「無理を言ってお連れしたのに、この様な仔細となって申し訳ありません」

　仕方がないと諦めて薬を鞄に片付けていると、ハル様がさりげなく手伝ってくださいました。

　ハル様はすまなそうに眉根を下げたておられます。

　私の事を本当に慮ってくださっているのでしょう。

　その心遣いに私の心は救われました。

　ガラックさんとグェンさんが勝ち誇った顔を、オーロソ司祭は穢れたものでも見るような視線を向けています。そして、当事者のバロッソ伯爵は顔を背けながらも憤懣ふんまんやる方なしといった様相です。

　そんな中で、ハル様はなんの躊躇ためらいもなく私に手を差し伸べてくださいました。

　ハル様の優しさが、思い遣りが、とても嬉しくて、とても温かくて……なんだか胸に沁みてきました。

　だからでしょうか。

　今日お会いしたばかりのハル様が偏見も無く私に親身に接してくださるので、私はこの方に心を許し頼りにしてしまっているみたいです。

　今まで私は誰の助けが無くとも１人で立って生きていける……そう強がっていました。

　いつもそう思っていました……私が他者へ手を差し伸べる事はあっても、私の差し出す手を取る人は誰もいはしないのだと。

　なのに、ハル様は私が築いた頑かたくなな心の壁をいとも容易たやすく壊してしまわれたようです。

　この方が私を支えてくださる手を拒む事ができず、寧むしろ喜んで取ってしまうなんて……

　自分のそんな変化に戸惑いながら、なんとなしにハル様の顔を盗み見てはどぎまぎしてしまっています。

　いったいぜんたい私はどうしてしまったのでしょう？

　何かとんでもない病に罹患してしまったみたいです。

　今の私は何処か変です。

　どうにもハル様の事ばかりが気になってしまって……

　居たたまれなくなった私は手早く薬を収納して鞄の持ち手を取ろうとしました。

　ですが、私のその手をハル様の手が遮ったのです。

　驚く私をよそに、薬や医療器具がたくさん入った鞄をハル様はひょいっと持ち上げました。

「ハ、ハル様！？」

　あまりに予想外なハル様の振る舞いに、私は裏返った素っ頓狂な声を上げてしまいました。

「あ、あの……その……鞄を……」

　手を出して私の鞄を取り返そうとしました。しかし、ハル様はただにこりと微笑むだけ。

　容姿端麗な男性から向けられた眩まぶしい笑貌に、私はどうしようもなくどぎまぎさせられてしまいました。

　ああ、どうしてこんなに私の胸は高鳴るのでしょう。

　こんなに優しくされたら勘違いしてしまいそうです。

　軽佻浮薄けいちょうふはくな熱病を患いそうな自分の気持ちを誤魔化す様に、澄まし顔を崩さずにいようと心掛けたのですが……

　先程からずっと頬が異常に熱を持っているのが感じられます。

　きっと、私の顔は真っ赤になっているのではないでしょうか。

　そんな私の動揺に絶対気づいていると思われるハル様の方は表情が変わらず、私ばかりが恥ずかしい想いを抱くのはなんだかズルいです。

　意外とハル様はいけずです……

　はぁ、と一つため息が漏れ出てしまいました。

　私は鞄を諦め、ハル様に預けたまま帰ることにしました。

「それでは私は……」

　ばん！

　暇乞いをしようとした時でした。私の挨拶に被せるように扉が勢いよく開け放たれました。一人の中年女性が勢い込んで入室してきたのです。

「旦那様！」

「ソアラか……」

　伯爵相手に物凄い剣幕の使用人らしき中年女性。

　その方に伯爵はばつの悪そうな顔をされました。

「娘のメリルをお救いください！」

　退室の機会を失い、私とハル様は唖然としてしまいました。

　暇乞いもせずに退出するわけにもいきません。かと言ってこの状況で声を掛けることもできず、事情の分からない私もハル様も事の成り行き傍観するより他ありませんでした。

「主人を守れなかった侍女など知ったことか！」

「娘は身を挺してエリーナ様をお守りして傷を負ったのですよ。それをお見捨てになるなどあんまりでございます！」

「けっきょくエリーナは傷を負わされ危篤状態だ！」

「魔獣相手にか弱い女の身でどうしろと仰るのですか！？」

　本来なら主人に女中が口答えをするなど論外です。しかし、命を掛けた家臣を見捨てる主人もどうかと思われます。

　忠誠心を示した家臣を切り捨てるのは、その主人の為に身命を賭して働く忠誠心が無意味だと下の者に知らしめる行為です。

　それは伯爵自身にも自覚があるのでしょう。無礼を働く女中相手に怒鳴りながらも、強くは出られない様子です。

「今は魔狗毒に侵されたエリーナの治療が優先だ！」

「メリルだって魔狗毒に侵されて、生死の境を彷徨っているのですよ！」

　どうやらヴェロムの被害者はもう一人いたようです。