目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第49話 常闇の魔女―薬師として―


 私は部屋を出てメリルさんの部屋へと向かいました。慌てて追いかけてくるソアラさんの気配を背後から感じました。


 それに構わずに、すたすたと歩きメリルさんの部屋まで来ると、扉の前には一人の美丈夫が待機していました。


「トーナ殿!」


 その美丈夫――ハル様は私の姿を見てぱっと嬉しそうに笑う。


 はうっ!


 この方の笑顔は凄まじい破壊力です。


「ハル様?」


 もう帰られたと思っていたのですが、ずっとこちらにいらっしゃったのでしょうか?


「まだ数刻も経っていませんよ。休憩はもう宜しいのですか?」

「え、ええ、もう大丈夫です」


 その言葉に目を窓へ向けました。差し込む陽光から、今は昼前くらいでしょうか。寝入ったのが薄明かりの朝日の上る直前だったのですが……


 どうやら思った程には時間が経過していなかったようです。

 それでも構わずにソアラさんは私を叩き起こしたのですね。


「メリルさんの容態はいかがですか?」

「今は彼女の同僚が見ています。慌ただしい様子もありませんから、大丈夫だと思いますよ」


 部屋に入るといたのはメリルさんと侍女服の女性の二人。恐らくメリルさんを看病しているのが同僚の女性でしょう。メリルさんは彼女の助けを借り、上半身を起こして入室してきた私に頭を下げました。


 同僚の女性は私を見るや顔をしかめて部屋を出ていきましたが、メリルさんは屈託のない笑顔で迎え入れてくださいました。


「あなたがトーナさんですか?」

「はい、薬師くすしのトーナと申します」


 私はメリルさんに近寄ると、質問をしたり脈拍や体温を測ったりと手早く彼女の状態を確認しました。


「もう大丈夫ですね」

「ありがとうございます」

「傷の状態も診てみましょう」


 メリルさんの腕に巻かれている包帯を解き油紙を外す。その下から現れた皮膚には、多少の傷と赤みを帯びていましたが、大きな傷痕は殆ど消えていました。


「す、凄い、あんなに酷かったヴェロムの咬み傷が、こんなに綺麗に!」


 娘の腕に醜い傷痕が残ると思っていたのでしょう。想像以上に回復している傷にソアラさんは目を丸くしています。


「ほぼ完治していますね」

「ありがとうございました」


 傷の名残りを見ていたメリルさんは私に頭を下げました。


「正直に申しまして、もう助からないと思っていました」


 まだ残存する小さな傷口や発赤ほっせきに私が軟膏を塗布していると、メリルさんが心情を吐露してきました。


「だけど意識が朦朧としていたのに、はっきりと聞こえたのです」


 治療の手を止めてメリルさんに顔を向けると彼女は嬉しそうな笑顔でした。


「それは確かに、そして優しく『頑張って』『大丈夫よ』と……何度も……ずっと……励ましてくれる声が……」


 それは彼女が苦しんでいる時に掛けていた私の声。


「こうして私が笑えるのもトーナさんのお陰です。本当にありがとうございます」

「いいえ、医療は本人の生きたい意志が重要なのです。メリルさんが生きたいと思う意志が強かったのです」


 メリルさんの容態はもう安定しています。これ以上は私が何かをする必要もないでしょう。


「もう大丈夫ですが、完治するまではゆっくり養生されてください」

「はい……あの……」


 周囲を見て言い淀むメリルさんの様子を察して顔を寄せると、彼女はそっと私に耳打ちしてきました。


「伯爵様や私の母の事で嫌な思いをされたのではありませんか?」

「それは……」


 その問い掛けにどう答えたものかと私は迷いました。そんな言葉を濁す私の様子に全てを悟ったのでしょう、メリルさんは困ったような笑みを浮かべる。


「ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありません……そして、そんな中で私を救っていただき、本当にありがとうございました」


 メリルさんは私の境遇を正しく理解し、私の身に降り掛かったであろう悪意を正確に予測されていました。


「いえ、今回の件は私も勉強になりました」


 思い返せば、私も至らないところが多々ありました。


「私はこれからもっと学ばねばいけません……それは薬学だけではなく、患者との……人との接し方、関わり方もです」

「それは……この街では難しいかもしれません」


 私の決意を案じる言葉に、でも、とメリルさんは続けました。


「きっと、その風潮は変えなければいけないと思います」


 メリルさんは黒髪や赤い瞳に対してあまり偏見を持たれてはいないようです。


「この街には魔女に対する強い偏見が色濃く残っています……ですが、必ずしも皆が皆同じではありません」


 そっと私の手を取るメリルさんはとても温かい。


「と言っても、私の立場ではたいしてお力にはなれず大変心苦しいのですが……」

「いえ、私も……きっと救われたのだと思います」


 猟師のデニクさんもそうでした。治療した患者が救えて本当に良かったと思えると、こんなにも医療に対してやりがいと誇りを抱けるものなのですね。


「私は薬師くすしとしての本分を見失いかけていました」


 私は義務的に患者を治療している節があり、そのせいで治癒師として生きる道に迷いが出始めていました。


 ですが、こんな私でも薬師としてまだやっていけそうです。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?