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第5話

『今日は意識を失うまでは飲まないぞ!』と心に誓いながらも、頼んだのはいつもの飲み放題コース。


「かんぱーい」

「乾杯」


 最初の緊張感はどこへやら。これが酒の力なのか……二杯目を飲み切った頃には華恋の口調もすっかり砕けたものになっていた。チークの色とは違う素の血色で頬をピンクに染め、食事と会話を楽しむ。と言っても喋っているのはほぼ華恋だけ。英治は聞き役に徹していた。元々自分から話題を振るような性格ではない。そのことを華恋は知っていたし、女性社員達がそんな英治を『近寄りがたい男』だと評価していたことも知っている。

 でも、華恋にとって英治が持つ独特の空気感は居心地よく感じた。

 少し、麻友と似ている。周りに流されないところとか。


 ――――まさか私が異性と二人で食事をする日がくるとはなあ。しかも、自分から誘って……いや、あの日も自分から誘ったんだった。


 不思議な縁だ。これも全部、あの日、英治に助けられたおかげ。もっと言えば推しのおかげだ。


「ありがとうございます」

「何が?」


 突然両手を合わせて感謝を告げた華恋に英治が首を傾げる。


「な、ななななんでもないヨ!」


 口に出したつもりがない華恋は慌てた。――――心の中で言ったつもりだったのに! お酒を飲んでいる時は気を引き締めないとっ。

 華恋は口を一文字に結んだ。お酒が入ったグラスを口に運びながら、そっと英治の様子を窺う。


 いつも通りの英治だ。長めの髪の毛と黒ぶち眼鏡のせいで切れ長の目が見え隠れして、表情が読みにくい。

 あ、でも、ちょっと角度を変えて覗き込めば……

 睫毛が長い(羨ましい)とか、黒目が綺麗とか、は確認できた。


「近い」

「え?」


 華恋はいつの間にか立ち上がってテーブル越しに英治の顔を覗き込んでいた。英治が片手で華恋を押し戻す。華恋のお尻がぽすんと椅子の上に戻った。

 はっと我に返る。

 華恋は両手で顔を覆った。顔が熱い。恥ずかしすぎる。


「ご、ごめんなさい」

「いや。……何かついてた?」

「はい?」


 ちらりと指と指の間から英治を見る。英治は己の顔をぺたぺた触りながら言った。


「俺の顔に何かついている?」

「いえ、何も。……その眼鏡の下を確認したかっただけです」

「何で?」


 英治が心底不思議そうに尋ねる。華恋は思わず言葉に詰まった。

「な、何でだろう。改めて聞かれると自分でもよくわからないといいますか……。多分……この前助けてもらった時の方が表情を読み取りやすかったから……かな?」

「ふーん」


 自分でもよくわからないことを言っている自覚はある。気まずくなって華恋は口を閉じた。


 改めてこうして見ても今日の英治よりも、この前の英治の方がイイと思う。でも、華恋はそのことについて触れてはダメなような気がしていた。

 自分がそうだったから……。


 高校時代、華恋は麻友と仲良くなるまでの間、わざと野暮ったい格好をしていた。中学生時代に虐められていたことが原因だ。虐めの理由は『可愛いから』『男子にモテているから』『目立つから』という理不尽なもの。


 そんな学生生活に辟易していた華恋は高校では逆デビューをして地味に過ごそうとしたのだ。その結果、クラスで浮いてしまった。ただ、地味にしてはいても素材の良さを見抜く男子はいた。密かに男子達からの人気があった華恋。そんな華恋をクラスの中心にいる女子達は見逃してはくれなかった。


 中学生の頃よりも酷くは無かったが、何かと華恋に対してチクチク言葉を吐いたり、雑用を押し付けたり、というのはあった。

 友達がなかなかできない。そんな時に麻友が転校してきた。たまたま華恋の隣の席になり、二人は自然と仲良くなった。


 麻友は自然体で、良くも悪くも周りに流されない。だからといって、自分の意見を押し付けようとはしない。そんな麻友の性格に華恋は憧れた。

 麻友になら……そう思って華恋は今までの悩みを打ち明けた。


 その悩みを聞いた後、麻友は「で? 華恋はどっちの自分が好きなの?」と聞いてきた。

 その質問に華恋は咄嗟に答えられなかった。今まで他人の目ばかり気にして、自分がなりたい自分なんて考えたことも無かった。目から鱗が落ちた気分だ。


 次の日から華恋は度が入っていない眼鏡をかけるのはやめ、邪魔な前髪も切った。華恋の豹変に周りはざわついたが麻友だけは特に変わらなかった。そのことが何よりも嬉しかった。吹っ切れて態度も変わった華恋に対して、周りは距離を取るようになったが、華恋はいっこうに構わなかった。


 華恋は今の自分が好きだ。自分に似合ったメイクや服装を研究するのが好きだ。

 でも、英治はどうなのだろうか。英治の二面性を知った時からその理由が正直気になってはいた。


 ――――でも、聞けるわけがない。そんな間柄でもないし……。

 他人のプライベートを詮索しようとした自分に自己嫌悪し落ち込む華恋。

 頭を切り替えようと今新しくきたばかりのカクテルグラスを掴み、一気に流し込んだ。


「え、ちょっ」


 制止するような声が聞こえたような気もするが、気のせいだということにした。

『今日は意識を失うまでは飲まないぞ!』という誓いはすっかり頭の中から消えていたのだ。


「おー! いい飲みっぷり!」


 突然、英治のものでは無い、第三者の声が聞こえてきた。その声に華恋は聞き覚えがあった。

 華恋はグラスを置き、目を見開いた。


 実年齢のわりに若く見える童顔。ぱっちりとした二重。可愛さとカッコよさを兼ね備えた顔。身長はわりと高めで、確か公式では百七十八センチはあったはず。

 ヘアスタイルは卒業した時と変わらない。ミルクティベージュのマッシュヘアがよく似合っている。


 そう……何故か華恋の目の前に、伊藤 健太推しがいた。


「あれ、英治じゃん。え、まさか、え?」


 伊藤いとうが英治と華恋の顔を交互に見て目を輝かせる。そんな伊藤を英治がギロリと睨みつけた。


健太けんたうるさい」

「久しぶりなのに酷いわっ!」


 ショック!と悲壮感を漂わせる伊藤。思わず華恋が腰を上げそうになった。が、それよりも早く英治がばっさりと切り捨てた。


「そういうのいらないから」

「ちぇ~」


 華恋は二人のやり取りに驚いてまじまじと英治の顔を見つめた。


「こら、健。英治達の邪魔をしないの」

「は~い」


 ひょっこりと隣から身を乗り出したとてつもない美女が伊藤の名を呼ぶ。伊藤は素直に従ってそちらの席へと行った。――――あの美人さん……知らない人のはずなのに何だか既視感が……いや、それよりもさっきのって本当に健ちゃん?本物? ってことは、さっきの美人さんが奥さん?! 


 色んな意味でショックだった。

 華恋の中で伊藤の奥さんは小柄でロングヘアのイメージだったからだ。以前、テレビで伊藤が答えた女性の理想像はそういうイメージだった。


 結局、現実なんてそんなものなのだ。

 無意識にずっと伸ばし続けていた己のロングヘアに手を伸ばす。


「もっとあいつと話したかった?」

「え?」


 驚いて英治を見た。いつの間にか前髪がセンターパートに分けられていて、そのおかげで眼鏡越しでも鋭い目と視線が合う。

 ドキリとした。


 ――――なんで?


 何故か、責められているような気がした。そんなはずがないのに。


「なんで、そんなこと聞くんですか?」


 思わず、そんな言葉が漏れた。今度は英治の目が揺れる。


「それは……」


 英治の視線が逸れた。沈黙が訪れる。この沈黙はとても……居心地が悪い。

 何か言わないといけない気がするが、何を話していいかわからない。

 その時、


「お話中すみません」


 顔を向けるとそこには先程の美人さんが立っていた。綺麗な笑顔を華恋に向けて、ビシッと英治を指さす。


「ちょ〜っと、英治を借りてもいいですか? すぐ返しますので」

「あ、は、はい」

「え、いや、ちょ」

「英治おまえは、こっちにこい」

「はい」

「健はそっちね」

「は~い」


 どすの効いた声で英治を強制的に連れて行く美女。大人しくついていく英治の背中はいつもより小さく見えた。――――あんな森さん見るの初めてかも。知り合い?


「ねえねえ」

「ひぇ?!」


 ――――そうだった! 

 すっかり推しの存在を忘れていた華恋。昔の華恋だったらありえないことだ


 伊藤は両肘をついてにこにこ笑顔で華恋に視線を向ける。何故かその瞳は輝いている。華恋は自分の顔が引きつるのがわかった。


「俺達、どこかで会ったことある?」

「え?」


 てっきり英治との仲を聞かれると思っていた華恋は拍子抜けした。


「いえ。あり、ませんよ」


 伊藤のライブを見に行ったことは何度もあるが、それは『ある』とは言えないだろう。

 華恋は握手会やファンミーティング等にはいったことはないので、顔を覚えられるような接点はないはず。


「そっか」

「はい……」


 目の前に座っている伊藤に緊張しながらも、隣の二人が気になって仕方ない。

 伊藤はそんな華恋を見て面白そうに三日月形に目を細めた。

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