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第12話 白銀の騎士―夜の帳の女王―


 ノックに対して返事は早かった。が、暫く待っても家の中で人の動く気配が無い。


 トントントン!


 待たされるのに苛立った俺は再度ノックする。すると、中から急にばたばたと物音がしたかと思うと扉が開かれた。


「お待たせしました」

「――!?」


 高過ぎず凛と響く好ましい声音の持ち主は灰色のローブを纏った地味な服装の女性だった。だが、その姿を見た瞬間に俺は息を飲んだ。


 噂の通りの女は黒い髪と赤い瞳だった。

 だが、聞いていた話とは全くの正反対。


 長くつやのある黒い髪も理知の輝きを見せる赤い瞳もおぞましさとは無縁だ。むしろ、その奇跡的な色合いは神秘的ですらある。


 美しい……そう思った。


 本当に自然とそう思ったのだ。


 今まで数多あまたの女性を見てきたが、こんな思いを抱いたことは初めてだ。


 ひと目見て心を奪われた。


 エリーナ様も美しい令嬢であったし、他に幾人も美女に出会った経験はある。しかし、ただの一度たりとも俺は心を動かされた事はなかった。


 初めての気持ちのざわめきに、最初は自分の身に何が起きたのかと戸惑った。


「あなたが噂の魔女殿か?」


 馬鹿か俺は……


 思わず口から出た自分の言葉に、俺は頭を抱えたくなった。

 女性を前にここまで緊張と動揺をしたのは初めての経験だ。


 こんな醜態を晒すとは、いったい俺はどうしてしまったのか?


 まず考えたのは、幼い頃に母から子守唄代わりに聞かされた御伽噺おとぎばなしに出てくる夜のとばりの女王リュエスだ。その女性がリュエスの容姿の特徴と似ているのである。


 リュエスは俺にとって理想の女性像だ。


 俺の父母の故郷に伝わるこの夜の妖精は物静かで、控えめで、慈愛に満ちていて、美しい。それでいて、夜の闇の中で人々に知られずひっそりと人々を見守る篤実な女性。


 つややかな黒髪が煌めき夜空の星となりて人々を導く。赤き瞳は月となりて闇夜に惑う人々に平穏を与える。


 それを誇るでもなく、驕るでもなく。

 ただ人々を優しく夜で包み込むのだ。


 母がこの話をする度に、幼かった俺はリュエスの美しく気高い姿を胸の奥で思い描いた。


 だから、俺はリュエスに強い憧憬を抱いた。

 恋焦がれたと言ってもいい。


 そのリュエスには、いつもかたわらに彼女を守る白銀に輝く星の騎士が控えていた。


 それを聞いて騎士を目指した俺だから、リュエスの特徴を持つ目の前の女性に惹かれたのだと思った。


 それは事実だろう。


 黒い髪と赤い瞳、そして色白で美しい彼女の容姿は幼い頃に何度も思い描いたリュエスそのものだったのだから。


 しかし、トーナ殿と会話を重ねるうちに、彼女は理知的で自分の主張をはっきりとする女性であると判明した。


 その姿は控えめで物静かなリュエスとは大きく違う。


 だが、理想のリュエスとは異なる事が、却って不快感なく彼女に興味が湧いたのだと思う。


 トーナ殿に惹かれた俺は、彼女にアプローチを開始した。


 トーナ殿に口説き文句の様な言葉を口にすると、困ったり怒ったり顔を朱に染め恥じらったりと彼女の表情はせわしなく変わる。


 それがまた可愛い。


 最初は澄まし顔で落ち着いた女性との印象を受けたが、トーナ殿は意外ところころ表情が変化した。


 彼女自身それを自覚すると取り繕おうと躍起になるのだ。それが何とも微笑ましく愛らしい。そんな彼女に俺は心臓を鷲掴みにされる感覚に陥った。


 この時の俺は、バロッソ伯爵の依頼が頭から完全に抜け落ちていた。

 目の前の女性にどうにも自分の気持ちを抑えきれなかったのである。


「ハルです。どうか名前で、俺をハルとお呼び頂けないでしょうか?」


 トーナ殿はかたくなに『騎士様』と俺を呼ぶ。


 それを聞くと彼女からどうしても名前で呼んでもらいたい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。そして、遂にその欲求に抗えなくなった。


「そ、それは……私は平民ですので……」


 彼女は戸惑い困ったと片手で頬を覆うが、その初々しさの残る仕草一つ一つに俺の心が乱される。


「あなたの様な可憐な方に騎士様と他人行儀に呼ばれると寂しい」

「その様な口説き文句は意中の女性にのみ仰ってください」


 少し怒りを籠めて窘めるトーナ殿だったが、その顔は真っ赤になっており、怒る顔でさえ可愛く思えてしまう。


 ――俺はほとほと重症らしい……


 ああ、俺も鬱陶うっとうしいと思っていた女性達やエリーナ様の事は言えないな。


 知らなかった……人とは恋をすると、こんなにも不条理になってしまうものだったとは……


 ああ、今まで心の中で悪態をつき、罵倒していた女性達に謝らなければならない。



 彼女達が元はどんなに聡明であっても、恋は人をこんなにも狂わせるものなのだから。


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