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第62話 常闇の魔女―諦念の渇望―

 コツ、コツ、コツ……


 聞こえてきたのは石畳を歩く足音の反響ひびき

 顔を上げて見れば、闇の中に見えるシルエットは女性のもの……


「トーナさん!」


 やって来られたのはメリルさんでした。


 彼女は勢い込んで鉄格子を掴み私の名を呼びました。ですが、私は寝台に腰掛けたまま力無く彼女を見上げただけでした。


「メリルさん……もうお身体は宜しいのですか?」


 彼女は病み上がりで、まだ回復してから日が浅い筈です。


「えっ、ええ、トーナさんのお陰ですっかり」


 私の淡々とした対応に面食らったようで、メリルさんは目をぱちくりさせました。


「それは何よりです」

「私よりもトーナさんの方が心配です」


 メリルさんは若く、純粋で、真っ直ぐな方なのですね。


「私を治療したせいで、こんな無体な目に合わされてしまって……どうお詫びすればよいか」

「あなたの責任ではありません」


 私を投獄したのは伯爵で、そそのかしたのはガラックさんとオーロソ司祭なのですから。


 彼女にいったい何の咎がありましょう。


「ですが、母は自分可愛いさに口をつぐんでしまいました」


 メリルさんは申し訳なさそうに表情を曇らせました。


 ですが、貴族と対決するなど自殺行為です。誰もが保身に走るソアラさんと同じ行動を取ったでしょう。


 それなのに、メリルさんは私の為に憤り、尚且つ危険を犯してまで私に会いに来てくれた……


 お祖母様の言う通りでした。諦めてしまえば分かり合える機会さえ失ってしまう。私は受け入れてくれる人などいないと決めつけていました。


「この仕打ちはあんまりです……トーナさんは何も悪くないのに」

「いいえ……私も悪かったのです」


 私の薬は他の薬師のより優れている。

 私ならどんな病だって治してみせる。

 病気さえ癒れば文句はないでしょう?


 心の奥底にそんな不遜な思い上がりがあったのです。


「私は傲慢でした……」


 お祖母様はいつも仰っていました。


 医療は理不尽だと。

 人はどう足掻いても死を迎えるから。


 お祖母様はいつも忠告してくれました。


 病ではなく人を診なさいと。

 患者と信頼関係を構築しないといけないから。


 私は多くの病気を治癒してきました。

 私はたくさんの患者を診てきました。


 その中で患者の微妙な症状や訴えを読み取り、治療が困難な病や表に見えない隠れた病を癒してきました。


 それこそが、病ではなく人を診る事なのだと思っていました。


 その意味も確かに含まれていたのでしょう。ですが、お祖母様の伝えたかった事はそれだけではなかったのです。


 向き合うべきは人……


 ただ病に苦しんでいるのが、その患者の全てではないのです。


 患者とはただ病を背負った人ではないのです。家族も、思想も、嗜好も、生きてきた歴史も、色々なものが積み重なって個を形成しているのです。


「私は患者をただ病気を抱えている人としてしかみていませんでした」


 そんな筈はないのに……


「彼らにも営んできた暮らしがあります。それを頭では分かっていながら目を向ける事はしなかった……」


 自分に語るように私は述懐を漏らす。


「彼らの不安や絶望、怒りや嘆きを無視して医療を行ってはいけなかった」


 信頼関係を結ばずに彼らの想いを、感情を理解し癒す事は出来ないのです。


「お祖母様はいつも正しい……」


 病も死も抗う事のできない理不尽です。


「だから、治癒師は患者に寄り添う必要があるのです」


 私は患者と信頼関係を築いてこなかったのです。

 どうして彼らに寄り添う事ができるでしょうか?


「ですが、エリーナ様の件はトーナさんとは無関係ではないですか。あんなのガラックさんとオーロソ司祭の言い掛かりです!」

「もう良いのです……」

「良くありません!」


 メリルさんを見ていると、私はどうして今まで街との関係を拒絶してしまっていたのか……後悔ばかりです。


 関係を改善する機会はきっとあったのです。

 愚かにも私はそれを自ら捨ててしまった……


「伯爵もどうしてあんな言い分を聞き入れてしまったのか……」


 私の方が正しいと認めてしまえば、それを退けガラックさんとオーロソ司祭に任せた己を否定しなければいけませんから。


 伯爵は娘の死という理不尽に耐えきれず、ましてやそれが自分の判断が招いたなど……それを認める余裕を失ってしまったのでしょう。


「絶対にトーナさんを助けますから」

「お止めくださ……どう足掻あがいても助かりません」


 今の伯爵は決してこの決定を覆さないでしょう。

 それは自分の全てを否定する行為なのですから。


「ですが!」

「何をしても無駄なのです。メリルさんが伯爵に楯突けば、処罰を受ける者が一人増えるだけの結果になります」


 今の伯爵に正常な判断は出来ないでしょう。

 私を庇えばメリルさんも無事では済まない。


「あなたは生きてください……」


 それに……


「私は疲れたのです……人から憎まれ、蔑まれ、貶められる事に。そんな人達を恨まずにいようと自分の感情を抑えつけ、自分の心を殺す事に……」


 もう疲れてしまったのです。


「お祖母様の元に行きたい……」


 私は零れ落ちる涙をそのままに、ただお祖母様の姿を思い浮かべました。


 私の胸の内に宿るお祖母様はただただ優しく微笑み、私を温かく見守ってくれていました。それはかつてのくらしの記憶を呼び起こし、胸に懐かしさと心寂しさが胸に到来する。


 ああ、お祖母様……今すぐお祖母様……あなたに会いたい……


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