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這い寄る罪悪

 そう、〝千匹の仔を孕みし森の黒山羊〟とはシュブ=ニグラスという神の異名のひとつだ。そして、そんな神は伝説上にさえも存在しない。

 ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが創造した小説世界を基に、彼の死後、友人であったオーガスト・ダーレスが様々な設定を付加して広めた、『クトゥルフ神話』という架空の神話体系に登場する創作された神性なのだから。


 この創作神話は主に現実世界を舞台に、歴史の裏側に潜むシュブ=ニグラスら強大な力を持つ神々がその片鱗を現し、それによって恐怖体験をする人間たちなどを描いたもので、シェアード・ワールドの体裁をとり数多くの作家が空想上の設定を共有しつつ独自の創作をすることで、現在まで継続されている。

 中には作中の事象を史実に絡め、クトゥルフ神話があたかも実際の神話で我々の世界に現実に関係しているかのように描写するものもあるが、シュブ=ニグラスは特にそうした手法に向いているキャラクターといえた。なぜならモチーフには、中世の魔女狩りによって陰鬱な面を誇張され捻じ曲げられ邪悪な姿に変質させられた魔女たちの信仰するという、悪魔のイメージが取り入れられていたからだ。


 クトゥルフ神話作品群の一つ『墳丘の怪』では、その姿形はアシュタロトのようなものとされたが、わたしからすればバフォメットだ。


 バフォメットはテンプル騎士団が崇拝したという十四世紀の記述が歴史上最初に語られるが、これ以前の由来が判然としない悪魔である。理由は予想できた。それを知るにはテンプル騎士団について学ぶのが手っ取り早いだろう。

 テンプル騎士団はもともと、ヨーロッパから聖地エルサレムに赴く巡礼者たちを守護するため十二世紀に結成された。修道士であり騎士でもあった彼らは聖地までの道筋に拠点を築き、巡礼の間、巡礼者の財産を預かって同行し危険から守るなどの行動をしていたが、この財産を預かるシステムが商売としても繁盛していくことになったのである。彼らは大いに富み、これが災いした。

 あるとき、フランス国王フィリップ四世に目を付けられたのだ。王は、当時騎士団の二大勢力であったテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を統合して自らが指揮官となり、聖地を征服して地位を子孫に継がせ、欧州に絶大な影響力を及ぼそうという野望を抱き、また、国内の財政難に喘いでいるところでもあった。ために彼は、フランス出身で傀儡のように操ることのできるローマ教皇クレメンス五世と結託して、テンプル騎士団に冤罪を着せて潰し、資産を没収しようと企てたそうだ。


 かくして、フランス国内のテンプル騎士団員たちはことごとく捕らえられ、フィリップ四世の息の掛かった高位聖職者や、大いに栄えた騎士団を妬む連中ばかりがいる法廷で裁かれた。そして異端の罪を犯したという事実無根の嫌疑を百以上もかけられ、悪魔崇拝や汚らわしい儀式を行っていたことにされた。

 身に覚えのない罪を認めるまで団員たちは拷問で自白を強要され、結局テンプル騎士団は壊滅させられて、資産は聖ヨハネ騎士団に移され、総長や幹部は魔女のように火刑に処せられたという。処刑される際、騎士団総長ジャック・ド・モレーは呪いの言葉を吐いたといわれ、このためかフィリップ四世もクレメンス五世もその年の内に死んでいる。


 呪いの真偽はともかく、バフォメットはこうした中で突如、テンプル騎士団が崇拝した悪魔として団員たちの証言から登場したのだ。

 もうわかるだろう。拷問によって痛めつけられ、犯してもいない罪を自白せねばならなかった騎士たちは、どうにか悪魔崇拝の儀式を空想せねばならず、悪魔を作り出さねばならなかった。まさに虚偽記憶のように。わたしはそう想像する。

 事実、バフォメットはこれを象徴するような姿となった。キリスト教社会における悪魔のイメージであった山羊の頭部を有し、父性神を信仰する一神教であるキリスト教が破壊してきた多神教の地母神や太母神のように、女の身体を持つとされるのが一般的だ。

 あるいは両性具有、男女二対の顔があるとか、猫の顔があるとか、脚が複数あるなどといった様々な証言もあり、実像が判然としないのも、団員たちの苦しみから逃れるための支離滅裂な妄想のためと受け取れる。名称自体も、キリスト教勢力が敵対していたイスラム教の開祖ムハンマドの、古フランス語による綴りであるマホメットを捩ったものともいわれる。


 少なくともあの出来事に遭遇するまで、わたしはこう認識していた。


 さて、創作の悪魔と思しきバフォメットだが、後に、今度は魔女狩りの時代に、貶められ歪められ邪悪な存在であることにされた魔女たちが崇拝する悪魔として再臨することになる。そこでのバフォメットは、キリスト教のミサや異教の集会を悪趣味に脚色したものとして魔女たちが行うと妄想された、黒ミサやサバトなる禍々しい儀式の主賓を務める悪魔だ。

 シュブ=ニグラスは、こんなバフォメットを参考とした創作神である。人知れぬ森の奥底で、邪教徒がシュブ=ニグラスを讃えて行う儀式など、まるっきりサバトのそれだろう。千匹の仔を孕みし森の黒山羊なる二つ名にも、バフォメットのようにキリスト教が排除してきた女神たちの産む性としての多産や豊穣を司る側面と、悪魔的容姿の象徴としての山羊の要素が取り入れられている。


 ともかく、この創作神名を保育園での悪魔崇拝の儀式の証言としてキャサリンが口にしたのは、彼女の手痛い失敗に見えた。虚言である証拠のようなものだからだ。

 だがあのときのわたしにはそんなことはどうでもよく、彼女の身を案じると同時に、自分の犯した過ちに恐怖する気持ちでいっぱいだった。キャサリンに作った虚偽記憶は彼女自身の虐待の記憶でしかなかったのに、彼女までもが、溺愛していたはずの娘に幼稚園で虐待を受けたという虚偽記憶を植え付けたと認識できたからである。創作神話と現実の区別がつかないほどに狂わせてしまったと危惧したのだ。

 そしてこの最初で最後のテレビ出演直後に、キャサリンは謎の失踪を遂げた。


 マスコミは例によって、彼女が虚偽記憶にクトゥルフ神話を絡めたへまなど報道せず、「悪魔教の内情を暴露したために消されたのでは」という憶測まで垂れ流した。記者たちはわたしのところにまで押しかけたが、幸か不幸か、まだ虚偽記憶への疑いが一般的でない頃だったので、グレートプレーンズの小さな町に引っ越すだけで騒ぎからは逃れられた。

 罪を認めず逃走した自分に嫌気が差して仕事はやめたが、ごまかしが通じたのも数年で、九〇年代に入るとついに抑圧された記憶が紛い物である可能性が露呈し、それを作っていた同業者が医療事故として訴えられ始めた。これを受けて、わたしは訴訟を恐れて転居を繰り返す生活に追いやられ、自分が最低な人間であることを思い知らされるはめになった。


 だがなぜかわたしは訴えを起こされず、キャサリンの安否がますます気掛かりなものになっていきながらも、己が身の安全が嬉しくもあるという複雑な心境に苦悩した。そんな表向きだけが平穏で実のところ不安な日々が一変したのは、一九九六年のことだった。

 田舎町で隠棲していたわたしのもとに、唐突にキャサリンからの手紙が届いたのだ。

 隠れていたこちらの住所をどうやって突き止めたのかは謎だったが、紛れもなく彼女の筆跡で、わたしと彼女だけが診察で語り合ったはずの会話に基づく内容までもが記されていた。


 基本的な手紙の趣旨は、〝ようやく自身の抑圧された記憶が偽物であると感づいたので裁判を起こす用意がある〟との警告だったが、彼女は取り引きを持ちかけ、わたしをロッキー山脈のエバンス山という辺境に呼び出すことで訴訟を取り下げるというおかしな提案をしていた。

 かくして、わたしは彼女の手紙にあった通りにエバンス山を目指すはめになった。だがそこにキャサリンがいるかどうかはわからなかった。というのも、彼女は自分のもとにではなく、エバンスにいる伯父のもとに来るようにと書いていたからだ。


 エバンス山の伯父とは、キャサリンが幼少の頃から慕っているという人物で、カウンセリング中に幾度となく話題に上った相手だった。ボブという名前で、相当な変わり者だと聞かされていた。霊感があると自称し、奇妙な体験談には事欠かない人なのだと。民話や神話を愛好する読書家で、先住民の文化などにも通じ、自身もアメリカ人でありながらアメリカやキリスト教による他文化への侵略をことあるごとに非難するのだとも。

 そんな性格のためか彼はエバンスなどという辺境に引きこもり、家族とも疎遠で、なにか行事があって親戚が集まるときくらいにしか呼ばれなかったらしいが、そのたびにボブは、子供だったキャサリンに創作か伝承かも不明な面白い御伽噺をしてくれたそうだ。

 嫌われ者のボブにはキャサリンの家族もあまり会いたがらなかったようだが、彼女は好いていて、しょっちゅう会いたいとせがんでは無理に彼のもとに連れていってもらったこともあるという。そもそもキャサリンの実家は別の州にあり、大人になった彼女が一人でコロラドに住むようになったこと自体、なるべく気軽にボブを訪ねられるようにするためだと聞いていた。しかし自分なりの生活もしたかったとかで、エバンスに程よい距離である州都デンバーに落ち着いたそうだ。

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