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生け贄の虜囚

 円錐形の構造をした居住空間には、支柱となる壁の太い木の棒ひとつに繋がるロープで、両手を縛られた少女がいた。


 シンディだった。


 最後に記憶にあるのは四歳の頃で、もう十二歳になっているはずが、発育不全のようで面影が強く残っていた。シュブ=ニグラスは信仰する者に恩恵を与え子供の発育もよくするとのことだったが、キャサリンが犯したミスに対する罰のためか、シンディにそんな形跡は見当たらなかった。信者たちと同じローブの子供サイズの服装で、全身が泥や汗で汚れている。マルーンの瞳は曇り、長い髪の毛は汚れのために木の枝のようにくっ付き合い、柔らかそうな頬はこけていた。

 テント内はそれほど不衛生でもないようだったが、シンディがろくな対応を受けていないのは明白だった。乱れた格好で敷物の上に座り、片方の肩が出ていて、下半身も下着が覗けそうなほどに衣服がまくれていたが、露出した肌に痣がないことだけは救いに思えた。


「……マ、ママ!」

「あぁ、シンディ」


 シンディはキャサリンの姿を認めると目を丸くして弱々しい声ながら叫び、キャサリンは娘の名を呼びながら傍らに駆け寄って、少女の華奢な肢体を抱き締めた。肩越しに窺えたシンディの顔に微笑が浮かんで、わたしも落ち着かなければならないと自らを奮い立たせるよう努力した。

 その間、キャサリンはひたすら娘に懺悔していた。


「ごめんなさい、わたしがしっかりしていれば……。酷いことをしたわね」


 母親の謝罪にシンディは頷いていたが、やがて視線をこちらに注ぐとまた不安げな色に顔を染めたので、わたしは焦って口を開いた。


「だ、大丈夫、助けに来たんだ。わたしは医者のカールだよ、お母さんの診療をしていた。何度か会ってるんだが、覚えてるかな」

 少女は首を捻ったが、キャサリンが優しく補った。

「平気よ、彼は味方だから。助けてくれるわ」

 そこでやっと少女は安堵したように相好を崩して、訴えてきた。

「じゃ、じゃあ、カールおじさん、急いで。もうすぐ儀式が終わってみんな戻ってくるわ」

「ああ。今縄を解く」


 テントの中にまで響いてくる、唸るような儀式の呪文からの推測だろう。わたしはさっそくシンディの傍らに跪くと、バックパックからサバイバルナイフを取り出して少女を拘束しているロープを切断しだしたが、そこで恐ろしい予感がしてキャサリンに質問した。


「……ところで、他にも誰かの子供がいるのか」

 するとキャサリンは、暗い表情となって返答した。

「たぶん、でもここにいるかどうかはわからない。それに、わたしたちだけじゃどうにもならないわ。だけど教団の内情を暴露しさえすれば、まとめて彼らを潰せる」


 想像は付いた。

 外には大人しかいなかったが、あれだけ入信していて子供がいないということもないだろう。だがキャサリンのもうひとつの主張ももっともだった。この状況ではどうにもならない。だからわたしは暗鬱たる気持ちになりながらも、前々からキャサリンと決めていたできる限りのことをしようとしたのだった。


「……じゃあ、次はそのための証拠だけど……」

 言いながら周囲を見渡したが、せいぜい日用品くらいしかなかった。

「なにを持っていけばいいんだ」

 困惑するわたしの問いに、キャサリンは暗い声音で答えた。

「とりあえず車に戻って。相応しいものは別のところにあるの」

「なに? それはどういう……」

 言い掛けたとき、外で儀式の声が止んだ。ちょうど縛めが解けたシンディは怯えたように母に抱きつき、キャサリンは焦燥した様子で急かした。

「現場に着けばわかるわ」


 娘の手を引いた彼女が慌ててテントを出たので、後を追った。

 足元が覚束なくしかも裸足のシンディをわたしは負ぶうことを提案し、自分の必要な荷物をキャサリンのバックパックに移して残りを捨て、少女を背中に乗せた。それから信者たちの動きを警戒しようと、キャサリンと一緒に焚き火のほうを振り返ったときだった。

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