「それにハルはエリーナ様からも想いを寄せられているだろ?」
そのバロッソ伯爵の娘エリーナ様こそが、鬱陶しく、煩わしく、面倒臭い筆頭だ。彼女がしつこく秋波を送ってきているのにも気づいている。
俺だけではない。
あれだけあからさまに色目を使っていれば誰でも分かる。
当然だが同僚の騎士達も気づいていた。
「くそ、羨ましいぜ」
「ああ、あのエリーナ様だもんな」
「ハルはいいよなぁ」
そんな同僚達に俺は黙って苦笑いした。
迷惑なんだと否定しても、却ってやっかみが酷くなるのは目に見えている。
よく手入れされた
「良いよなエリーナ様」
「ああ、綺麗なだけじゃなく上品で優しいしな」
「思いやりに溢れた素晴らしい
彼女は人当たりも良く、教会へも熱心に通い、街の人との交流も多い。
そんなエリーナ様は、ここファマスでは聖女の如き信奉を集めている。
だからこそ彼女は俺にとって厄介の代名詞なのだ。
彼女の好意を無下にすれば周囲から非難を受けるのは明白。
あんな素敵な女性から好意を受けて何の不満があるのだと。
確かに彼女は美人である。
それには俺も異論はない。
だが、彼女の美貌は俺には響いてこない。
それに、貴族が教会や孤児院への寄付や慰問するのは義務として行なうものだ。それらを疎かにする貴族も多いから、エリーナ様はそれらと比べれば確かに慈悲深いとは言える。
だが、それでも思いやりに溢れているとの評価にはおおいに疑問を呈したい。
彼女は伯爵令嬢で、俺は国家騎士とは言え元平民である。
身分の釣り合いが取れず、恋愛の対象として分不相応である。それは、貴族令嬢であれば理解しているだろう。それなのに、あからさまな彼女の態度が俺をどんな目に遭わせるのか考えもしていない。
好意的に取れば16歳の若さゆえに経験が足りず、考えが及ばなかったのだと思えなくもない。だが、偶然を装って任務中に声を掛けてきたり、訓練中に無理に押し入ってきたりするのは擁護できないのではないだろうか。
まあ他の女性も似た様なものでもあるし、特にエリーナ様だけが悪いわけではない。だが、彼らが思う程に彼女は聖女ってわけでもないだろう。
こいつらは高嶺の花に幻想を抱き過ぎてはいないか?
「エリーナ様と言えば、昨日の魔獣討伐中にも来ていたよな」
「ああ、俺の勇姿を見てもらえたかな?」
「ばーか。あの時、お前は大して活躍してねぇだろ」
同僚達の冗談の応酬に、昨日の出来事が思い出された。
俺達はヴェロムの群れがファマスの近郊で出没したとの報を受けて討伐へと出撃した。ところが、そこへ物見遊山なのかエリーナ様の一団が現れたのだ。
危険だからと団長が再三退避するように進言したが、エリーナ様は無視して居座ってしまったのである。
「今回もお前の追っかけみたいだな」
エリーナ様にも困ったものだと団長も苦笑いだ。
「何かあれば俺の責任になるのですか?」
「さすがにそれはあるまい」
我々は国家騎士であり領主の管轄ではない。しかも、退避勧告を無視しているのは相手側なのだ。
「それに本来なら、この魔獣討伐は領主の仕事だ」
領主の仕事を肩代わりしている我々を責められないだろうとの団長の考えだ。
領地を守るのは、その領地を治める領主の役目である。
けっして国に属している我々国家騎士の仕事ではない。
けれども、魔獣の森が近隣にあるのにファマスにはどうしたわけ魔獣がほとんど出没しない。だから、その被害が少ないため領兵の数が他領と比べて著しく少ない。
ところが、最近は魔獣被害が一気に増大し、数少ない領兵では対応ができなくなっていたのだ。
それを見かねて団長が自主的に魔獣を討伐しているのだが、国家騎士は領主の下働きではない。
「いい加減に対策を講じ欲しいのだが伯爵はどうにも動きが鈍くていかん」
「バロッソ伯爵は苛政もなく、手堅く領地を治めるとの評判を聞いておりましたが」
「そりゃあ、軍備に充てる公費を他の施策へ回せるんだから治めるのは楽なもんさ」
「つまりは伯爵の功績ではなかったわけですね」
団長は乾いた笑いを浮かべた。
とんだ名主がいたものだな。
「しかし、エリーナ様は随分と近くまで寄ってきていますね」
「お前の勇姿を間近でご覧になりたいのだろ」
団長が吐き捨てる様に言い放つ姿には少し苛立ちが見えた。
上に立つ者には下には見えない色々な苦労があるみたいだ。
「何事も起きなければいいんだがな」
しかし、団長のささやかな願いは神に届かなかった。
遭遇した群れは予想を遥かに越えた規模で、討ち漏らした一部がエリーナ様の一団を襲ってしまったのだ。
護衛がヴェロム撃退をしように見えたが、その後すぐにエリーナ様の一団が去っていった。
随分と慌ただしかったが、エリーナ様が魔獣を恐れて逃げたのだろうか?
そんな風に昨日の事を思い出していると、ちょうどその件のバロッソ伯爵から使者がやってきた。
団長が応対したのだが、すぐに俺が呼び出された。
「ハル、伯爵がお前をお呼びらしいぞ」
どうにも嫌な予感がしてならない。