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第8話

 長い髪の毛の隙間から覗く黒い瞳。今、確かに英治と華恋の視線は合っていた。

 ただ、華恋には英治が何を考えているかまでは読めなかった。以前に比べたら仲良くなっているとは思う。でも、正直まだ何を考えているかわからないことの方が多い。


 黙って見つめ合っていると言い様の無い不安と後悔がじわじわと押し寄せてきた。反比例するかのように熱かった身体が冷えていく。


 森さんに言わないでいいことまで言ってしまった……気がする。森さんはどう思っただろう。どうしよう、嫌われたら。

 一度マイナス思考に陥ると抜け出せない。嫌な想像ばかりしてしまう。

 私、何をどう話したっけ。

 酒のせいか、動揺のせいか、自分が何を話したのかもおぼろげだ。上手く思考がまとまらない。


 逃げるように華恋が視線を逸らして俯くのと英治が口を開くのは同時だった。


「なんとなく、渡辺さんにとって健太がどういう存在なのかわかった気がする」


「え?」と華恋は顔を上げた。再び英治と視線がかち合う。ドキリと心臓が鳴った。

 今度は英治が視線を逸らし、氷しか残っていないグラスをテーブルの端に寄せ、呟いた。


「俺も似たような感情を健太に抱いたことがある」

「え?」


 それはいったいどういうことなのかと戸惑う。ま、まさか……


「渡辺さんから見た健太がどういうやつなのかはわからないけど……俺から見た健太は本当にすごいやつなんだよ。本人には絶対言わないけど。主人公気質というか。圧倒的な光なんだよな。健太みたいなやつを俺は他に知らない。……でも、まあ、正直に言うとそんな健太に嫉妬した時期もあった。特に学生時代なんて勝手に健太に劣等感感じて距離を置こうとしたくらいだし」


 英治が自嘲気味に笑う。その気持ちが華恋にはよくわかった。同調するように頷き返す。


「でも、結局健太を嫌いにはなれなかった。俺の周りをちょろちょろするあいつを引き離すことはできなかった。なんだかんだ一緒にいると楽しかったし」


 英治はどこか遠くを見つめている。まるで過去に思いをはせているかのように。


「健太から芸能界に入るって言われた時、「とうとうか」と思ったと同時に無性に心配になった。勝手な想像だけど芸能界ってドロドロしているイメージがあったから。理不尽に健太が傷つけられるんじゃないかって想像して、いつかあいつの光が失われてしまうんじゃないかって心配になった。でも、俺じゃあ健太を止めることはできないっていうのもわかっていたから……だから俺はあいつのマネージャーになった。まあ、蓋を開けてみれば、俺の想像以上にあいつのメンタルが強すぎて「俺いなくても大丈夫じゃん」ってなって辞めたんだけど。あ。ちなみに、これはここだけの話な。あいつには言ってないから。知ったらあいつ「子どもあつかいするな!」って怒るだろうし」

「それは……確かに」


 安易に想像できて頷く。英治は苦笑した。


「だろ」

「うん。じゃあ、秘密にしておきますね」

「助かる」


 微笑む英治に華恋も微笑みを返す。


 やっと、はっきりと健ちゃんへの気持ちが何なのかわかった気がする。恋愛初心者故に、自分の気持ちに名前をつけれずにいたけど、ようやく自分の中で整理できた。

 やっぱり私は健ちゃんが好きだ。それは間違いない。恋愛的な意味ではないけど。

 健ちゃんは私にとっての推しであり、尊敬できる人。私は健ちゃんの人間性に惹かれている。今も昔も。それは、おそらく森さんも。


 しかも、英治は華恋以上に推し活歴が長いようだ。

 頼もしい仲間を見つけて華恋は嬉しくなってにやけた。伊藤本人にはツンデレが発動するようだけど。


 やっぱり私の推しは最高だ!

 人付き合いが苦手そうな森さんにここまで言わせるなんて……さすが健ちゃん!


「じゃあ、そろそろ帰るわ」

「えっ」


 ハッとして顔を上げると、英治はすでに立ち上がっていた。思わず華恋は上ずった声を上げた。


「もう帰っちゃうんですか?」

「いや、まあ、もう手当はしてもらったし……こんな時間だしな」


 英治がわざとらしくスマホを取り出して時間を確認する。その瞬間、華恋は自分が何を口走ったのかに気づいた。


「そ、そそそそうですよねえ! 玄関まで送りますっ」


 華恋は顔を真っ赤にして首を何度も縦に振った。心なしか英治も気まずい表情になっている……ような気がする。今すぐこの寝室から出たくなってきた。

 無言で寝室を出て、二人廊下を歩く。玄関まで近いことに感謝した瞬間だった。


「あ、そうだ」

「ん?」


 靴を履いている英治を見守っている間に、あることを思い出した。英治が顔を上げる。


「お姉さんに私の連絡先を教えておいてもらえませんか。『もし何かあれば気軽に連絡ください』って伝えてもらえると助かります」

「姉さんに?」

「はい」


 華恋は力強く頷く。杞憂ですめばそれでいいのだが、保険はかけておくにこしたことはない。

 数秒間二人は見つめ合った。

 英治にはそれだけで華恋の言いたいことは伝わったらしい。


「わかった。……ただし、何かあった時は俺にも知らせてくれ」

「それは、もちろん」


 華恋が頷くと英治も頷き返した。


「ありがとうな」


 頭をぽんぽんと撫でられる。華恋は固まった。


 え? 今、私、頭を撫でられた? 誰に? 森さんに……?


 撫でられた部分に手を当て、呆然と英治を見上げる華恋。


「どうした?」

「いや、あの、今……(頭撫でましたよね?なんて聞けない)」


 華恋は口をとざす。英治は首を傾げた後、華恋の反応から推測したのか「あ」と小さく声を漏らした。申し訳なさそうに呟く。


「健太がドラマでやってたやつを真似してみたんだが……嫌だったか?」

「いえ! とんでもない! 嫌じゃ無かったです! むしろっ」


 力強く言って、途中で我に返る。その先の言葉は出てこなかった。

 顔が熱い。華恋の照れが伝染したのか英治も恥ずかしそうに視線を逸らした。


「あー、じゃあ、帰るわ」

「は、はい。気をつけて」

「ああ。……じゃあ、また」

「はい、また」


 華恋は玄関の扉が閉まり、英治の足音が聞こえなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

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