発端は、あの虚偽記憶の問題だった。
一九八〇年代、トラウマが精神疾患の誘因になりうるというフロイトの理論を安易に援用した一部のカウンセラーたちは、患者が精神疾患を抱えるのは本人が忘失している性的虐待を受けた過去があるためとして、その記憶を喚起させれば病が治ると考え催眠療法による治療を試み始めた。わたし、カール・モンゴメリーもそうした医師の一人だった。
こういった治療法はマスメディアなどを通じて話題となり、やがて、誰もが抱きうる心の不安は幼少期に受けた虐待のせいかもしれないと思った多くの人々が、事実か妄想かも曖昧な記憶を取り戻したがる騒ぎとなった。それは、かねてより都市伝説的に信じられていた、悪魔崇拝者に毎年何万人もの子供が連れ去られ儀式的な虐待を受け殺されたりしている、といった噂と絡み合い、子供を預ける場所で密かに性的虐待が行われているのではないかという社会的恐怖の問題を引き起こした。
エーカー託児所事件、クリーブランド虐待事件、マクマーティン幼稚園事件などである。いずれも、そこに勤める大人たちが預けられた子供に虐待をしていたと訴えられたが、どれも冤罪だったのだ。いくつかは後に見直されたが、当時は多くが有罪とされ、疑われた保育園や幼稚園、託児所は閉鎖され、関係者たちには数十年もの懲役が科せられさえした。
親たちが自分の子供も虐待されているのではと危惧し、そんな大人たちによる誘導尋問で子供たちも存在しない虐待の記憶を作らされるという真の虐待を受けた結果である。これらを根拠に多数の無実の人々が逮捕されたのだ。もちろん親たちとて例外ではなく、してもいない虐待をしたと自身の子供に訴えられ有罪となった者もいた。中には本当の虐待もあったろうが、抑圧された記憶という名の虚偽記憶に基づく証言には、窓のない飛行機に乗せられて空を飛んだとかどこにもないはずの地下空間に連行されたとか謎の道化師や魔女が出現したという奇怪なものすらあったのにだ。
結局、エリザベス・ロスタフらが記憶の不確かさを証明する実験を行い、現実にはなかったショッピングモールで迷子になったという記憶を被験者に作り出し催眠療法などで記憶が捏造されることがあるのを実証して論争が起きるまで、この問題はアメリカを始めとする一部諸外国にまでモラル・パニックを広げる騒ぎとなった。
だがわたしは虚偽記憶を作る治療に協力しながらも、実は初めから抑制された記憶の理論を疑っていた。問題点に気付きながら、流行のようになったこれらの催眠療法が金になりそうだと目を付け他のいくらかの医師も行っていたように薬物さえ用いて、ある患者に性的虐待を受けたという記憶を捏造してしまったのだ。まだ二十代の若手だったことを言い訳にしたかったしこんな行為をしたのは一度きりだが、それでも一人の女性を傷つけてしまったことを後悔し、罪悪感からは逃れられなかった。
そんなわたしは一九八八年五月のある日、事態の終焉を察知した。
この数ヶ月前まで、患者にキャサリン・バートンという夫と離別して一人娘を養育しているわたしよりやや若い女性がいた。わたしが抑圧された記憶を作ったのは彼女で、それは、今は亡き彼女の父親から幼児期に性的虐待を受けていたというものだったが、以降キャサリンはぱったりとわたしのもとに来なくなっていた。そんな彼女と、その日ブラウン管越しに再会したのだ。
デンバーの自宅にてパジャマ姿で朝食をとりながらニュースを見ていたわたしは、唖然としてスプーンを放し、柄までシリアルのミルクに沈めてしまったほどだった。
彼女は地味な保育園とカラフルな遊具が並ぶ園庭を背景にマスコミに囲まれ、そこの保育士たちに自分の娘が受けたという虐待について訴えていたのだ。かつては化粧も薄く控えめながら婉然とした美女だったのに、このときはメイクが濃く服は着飾りアクセサリーも過剰で、まるで別人のようだった。
そして、キャサリンは一通りの猥雑な妄想を披露したあとこう言ったのである。
「保育士たちは呪文を唱えたそうです」と。「それはこんなものだったとか。……〝
わたしは苦笑いした。こんな長ったらしい言葉を彼女の当時四歳の娘が覚えているとは思えなかったし、その内容が魔女術におけるわりと有名な悪魔召喚の呪文だったからだ。
実はわたしはオカルティストでもあり、半信半疑ながら超常現象が好きだった。科学の時代にあってなお未知であるものに惹かれ、未だ謎の多い心の領域に興味を抱き心理学や精神医学を学ぶことを決めたほどに。
そういえば、一連の虚偽記憶の事件は魔女狩りと似ていた。もともと魔女と呼ばれたのは民間の呪い師や異教の巫女たちに過ぎなかった。ところが魔女狩りでは偏見によって、それらの人々が邪悪で淫らな儀式を行い悪魔と契約しているという妄想を根拠に貶められ、狩られたのだ。さらに、このために拷問されたり処刑されたりした犠牲者の大半は本来の意味での魔女ですらなく、そういうレッテルを貼られた一般人だったという。しかも、かつては教会主導で行われたとされていた魔女狩りは、近年の研究では民衆から広がり教会権力も行うようになっていったと推考されている。
魔女狩りの発生した要因ははっきりしていないが、社会的少数派が多数派の社会不安の鬱憤を晴らすためのスケープゴートにされたという説があり、わたしもそう捉えている。あのナチスドイツでさえ大衆の支持によって誕生したところもあるのだから、ありうることだ。
キャサリンが唱えた呪文にしても、こうした魔女が悪魔と契約するために彼らを呼び出すときに用いるものとされていたから、創作された魔女術の疑いがあった。
ともかく知識があったので、わたしにはあとに彼女がなにを言うかも見当がついた。
しかし、そこで異変が起きたのだ。詠唱は、こういう具合に続行されたのである。
「〝きたれ 地獄を抜け出しし者 十字路の支配者よ 汝 夜の旅行者 昼の敵 闇の朋友にして同伴者よ 犬の遠吠え 流血を喜ぶ者 影のなか墓場をさまよう者よ あまたの人間に恐怖を抱かしめる者よ ゴルゴ モルモ〟――」
魔女術のそれだったのはここまでで、次いで彼女はこう口にした。
「千匹の仔を孕みし森の黒山羊よ!」
わたしはキャサリンがテレビに登場した衝撃も忘れ、彼女を本気で心配することになった。
キャサリンも誤りを自覚したらしく「……〝千の形状を持つ月の庇護のもとに〟――」と訂正したが、あのまま続ければこう述べていたに違いなかったのだ。
イア! シュブ=ニグラス!