数日後。ノクティアはタリエの書いてくれた地図を片手にソフィアを連れて、麓の街にやって来た。
「私も行く」とイングリッドも言っていたが普通に歩行もできても、傷が完治していない。侍女としての仕事もまだ復帰していないのだ。大事を見て留守番して貰っている。
しかし、渡された地図から察していたが、街でも本当に外れの方だ。
賑やかな街中を通り抜け、暫く歩くと、白樺林の林道が広がっている。明るい雰囲気の森で街に程近いが、地面近くは熊笹が生い茂り、野生動物が出てきそうな雰囲気だ。
ノクティアは念のために、首にさげたソルヴィの熊笛を吹きながら道なりに歩むと、こぢんまりとした丸太小屋に辿り着く。
家の前に着くなり、ノクティアとソフィアは目を輝かせた。軒先の鉢植えには桃色のゼラニウムが咲き乱れ、薄紅の花を綻ばせた見事な蔓薔薇が家の柱に絡んでいる。薔薇にラベンダー、エルダーフラワーにポピーなど。至る場所に美しい花が植えられており、小さな芽を出したポットが幾つも置かれている。
間違いなく、ここが花の賢女マリオラの家に違いない。
蔓薔薇の絡んだ玄関ポーチに入り、ノクティアはノッカーを鳴らす。それから暫しして、緩やかにドアが開いた。
「あら、可愛らしいお嬢さんたちだこと。こんにちは、何かお探しかい?」
小さな老婆だった。真っ白な髪を後ろで一つの三つ編みに結い、生成りのエプロンに灰色を含んだラベンダー色のワンピースを召している。
ノクティアは自らを名乗り、タリエからの紹介と話すと、驚いたのか目を丸く開く。
「あらやだ。若奥様とその侍女さんだったのですね。とても失礼な口の利き方を」
「気にしないで。丁寧すぎる方が私も身構えちゃう。マリオラさんの話しやすいようにしてくれた方が私も楽だよ」
ノクティアがそう言うと、彼女は優しい笑みを浮かべる。
「そうかい? じゃあお言葉に甘えさせて貰いますね」
そうして彼女は、家の中に入れてくれた。
家に入ってすぐに、キッチンとリビングが一体になったような広々とした部屋だった。
部屋の真ん中には四つの椅子が設置されたテーブルがある。
その周囲の壁面にはドライフラワーが幾つも吊されており、壁に備えられた棚には乾燥した花や果実が詰められた瓶がびっちりと並べられている。
「そこのテーブルの席に腰掛けていてちょうだい。折角のお客さんだもの。お茶を用意をしましょうね」
そう言って、マリオラはキッチンに向かっていった。
ノクティアとソフィアは食卓につき、今一度空間を見渡した。
本物の魔女の自分が言うのも何だが、もっと魔女っぽいと思う。こう、物語の中の魔女のような……。しかし陰鬱なかんじは一切せず、穏やかな暖かみがある。
テーブルの上にまで小さな花瓶が置かれていて、白樺の枝と深い青色のホタルブクロやリンネ草、ヒースで飾られている。全て、森や荒野に咲く素朴な草花ではあるが……
「可愛い」
ノクティアが言葉を漏らすと、すぐにあの甲高い囁き聞こえた。
〝可愛いだって、聞いた?〟
〝えへへ、嬉しい~〟
ノクティアはびっくりして目を丸くするが、ソフィアには聞こえていないのだろう。
「ノクティア様、どうなさいました?」
彼女は首を傾げて、ノクティアを見る。
「あら。ノクティア様はやっぱり感じ取れるのね」
その言葉にノクティアは驚き、何度も目をしばたたく。
マリオラは茶器やビスケットを乗せたトレーを持って戻ってきた。
「ノクティア様は来た時から、そんな感じがするなぁ~って思いましたよ」
「え、どういう事……」
ノクティアは眉を寄せて訊く。その正面で、トレーをテーブルに置いたマリオラは「どっこいしょ」と口にしながら椅子にかけた。
「ふふ。ノクティア様を見た時、近くに二匹の青白い蝶が舞っていたの。それに、白樺の木々が囁いていたのよ。〝可愛い聖女様が来た〟って」
ノクティアはその言葉に息を飲む。間違いない、マリオラは見えている。そして植物の声を鮮明に聞き取れている。だが、間違いがある。聖女ではない、魔女だ。
「あの……私」
「そんなノクティア様が私を訪ねるって、きっと……草花の精霊たちの事を聞きたいのでしょう。心を通わせて、力を借りる方法を」
お茶を入れるマリオラは片目を瞑ってノクティアを見た。本当にどこまでお見通しらしい。
「……だけど私、聖女なんかじゃなくて」
「あら。じゃあ巫女様?」
ノクティアは俯き首を振る。マリオラは悩ましげに微笑んだ。
「私、人を眠らせるとか、操るみたいな怖い力も持っているの。それと精霊の力を借りるとか……でも、この事は侯爵家にも領地の人たちにも内緒でお願いしたいの」
何もかもお見通しならと怖々と口にした。するとマリオラは「当たり前ですよ」と豪快に笑う。
「同類だから分かりますよ。人と違う力を持つのは、恐れられて当たり前だもの。みだりに言わない方がいいわ。ただね、ノクティア様……一つ言わせてちょうだいね」
彼女は白い靄の入った瞳でじっとノクティアを見つめて、優しく目を細める。
「聖女も巫女も賢女も、たとえ魔女だとしても……全部同じようなものよ。どの肩書きも悪いものじゃ無いわ。どうやって力を使うのか、誰の為に使うのか、何を願い祈るのか、それ次第と思うのよ」
そう言って、彼女は再び立ち上がるとある一冊の本を持ってきた。それは薬草の事を記した古びた本だった。
「この本を綴った人はね、魔女だった。人の幸せや健康を祈る為に尽くす〝白魔女〟として薬草学の知識を綴ったのですよ?」
マリオラはノクティアの傍らに立って、本のページを捲る。
「だけど……私は」
過去には義妹を殺しかけた。そして、屋敷中を呪い倒した。その過去はどう足掻いても変わらない。聖女や巫女と同類とはどうしても思えなかった。それにそもそも庶子で貧困街の女だ。そこまで高貴で煌びやかな言葉など似合わない。
「違う。私は……もっと汚く穢れていて」
俯くと、隣に座したソフィアは背を摩ってくれた。
「ノクティア様……」
心配そうにソフィアが呼びかけるので、ノクティアは「大丈夫」とすぐに顔をあげてすぐだった。
「ねぇノクティア様。貴女は、草花の声を聞く事ができるのでしょう? 精霊の中でも、草花の精霊は芽吹きの生命力を与える力を持っているの。どの精霊より、力を貸す者は選ぶって言われているわ。それが大きな判断基準。貴女は魔女だとしても、悪い魔女ではないわよ?」
その言葉にノクティアは何度も目をしばたたく。
「……そうなの?」
訊くと彼女は黒目がちな目を細めて「そうですよ」とにこやかに言った。
そうして、ノクティアは草花との心の通わせ方などをマリオラから聞いた。
まずが土や草花に触れあう時間を増やす事。そして、知る事、関わる事。悪意を持たない事。
興味深い話は幾つもあったが、日が傾き始める前に帰らなくてはいけない。ノクティアはお暇する事を言うと、彼女は白魔女の薬草学の本を持って行って欲しいとノクティアに渡した。
「でも……」
「気にしないで。写したものがありますし、頭に入っていますもの」
そうは言っても勝手に押しかけ話を聞き、本まで貰って帰るのは気が引けた。
「苗なり種なり買うよ……今、少しだけお金を持っているの」
「大丈夫よ。あ、そうだ!」
マリオラは何か思い立ったのか、手を叩いて立ち上がると、棚から幾らか小さなリネンの袋を持ってきた。
「これね。うちの商品。あまり売れてない乾燥花びらね。匂い袋にもなりますし、お風呂に入れても香りを楽しむのも良いですよ」
ラベンダー、薔薇、それからスズラン、ナルシス、ライラック、エルダーフラワーと……袋に刺繍されている。
「折角なので、人助けだと思って使うなり使用人さんたちに配るなり、商品の宣伝を手伝ってくれたらありがたいわ。侯爵家お墨付き、なんてあれば売れちゃいそう」
逆にまた何か貰ってしまったが、強引な手渡しだった。しかし宣伝ならば……。
そうして、ノクティアとソフィアはマリオラに礼を言って、彼女の家を後にした。
屋敷の坂道を上る頃には、湾の向こうの太陽は随分と傾いていた。七月の終わり。ヘイズヴィークの名のままに、湾を囲むフィヨルドや丘は薄紫のヒースが咲き乱れていた。
昼の青空の下も美しいが、やはり夕暮れの近付く黄昏の空はまた見え方が儚い。
母が好きだった景色。そんな風に思いつつ、ノクティアは馬車の窓から流れる景色に見とれ続けた。
そうして屋敷についてすぐ、偶然にも侍女を連れたフィルラに出くわした。特に話す事も無いので、会釈をして立ち去るのが通例だが、ふとノクティアの頭に庭師のタリエが言った言葉を思い出す。
……奥様はスズランが好きだと。
「待って……フィルラ様」
ノクティアは慌てて、擦れ違うフィルラを止めると、彼女は驚いた顔で立ち止まる。
そうして先程マリオラに貰ったスズランの匂い袋を取り出すと、そっとフィルラに手渡した。
「侯爵家に花の苗を卸してくれるマリオラさんから貰って。匂い袋みたい、です。フィルラ様、スズランが好きって聞いて……」
上手く言葉にできない。しかし彼女は、これまで見せた事もない程の穏やかな笑みをノクティアに向け「ありがとう」と手短な礼を言うと、その場を颯爽と去って行った。
ただ、貰ったものを手渡しただけだが、心の中はフィルラの笑顔の余韻でいっぱいだった。
派閥の根源ではあるだろうが、あの人自体は悪い人ではないのだろうか……。
そんな事を考えつつ、離れに向かう通路を歩んでいれば、エイリクが急ぎ駆け寄ってくる。
「ノクティア様、お帰りしたばかりで申し訳ございませんが、急遽面会のご希望が……」
誰がだ。来客か? ノクティアは訝しげに眉を寄せた。