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38 遠い日の面影

 その翌日だった。昼下がりの明るい日差しが心地よく、今日もノクティアが庭で寛いで過ごしていれば、蔓薔薇のアーチをくぐり抜けてエイリクがやってきた。


 その隣には、白髪頭の初老の男がいた。

サスペンダー付きのシャツに簡素な装いからどう見たって、屋敷内で務める使用人でない。昨日のソルヴィとの話から庭師だろうと、すぐに憶測が立つ。

 しかし、随分と早急に話を付けたものだ。ノクティアは驚きつつ、すっかり慣れた様子でスカートを摘まんで膝を折り、二人に挨拶をする。


「ノクティア様こんにちは。ソルヴィ様からお話を伺っております。植物の事を学びたいと」

「うん。エイリクおじさんありがとう」


 おじさん呼びはもう完全に諦めた様子だった。だが名を付けるようになってからというものの、まんざらでも無さそうである。

 エイリクはコホンと一つ咳払いをして隣に立つ、初老の男を紹介する。


「この男はタリエ。この屋敷にお仕えしている年数は私とほぼ変わらず同期です」


 紹介されたタリエはハットを脱いでノクティアに会釈する。


「奥様、お初にお目にかかります」


 奥様。確かにそうだが、その呼ばれ方はあまりされないので、居心地が悪く感じた。


「名前で良いよ」と言うと、彼は人の良さそうな笑みを向けて頷いた。


「しかしノクティア様……とても似ていますね」

 ──リルフィアに。


 久しく聞いた母の名にノクティアは目を丸く開く。


「一瞬、彼女が屋敷に戻ってきたのかと思いましたよ」


 タリエは感慨深そうに言うが、それをエイリクはすぐに厳しく遮った。


「タリエ。余計な口を利くな」


 怒られたタリエは目をしばたたき──すぐにノクティアに謝罪しようとしたが、ノクティアはすぐに首を振った。


「……二人はママを知っているんだね」


 タリエとエイリクを交互に見る。すると二人は顔を見合わせた後、静かに頷いた。


「エイリクおじさんは古くからこの屋敷にいるみたいだから、きっと知ってるだろうなって思ってたの。だけど私、ここに来て、ママの名前初めて聞いた」


 切ない気持ちもあるが、母の事を聞けたのは何だか嬉しくて、心が温かい。ノクティアはそんな感情を言葉にすると、彼らは優しい顔をノクティアに向けた。


「知っているもなにも。掛け替えのない仕事の仲間でしたからね。少しドジな子でしてね。当時の使用人頭に怒られて泣いて、いつも納屋に来ていましたよ。それを迎えに来たのがエイリクで、それでも動かないとイングルフ様が心配して迎えに来ていました」


 まさか父の名も出てくると思わなかった。

 ノクティアが複雑に思うが、エイリクたちとそんなに関わりがあったとは。エイリクを一瞥すると、彼は照れくさそうにこめかみを揉み「そのへんで昔話は終わりにしないか」とタリエを止める。


 しかし、ノクティアはこの屋敷に居た頃の母に興味を持ってしまった。

 テラスに設けられた席にソフィアはお茶を準備してくれている。そして準備が終わった事を知らせるので、ノクティアが二人を招いて座るように促した。


「……ごめんなさい。本来の目的から離れちゃうけど、その前にほんの少しだけでいいの。ここで働いていた頃のママの話を聞かせて欲しい」


 そんな要望にタリエは優しく笑んで頷くが、エイリクは少し間を置いて頷いてくれた。


 ──ノクティアの母、リルフィアは平民階級出身者だが、明るく可憐な娘だったそうだ。十七歳からこの屋敷で務め始めたそうだ。

 その頃、エイリクもまだ屋敷で働き始めて三年ほど。タリエに関しても四年ほどだった。


「先程話した通りで少しドジな娘なんですよ。お屋敷の中の仕事で食器を割ってしまったり、水の入ったバケツをひっくり返したり」

 タリエの言葉にエイリクは何か思い出しているのか、肯定するように頷く。


 その話でノクティアは病気になる前の母を思い出す。確かに、少し抜けていた所はあったかもしれない。折角のパンを焦がしてしまうだとか。買い物に行くのに籠を忘れるだとか。そんな事はよくあった。


「動物と花が好きで、優しい子でしたよ。それによく笑う子で、笑う時本当に花が開くような、わっと明るい顔になるんです」


 ああ、自分の知る壊れる前の母と変わらない。ノクティアは頷く。ただ、そんなに自分に似ているのだろうか。


「私はママみたいな笑い方はしないけど、そんなに似てるの?」


 ノクティアが訊くと、エイリクはすぐに頷いた。


「とても似ていますよ。貴女を貧困街に迎えに行った時、内心とても驚きました。リルフィアによく似ている。ノクティア様が脱走した時、彼女がこの屋敷を追い出された時の事を思い出してしまいました」


 沈痛な面で、エイリクは緩やかに唇を開く。


 ……何やら、母は妊娠が分かった時、当時の使用人頭から折檻を受けたそうだ。それでも頑なに腹を守り続けたらしい。その話を聞き、心を痛めたのは、父の母。当時の侯爵夫人だった。


 女は共感する。少しでも情けを与えようと思ったのだろう。侯爵夫人は〝退職金〟として親子が数年生きていけるほどの大金を渡していた。

 それを誰かが見たのだろう。当時から使用人の間にもやはり派閥があり、当時の領主側の派閥に属す使用人たちがその金を奪う為にリルフィアを追ったそうだ。


 エイリクとタリエはリルフィアを庇い無事にヘイズヴィークの外に逃がそうとしたが、リルフィアを見つけ出した時、彼女は酷く怯えて取り乱していたらしい。


 父に関しては、その時動ける状況ではなかったそうだ。

 だが、ノクティアはやはり父の話は聞きたくなかった。


 母を孕ませて責任も取らず、惨めにさせた事はどんなに時間が経っても許せなかった。ノクティアは父の話を続けようとするエイリクを「やめて」と遮った。


「すみません……」


 エイリクの向ける瞳は切ない。憂いや悲しみを含んでいるように少し思う。そして、その瞳はどうにも、自分の中の母……リルフィアを見ているように思った。それからやや間を開けてからだった。


「……ノクティア様、今更になりますがひとつだけ伺っても良いでしょうか」


 エイリクはこれまで見た事が無い程に沈痛な面だった。しかし、まるで何か決心を固めるようでもあり……。


「私に答えられる事なら、いいよ」


「リルフィアの最期を私に教えてくれませんか……妹のように可愛い仲間を。優しいあの子を。私は、まだ弔えていません」


 真っ直ぐに向けられたエイリクの目の縁は赤く、瞳は潤っていた。

 ノクティアは一呼吸置き、母と過ごした日を、父の名を呼び続けた病気の母を語った。そして最後の日を……。


「お墓を買うお金も無くて、土に還る事はできなかった。だから海に還ったの。そしてきっとヘルヘイムに渡った」


 二十六歳だった。ノクティアはそう語る。


 自ら言葉にして理解したが、今のソルヴィと変わらない年齢だ。若い。まだ若すぎた。

 遠い昔の話で、ノクティアは涙も出なかった。一方、その最期を聞き届けた使用人頭と庭師は瞑目したまま涙を流し、深い祈りを捧げていた。


 ---


 それから暫しして、二人の涙が引っ込んだ頃ノクティアは庭師から、様々な情報を聞き出した。

 この庭の蔓薔薇の品種。そして、これは意外にも父のイングルフが植えたものだそうで……。

 また、その近くのラベンダーは深い雪に閉ざされても元気に育つ野生種のラベンダーだそうで、ラバジン種というそうだ。


「荒野に咲くヒースほどとは言いませんが、普通のものよりも強いです。香りも強く、普通のラベンダーよりもさっぱりとした芳香が特徴ですね」


 そんな説明から、タリエはこんな話をしてくれた。何やら前公爵夫人のフィルラはスズランをこよなく愛しているらしい。なので、彼女の為にとこの庭の春はスズランが多く咲き乱れる。

 スズランは匂いが格別に良いようで、香水を作るようにと調香師を呼び寄せる事もあるのだとか。また同じ球根性の植物、ナルシスも好きなようで、綺麗に見えるようにと配列にも凝っているらしい。


 しかし求めている情報とは少し違う。近いものもあるが……。

できればもっと花に纏わる伝承的なものや、それぞれの生態的な特徴や効能などあればそういった話も聞きたい。

 しかし、どう伝えて良いものか。戸惑いつつノクティアが、言葉にするとタリエは頤に手を当てて首を捻る。


 暫しして、彼は何か思い立ったようで、ノクティアに向き合った。


「植物を根本的に知るのであれば、マリオラさんを訪ねると良いかもしれませんよ。侯爵家に卸す花の苗を育てている他、種などをいつも譲っていただきます。植物の声が聞こえる〝花の賢女〟なんて言われており、この辺りでは植物の事で右に出る者もいない程に膨大な知識を持っています」


 ──きっとノクティア様の求めるものにも答えてくれるかもしれませんよ。少し、耳が遠く、同じ事を何度も言いますが。なんて付け添えて、タリエは微笑む。


 ……花の賢女、マリオラ。植物の声が聞ける。声が聞けるというのが本当であれば、もしかしたら、自分と同じように特別な力を持っている可能性もある。

 ノクティアはタリエに彼女の住まいの地図を書いて貰った。




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