは、本当に魔法を売っているのか?」
と尋ねた。
「はい」と女は頷き、「よろず魔法承ります」
張り紙と同じ文言を口にする。
微笑む女の背は低く、その髪は黒くて長い。化粧っ気はあまり感じられないが、その肌は非常に若々しく見える。二十代から三十代の間、いや、もしかしたら四十代かも知れない。
何せ自称「魔法屋」だ。案外六十すら超えてるんじゃないか?
なんて馬鹿げた事を考えていると、
「それで、今日はどのような魔法をお探しですか?」
女がそう訊ねてきた。
俺は「あぁ、」と口にして一度咳払いし、
「仲直りをする魔法とか、あるか?」
その瞬間、何とも言えない空気が俺たちの間に流れた。
自分から言っておいて何だが、三十を超えたおっさんが「仲直り」なんて言葉を使う事自体が何だか子供染みていて恥ずかしい。
女はしばらくキョトンとした表情をしていたが、やがて再び笑顔を浮かべると、
「どなたと仲直りを? 恋人? 同僚の方? それとも取引先の方と喧嘩して交渉が決裂しそうなので、いっそのこと喧嘩した相手の記憶を消して一から交渉し直すとかですか? よく居るんですよね、そういった方。それでしたらこちらの忘れ草を煎じたものを密かに飲ませれば、立ち所にあなたのお名前や存在自体を忘れるので……」
「あ、あぁ、いや、違う」と俺は女の言葉を遮り、「相手は妻だ」
「あら、そうでしたか。それではこの魔法薬は使えませんね。全部忘れてしまいますから……」
女は手にしていた小さな紙包みをカウンター下に戻し、改めて口を開いた。
「それで、いったいどうして喧嘩なさったのか、お聞きしてもよろしいですか?」
俺はこの胡散臭い女に解り易いため息を一つ吐き、
「別に、そんな大した話じゃない。よくあることさ。先週の日曜日、家族で出かける予定だったんだ。それが仕事の都合で流れた。そのせいで喧嘩になった、それだけさ。以来この一週間、妻も息子も口を聞いてくれない。さすがに家に居づらくてな。早急にどうにかしたい。で、同僚に相談したらココを紹介されたってわけさ」
「……本当に、それだけですか?」
訝しむように言う女に、俺は眉間に皺を寄せる。
「なんだって?」
「いえ、一度約束をすっぽかしたくらいで、そこまで長続きするかなって」
「……しょっちゅうだよ、そんなの。今に始まったことじゃない。これまでだって何度も仕事の都合で休日が潰れてるんだ。でもそんなの当たり前だろ? 俺だって社会人なんだ。会社から呼ばれりゃぁ、休日だろうが出勤するのが当たり前じゃないか」
「いっそ転職されてみては? そうすれば時間ができるかも知れませんよ。私の知り合いも転職したらお給料は減ったけど休みが増えてゆっくりできるようになったって言ってましたけど」
「馬鹿なことを。いったい俺がいくつだと思ってんだ。もう三十超えてるんだぞ。そうそう転職先なんて見つかるわけがない。嫁にも散々言われたよ。もっと休みの取れる会社にすれば良かったのにってな」
「もしかして、それで奥さんと喧嘩に?」
「そうだ」
と俺は頷き、もう一度大きな溜息を吐いた。
「お陰で嫁は、これ以上家族との時間を減らすつもりなら離婚する、とまで言ってきてる」
「あらあら、それはお可哀想に。本当に嫌われちゃってますね、ぷぷっ!」
……ん?
「今、笑ったか?」
「まさか、 そんな失礼なこと、するわけないじゃないですか……」
絶対に嘘だ。口元が歪んでいる。肩が揺れている。こいつは俺の不幸を笑ってやがる。なんて女だ。
「でしたら、こんなのはいかがですか?」
そう言って女が棚から取り出したのは、親指大の小さくて透明な小瓶だった。中には薄茶色の液体が波打っている。
「なんだ、それは」
「惚れ薬です。要はもう一度あなたのことを好きで好きで仕方ないって状態にできれば仲直りできるんじゃないかなって」
「本当に効くんだろうな?」
「信じる信じないはお客様に委ねます」言って女はにっこり微笑み、「お代も今日は結構ですよ。初めてのご来店ですし、さっき笑っちゃったから、サービスです」
やっぱ笑ってたんじゃねぇか。