「おや、ワッケンじゃねぇか」
「お久しぶりですボルグさん」
見知らぬ男に警戒したハルだったが、どうやらボルグの知り合いらしい。彼が気安く挨拶をするのを見て、ハルは少し気を緩めた。
「どなたですか?」
「行商人のワッケンだ……そういやぁ、ちょうどハルさん達がこの街に訪れた頃に入れ違いで出てってそれっきりだったなぁ」
ボルグが仲立ちとなって挨拶を交わすと、流れで三人は同じテーブルを囲んだ。
それにしてもと、ハルはにこにこと笑みを絶やさぬワッケンと向かい合いながら疑問に思った。
ハルとトーナがこの地に来訪してから三年以上が経つ。
行商人とは言え随分と長い間ご無沙汰していたものだ。
「販路を広げようと思いまして、少し遠くまで足を伸ばしておりました」
前触れもなくワッケンがこの地を離れていた理由を話し始めたので、自分の表情に疑問が出ていたかとハルはなんとなしに顔を
その様子をワッケンにふっと笑われ、ハルはどうにも目の前のこの男に全てを見透かされているのではないかとたじろいだ。
しかし、ワッケンの方は特に何かを追求するでもなく話を続ける。
「ちょっと西へ二つ国を挟んだ向こうの国まで行商に行っておりました」
西へ国を二つ
「そんだけ遠いと、どんなとこか想像もつかんなぁ」
当然だが、ボルグはそんなハルの心の機微など分かる筈もなく、呑気にも見た事のない国を思い浮かべようとしていた。
「まあ、ボルグさんはこの街から出たことはないですから無理もありません」
「まあなぁ……」
一般的な平民が他国へ赴くことは通常あり得ない。
当然ボルグも他所の国へ行った経験などないのだ。
「そういやハルさんは西の方から来たんだったな」
「ええ、まあ……」
話を振られ、ハルは少し言葉を濁した。特に
「へぇ、そうですか……あなたは西から来られたのですか」
ワッケンは無遠慮にハルをまじまじと見ると、何かを思い出したようにそう言えばと話を切り出した。
「それではファマスという街はご存知でしょうか?」
ご存知もなにも、ハルは以前その街で暮らしていた身である。
「薬で有名な街ですよね」
だが、ハルはあえてそれには触れなかった。
自分の妻にとってあの街には複雑な想いがあり、これまで出来うる限り話題を避けてきた習慣から自然とそんな回答になってしまう。
「その通りです。正確には医師や薬師が集まる治癒師の街ですね」
「ワッケンさんはそのファマスへ行かれていたのですか?」
ええ、と肯定したワッケンにボルグが身を乗り出した。
「なんだい、ワッケンは薬でも仕入れに行ってたのかい?」
「まさか」
二人の横から割って入ったボルグの問いに、ワッケンは手を振って否定した。
「薬は薬師が患者個々に合わせて調剤をするのです。言わば受注生産のようなものですから、行商人にとって取引の対象外ですよ」
「それじゃあ何しに行ったんだ?」
「彼の国は魔獣の森が幾つも点在していて魔獣被害が絶えない場所なんです。ところが、ファマスは魔獣の森を抱えていながらその被害が圧倒的に少なかったのです」
どうやら、ワッケンは安全な経路としてファマスの街道を利用しようと考えたらしい。
「ですが、酷い目に遭いましたよ」
「酷い目?」
ワッケンがぽりぽりと頬を掻きながら苦い顔をするのでハルは首を傾げた。ファマスは妻を追い出した不愉快な地ではあるが、それ以外では至って平和な領地だったからだ。
「噂と違って森の外でも魔獣がうようよしていたんですよ」
危うく死にかけましたとワッケンが乾いた笑いを漏らした。
ハルはファマス周辺の魔獣を退けてきたラシアの花畑が枯れたのだと悟った。おそらく、愛する妻の想い出が詰まった森の薬方店も無事ではないだろう。
ラシアが枯れてしまった――それは、愛妻の大切な記憶も一つ枯れてしまった事を意味するのではないか?
そう感じて、ハルはやるせなくなった。