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第72話 強欲と聖者―強欲の焦燥―

「くそっ、くそっ、くそっ、くっそぉぉぉお!」


 でっぷりと太った男が礼拝堂で拳を振り回して怒り狂っていた。その身を包む司祭服は不必要な装飾でぎらついてた。


「何故こうも上手くいかんのだ!」


 いらつき周りの人や物に当たり散らすオーロソは、今ではこの教会で腫れ物扱い。彼に近づくのは一緒になって甘い蜜を吸っている者達くらいだ。


「せっかくこの領地の司祭となれたのに!」


 そこまでは順調だった。


 彼は教会の権威を後ろ盾に聖水や贖宥状しょくゆうじょうを売り捌き、築き上げた財を惜しみなく貴族派の重鎮達にばら撒いてファマスの司祭となったのだ。


 バロッソ伯爵が治めるこのファマス一帯はとても領地であった。


 それには幾つかの理由がある。


 その一つが魔獣の森。


 本来、魔獣の森は恵みも多いが被害も大きくうま味はあまりない。ところが、ファマスは森の近くにありながら、何故か他の街とは異なり魔獣被害が異様に少なかった。


 その為、少ない犠牲で大いなる恩恵を受け軍備に充てる費用を街の発展に注いげるので、この国の中で最も景気の良い領地なのである。


 しかも、前任のモスカルの人望で領民は信心深く、献金も中々に多い。更にこの地でも聖水や贖宥状はたいそう良く売れた。


 オーロソはその莫大な金を本山を牛耳っている貴族派の司教達に贈り、太いパイプを作って今の地位を安泰なものとしたのだ。


 まさしく我が世の春。


 ファマスはオーロソにとって金の卵だった。


 唯一気に入らないのは、穢れた黒い髪と悍ましい赤い瞳のあの魔女の存在だけ。


「それもバロッソ伯爵が追放して領内からいなくなったというのに……」


 ファマスでの地位を盤石に、そして聖水の値を吊り上げる為にとガラックと組んでエリーナの治療に名乗りを上げた。


 しかし、エリーナは死に、その責任を追求されそうになった。

 ガラックと共に伯爵を唆し、その罪を全て魔女に擦り付けた。


「無能なガラックのせいで冷や冷やさせられたが、穢らわしい魔女を追い出せたのは重畳だった……なのに!」


 そこから何もかもがおかしくなった。


 信心深かった街の者達の心がオーロソから離れ、目に見えるほど献金が減った。


 これは贖宥状のみならず、献金の多寡で信者を差別する彼の拝金的な態度への反発なのだが、自らの行いが教会に寄与する正しいものと勘違いしているオーロソには理解出来なかった。


 しかも、追い討ちを掛けるように魔獣被害が増大した。


 こんな時に必要になるのが魔を祓う聖水である。しかし、オーロソは聖水の殆どを売り捌いてしまっていたのだ。


 人民救済を説く教会に属する者は、こんな時こそ社会への貢献を要求される。だが、既に聖水の在庫は底を突いていた。


 その責任は明らかにオーロソにある。


 彼は周囲からの問責を畏れた。そこで、残りの聖水をただの水で文字通り水増しした。しかも、無償提供せずにそれを販売したのだ。


 効果の乏しい聖水を高値で販売する暴挙に教会の信用は完全に失墜した。


「これも全てあの魔女の仕業に違いない!」


 だが、この期に及んでもオーロソには自省がない。


 いや、彼にとっては自分の行いこそ教会に多大な貢献をし、正しく神の代弁者なのだと自負しているから悪いと思っていないのだ。


「魔獣が増えたのも、伯爵が失脚したのも、私の信用が落ちたのも、ただの水を聖水と偽ったのが明るみにでたのも……全部、全部、あの女が悪いのだ!」


 だから、彼にとって凶事は全て自分の外にあるとしか考えられず、元凶をトーナと決めつけ、彼女へ怒りを振り向けてののしった。


「やはり、追放など生ぬるかったのだ……伯爵があの魔女をきちんと処刑しておればこんな事にはならなかったのに!」


 とても聖職者とは思えぬ発言である。

 だが、彼にはそれさえも分からない。


「いや、今からでも遅くない」


 オーロソの目がぎらりと怪しく光り、その表情は残忍なものへ変貌した。


「どうせ近隣で魔獣を操っているに違いない」


 彼女が育てていたラシアが全滅したのが魔獣被害を齎した原因だ。しかし、オーロソは今の魔獣被害がトーナのせいだと思っている。


「必ずあの魔女を見つけ出し、八つ裂きにしてくれる!」


 これは彼にとって神の鉄槌であり、トーナへ下されるのは神の裁き。

 彼にとって、邪悪な魔女に神罰を与える真に正しき行いなのである。


「誰か、誰かおらんのか!」


 さっそく手の者を使って探し出さねば……しかし、オーロソの呼び掛けに応じる者は誰もいなかった。


「どうして誰もこんのだ!?」


 彼が癇癪を起こして地団駄を踏んでいると、ぎぎぎっと音を立てて観音開きの扉が押し開けられ、礼拝堂に数人の男達が入ってきた。


「遅いぞ、何故すぐに来な……お、お前は!?」


 入って来た人物の正体にオーロソは絶句した。


「お久しぶりですねオーロソ司祭」


 取り乱し怒り狂うオーロソの前に現れたのは、対照的に静謐せいひつで落ち着いた雰囲気を醸し出している初老の男――


「モ、モスカル!?」


 オーロソの前任であるモスカル司祭であった。

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