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第21話 常闇の魔女―利胆薬―


「俺達にはこれがある」


 グウェンさんの右手にあるのは、両拳大の涙型にも見える種のような形の真っ黒な物体。


「もしかして胆嚢たんのうですか?」


 乾燥させた熊胆ゆうたんにも似た色形に、私はその物体の正体に当たりをつけました。


「そうだ、それもヴェロムのな!」


 自慢気にグウェンさんが提示したものは動物の胆嚢を乾燥させたもの。


 調合方法は薬師によって細部が変わりますので詳細は省きますが、乾燥させた胆嚢は砕き丸薬などにして使用できる生薬なのです。


 ですが、その胆嚢から作られる薬は――


「それは胆薬でしょう」


 ――端的に言えば利胆を効能としたもの。


 利胆とは五臓の一である肝臓の働きをたすけ、胆汁の回りを良くする効果の事です。


「ふん、本当に無知だな。ヴェロムの胆嚢にはその毒を和らげる効果があるのだ」

「それは違います」


 本当にため息が出そうです。


 動物由来の毒は、その毒を持つ生物の胆嚢を薬とする――そんな迷信もありましたが、いったい何時いつの時代の話をしているのでしょう?


「胆薬は肝胆の働きを助けるだけのものです。もしかしたら多少は毒素に抗する力を強めてくれるかもしれません。ですがそれは決して特効薬ではありませんよ」


 肝臓の働きを向上させますので、胆薬は健胃薬として以外に代謝の活性と老廃物の排泄を促してくれます。


 ですから、確かに多少の解毒作用は期待できるのですが、それは毒に対する特効薬と呼べるような代物ではないのです。


「それにヴェロムの胆薬ともなればかなり強力です。そのような薬を弱っている状態で服用するなど自殺行為です」


 強力な利胆作用は、それだけ強力な副次効果も生じるのです。胆薬に対する誤解をそのままに治療を行えば、大変な事態となってしまうかもしれません。


「それに咬み傷の対処は如何するのですか?」


 咬傷の処置を怠ると傷口が膿んで壊死したり、四肢の痺れが発生し、痙攣、意識消失、呼吸困難、循環不全などの症状を経て、最悪の場合は死に至ります。


「動物咬傷こうしょうは傷の治療が必須です。これは投薬だけで対応するのは不可能かと思われますが?」


 そうなのです。


 例え胆薬で中毒の治療ができたとしても、咬傷に関しては全くの無力なのです。


「何の問題もない!」


 私の追及に対して自信満々に返答したのは、ガラックさんでもグウェンさんでもありませんでした。




――《用語解説》――

【利胆薬】

 胆汁の分泌を促進して脂肪の吸収を助け、消化不良、食欲減退、食べ過ぎ、胃もたれ、胸つかえ、腹部膨満感等の胃腸関係の諸症状に対して使用される薬です。

古くは熊胆ゆうたん(クマノイ)として知られる熊の胆汁から作られる生薬が有名です。

 現在では主成分が同定されており、化学合成された「ウルソデオキシコール酸」が薬として使用されています。

 このウルソデオキシコール酸の効能効果(適応)は、

 ・胆道(胆管・胆のう)系疾患及び胆汁うっ滞を伴う肝疾患

 ・慢性肝疾患における肝機能の改善

 ・下記疾患における消化不良

 (小腸切除後遺症,炎症性小腸疾患)

 ・外殻石灰化を認めないコレステロール系胆石の溶解

 ・原発性胆汁性肝硬変における肝機能の改善

 ・C型慢性肝疾患における肝機能の改善

 (添付文書より抜粋)

 となっており、現在の医療現場においても胆道肝系の様々な疾患に使用されております。

 当然ですが解毒効果は期待できません。


【動物咬傷こうしょう

 日本では犬、猫によるものがほとんどです。創傷治療以外にも感染症の予防が必要となり抗菌薬(クラブラン酸カリウム/アモキシシリン水和物)を投薬します。

 狂犬病は日本においてはあまり問題になりませんが、海外ではリスなどでも持っていることがありますので、むやみに動物には近づかないようにしましょう。

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