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第66話 白銀の騎士―心の檻―


 カツーン…

   カツーン…


 石畳の上を歩く俺の足音が辺りに響く。


 壁に掛けられた松明たいまつの頼りない光だけで、数歩先がやっと見える程度の薄暗い地下牢。


 目的の女性が囚われている牢屋は、光源から少し離れているのかあまりに暗い。そのせいで、狭い牢の中さえ完全には見通す事ができなかった。


 だが、近づくにしたがって微かな光に照らされた、彼女の姿が闇の中から浮かび上がった。


「トーナさん……」


 俺の足音も、俺の呼び掛けも耳に入らないのか、トーナさんは身動みじろぎもしない。


 ただ、彼女は寝台に腰掛けたまま俯いているだけ。

 暗がりの中のその横顔からは生気を殆ど感じない。


 微動だにしないトーナさんは、まるで精巧な美しい人形か、不可侵の女神を描いた絵画を眺めているかのようだった。


 元々、彼女は触れてはいけないような、犯し難い神聖な或いは無機質な美貌の持ち主だ。


 だからだろうか。


 気力を失った彼女はより人間味を失くしていて、それが皮肉にも彼女の美しさを幽玄なものとしていた。


 はっきり言おう。

 俺は心を奪われてしまっていた。


 彼女に言葉を掛けるのを忘れてしばし魅入ってしまうほどに……


 横顔も儚げで、この世のものとは思えぬほど美しい。まるで触れれば壊れてしまう繊細な芸術作品のようだ。


 その現実離れしたその美しさに、近づきすぎれば存在がかき消えてしまうのではないか……そんな恐れから息を殺して彼女をじっと見守った。


 だが、いつまでも彼女をこんな暗くじめじめした牢に閉じ込めておくわけにはいかない。


 それに牢は狭く不衛生で衝立ついたてもなく、とても妙齢の女性を押し込めていいような場所ではない。


「トーナさん」


 意を決して声を掛ければ、俺の存在に今やっと気がついたのか彼女はゆっくりと顔を上げた。


「ハル様?」

「お迎えに参りました。遅くなって申し訳ありません」


 鍵を開けて牢に入ると、中は想像以上に不衛生で女性を閉じ込めてよい場所とは思えなかった。だから、伯爵と彼女を追い込んだガラック、オーロソ司祭に胸の奥からどす黒い殺意が湧いてきた。


 出来れば今すぐあいつらを八つ裂きにしてしまいたい。


「ここを出ましょう」


 だが、あいつらよりもトーナさんを救いだす方を優先せねば。

 奴らの生き死になんかよりも彼女の尊厳の方が万倍も大事だ。


 女神の如きトーナさんをこんな汚い場所に閉じ込めるとは国の損失だ。あいつらは全人類に対して挑戦でもしているのか?


 いや、俺だって彼女を自分だけの檻に閉じ込めて、他の男の目に触れさせたくない……そんな願望はある。


「ハル様……それは出来ません……」

「大丈夫です。さあ俺の手を取って」


 しかし、トーナさんは俺が差し出す手を拒み力なく首を横に振った。


 可哀想に……こんなに憔悴して……人に関わり、人に触れて、彼女はこんなにも傷ついてしまった……


 こんな檻に閉じ込められて、その心も閉ざしてしまったのだろうか?


 ふむ、檻か……


 他の奴らが彼女を拒絶するなら……彼女が他の奴の檻に囚われてしまうのなら……いっそのこと俺が彼女を掻っ攫ってしまおうか……


 そして、こんな陰湿な場所ではなく俺の檻に……俺だけの檻に入れて……そして、俺以外の目に触れないように……


「とても伯爵が私を許すとはとても思えません」


 よからぬ妄想に囚われてしまっていたが、トーナさんの拒絶の声に現実へと意識が引き戻される。


 いかん、いかん……今はこの牢からトーナさんを救出するのが先決だ。


「安心してください。バロッソ伯爵とは話をつけました」

「本当ですか!?」


 俺の言葉に目を丸くして驚きの声を上げる。

 その声には少なからず喜びが含まれていた。


 だから、俺は告げなければならない事実に気不味くなった。


「ええ、釈放です……ただ、この領には住めなくなりましたが……」

「つまり、追放ですか」


 酷く落胆した彼女の姿に、俺は自分自身の不甲斐なさが情けなくなった。


「あなたを救うには他に方法がなく……申し訳ありません」

「いえ、ハル様のせいでは……」


 俺の謝罪にトーナさんは首を横に振り、微かに笑みを浮かべた。だけど、俺に気を使い無理をして微笑む彼女はとても痛ましく寂しさが滲んでいた。


「ですが……この国にはもう住めないのですね……」



 彼女の目から落ちた何かがきらりと光った……


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