「あ、あの……ハ、ハル様、私の鞄を……」
「お任せください!」
トーナ殿は空いた手を突き出して鞄を返すように要求してきたわけだが……
上目遣いでお願いしてくる彼女はとても可愛い。正直に言ってトーナ殿のお願いなら何でも聞いてあげたい。
だが、これだけは断る!
トーナ殿の鞄は決して離さない!
当然、この手も絶対に離さない!
「俺が責任を持ってあなたの鞄を持っていきます。もちろんトーナ殿も無事に家まで送らせていただきます」
トーナ殿の頼みをわざと曲解して自信満々に胸を張った。
「いえ、そうではなく……一人で帰れますので私の鞄を返して……」
俺の攻勢に対して尚もトーナ殿は無駄な抵抗を試みる。
「あなたを無事に送り届けるまでが俺の任務ですから」
だが、俺は言葉を被せて彼女の口を封じ、笑顔で任務を盾にとった。
ここで引き下がるつもりなど俺には毛頭ないのだから諦めて欲しい。
「そそこまでして頂かなくとも……ハル様もお忙しい身なのでしょうから」
「そうですね……確かに暇ではありません――」
それでもなお抵抗を続けるトーナ殿。
だが甘い!
仕事とトーナ殿との時間のどちらを取るかなど考える必要など微塵もない。
「――ですが、あなたの為なら幾らでも時間を作りますよ」
「――!?」
彼女は男に対する免疫が全くないのだろう。積極的に迫ればトーナ殿はすぐに顔を真っ赤にする。
彼女は街で忌み嫌われており、これからも男共に言い寄られたりはしないだろう。だから、こんなに慌てる必要はないかもしれない。
だが、命を救われたデニクの例もあるのだ。
あの男もトーナ殿に懸想している節がある。
それに、もし他国から来訪した者がトーナ殿を見初めたらどうする。そんな奴が現れたら、彼女を連れ去らないとも限らない。
いや、トーナ殿はこれほどまでに聡明で美しいのだ。トーナ殿を見初めた異邦人が果たして彼女を連れ去らない事があるだろうか?
いや、断じてない!
見初めて連れ去るに決まっている。
見初めて連れ去らない道理がない。
俺だったら有無を言わさず掻っ攫う。
間違いない。
断言できる。
絶対に、絶対だ。
だから、俺はここでトーナ殿とより親密な関係を急いで構築しなければならない。
「はぁ……それでは申し訳ありませんが、家まで宜しくお願いいたします」
あまりの俺の執拗さに諦めたトーナ殿は、ため息まじりだが俺のエスコートを受け入れてくれた。
よしっ!
こうして俺は勝利した……かに思えたのだが……
「もし、お待ち下さい!」
帰途の短い時間でトーナ殿をどうやって堕とすか、勝利の高揚にうきうきと俺が思考を巡らせていたら呼び止められた。
やっと渋るトーナ殿を口説き落とし、彼女と二人の帰途に心弾ませている時に何と無粋な!
心の内で憤慨しながらも振り返れば、犯人は先ほど伯爵と揉めていたソアラとか言う女中だった。
何かと問えば、トーナ殿に助けを求めて泣きついてきたのだ。
トーナ殿にあんな失礼な態度を取っておいて厚かましい女だ。
しかも、追求すると思わず漏れ出たソアラ殿の本音に、俺ははらわたが煮え繰り返りそうだった。
要約すれば、他の治癒師に頼めるならトーナ殿にはお願いしなかったって事だ。
どれほどトーナ殿を愚弄しているのか!
だが、トーナ殿はそれでも彼女の娘を治療すると宣言した。
彼女はやはりとても真面目で優しく気高い。
だが、ソアラ殿は自分で援助を乞うておきながら、トーナ殿への偏見が強いのは態度から明白だ。
トーナ殿をこの場に一人放っておくわけには絶対にいかない。
これは団に戻ってトーナ殿の側にいる許可を団長からもぎ取ってこなければ。