「あ~もう大丈夫だって! 心配し過ぎだって」
納屋での事件から三日が経過した。
ベッドに腰掛けたイングリッドは苦笑いを浮かべつつ、目の前のノクティアとソフィアにしっしと手を払う。
『ほらほら、あんたたちもやる事があるでしょうに』なんて彼女は呆れつつ言うが、それでもノクティアとソフィアは食い下がる事なく、イングリッドの両脇に座った。
「ほんとごめん、間違いなく私のせい……」
「犯人がまだ分からないままです。目星もついていません」
それぞれがそんな言葉を言うと、真ん中に座ったイングリッドは大袈裟な程のため息をつき、両手を広げるとノクティアとソフィアの肩を抱き寄せた。
「いいのよ。あんたたちを悪意から守るのが私の役目。あんたたちが傷つけば本末転倒さ。それにノクティア、あんたのお陰で傷は綺麗に塞がっているし、打撲痕だけだよ」
確かにイングリッドの言う通り、あの力を借りる事ができたお陰で彼女の傷は癒えている。しかし、そこにはまだ赤紫の痕が鮮明にあった。
だが、いくら〝守る役目〟とは言っても、ここまでとはあまりに酷い。
もし農具落ちた場所が首ならばどうなっていただろう。頭だったらどうなっていただろう。間違いなく、生死に関わるものだった。
ソルヴィが自分を思ってくれるばかりに彼女を侍女として迎え入れて、ジグルドまでを側近として迎え入れた。それも騎士として……。
きちんとした手順は踏んでいるし、現在は彼が領主だ。彼の行動にわざわざ口出しをする者だって居ないはず。いるならば、前侯爵か前侯爵夫人くらいだが、どちらもノクティアには関わりない人物で、よく分からない。
そう考えると、またこれも使用人の派閥によるもので、前当主派の使用人たちに可愛がられるイングリッドやソフィアが気に食わずの嫌がらせとも考えられるもので……。
しかしどうしてこうも悪意を振りまけるのか理解に苦しむものだった。
スキルやヴァルディに本来の姿に戻って貰い、屋敷の内部を探らせる事も考えたが、本人たちにあまり派手に動かない方が良いだろうとの事を言われた。
二羽の本来の姿は通常の人間には見えない。だが、万が一にも見えた者がいたら厄介だと言う。
『前にも言いましたが、私たちの本来の姿が見えるのはノクティアのような特別な存在。ですが、希に特別な力を持たなくても、見える者もいるのです。私たち、幽霊みたいなものですから』
『そうそう。ちらっと見える事はある。そんな目撃情報が何度もあれば、それはそれで気味が悪いって思われるだろ? 前に僕がノクティアとお嬢様を岬に運んだ時は移動していた。そんなの一瞬だろ? そのくらいじゃ見えねぇ。だけどそこらでゆっくり、うろちょろとしてれば見えるかもしれねぇんだわ~』
その答えに納得した。確かにあの時は一瞬だった。だからこそ〝見えない〟と言えたのだと納得する。
海岸沿いで首の無いフィヨルドの戦士の亡霊を見ただの、酒場の裏手で血まみれの娼婦の霊を見ただの、そういった話は多く巷に溢れているが、基本的に同じ場所に居て、大した距離を動き回っていない。それにこういった幽霊に纏わる話が生きた人間の中で沢山溢れている時点で、〝見える可能性〟があるのだ。
完全に手詰まりだ。ノクティアが困却すると、二羽はそれでも目を光らせておくと言ってくれた。
『だけどノクティア、貴女があまり気に病みすぎてしまうと、あの侍女は……』
昨晩のスキルの言葉を思い出した途端、額に衝撃が走る。
「あいたっ!」
何をするのだ。ノクティアは額を押さえて隣のイングリッドを睨み据えると、彼女は指を構えたまま、半眼になってノクティアを見つめていた。
「いつまでも、しけた面しない。起きた事は仕方ないだろう。私は、あんたが悪いだのあんたのせいだのちっとも思ってないさ。むしろこの程度で済んで、感謝しているよ」
──いい加減に分かれ馬鹿。なんて軽く笑いつつ肘で突かれたので、ノクティアは頷き、心を切り替える決意をした。
しかし、あれからずっと気になったのはあの力だった。
イングリッドの怪我以降も毎日のように庭に出ているが、光の粒子はそうそう見かけない。試しに草花に話しかけてみるが、特に反応は無いが、時折、耳をすませるとクスクスとした高い笑い声が届く。
植物に宿る精霊の類い〝自然霊〟と聞いているが……。
彼らは植物を育成させる力を持つ。つまり芽吹かせるほどに活性させる圧倒的な力だ。それを借りる事で、人間の傷ついた身体を癒やす力が働いているのだと思しい。
(洗脳、魅了、精霊の力を借りる事……それが魔女の力)
ノクティアはベンチに座って、ぼんやりと蔓薔薇のアーチを眺めながら黙考していた。
今更のように自分は魔女としての力をまるでよく分かっていないと思った。はぁ……と、ため息をついた矢先だった。
「ノッティひたなぼっこか?」
休憩だろうか。背後から響くソルヴィの声に振り返ると、彼は凝り固まった肩を回していた。そうして当たり前のようにノクティアの隣に腰掛ける。
「そんなとこ。ちょっと考え事をしていて……」
「イングリッドの事か?」
「それもあったけど、気にしすぎなんて怒られちゃったから切り替える事にしたの。ただ、自分の力の事がよく分からなくて」
そんな風に言うと、彼は頤に手を当てて眉を寄せる。
「それは魔女としてのか?」
「そう……スキルとヴァルディに教わればいいだけかもしれないけど、二羽にもよく分からない事が起きてるの。本来、私にできない事ができてるみたい。悪い変化じゃないって言ってるけど」
洗脳、魅了、精霊の力を借りる事。そもそも、魔女の持つ力というのもよく分からない。と、ノクティアが腕を上げて、伸びをすると、彼はぽつりとこんな言葉を呟いた。
「操る、惹きつけ・引き寄せ、借りる……」
「?」
「ノッティの言った魔女の言葉を簡単な言葉に言い換えるとそういう事だよなって」
「ん……どういう事?」
ノクティアが小首を傾げると、彼はやんわりと笑む。
「これまでを見る限り全部を使いこなしているだろ? 魅了はきっと無自覚だろう。人を眠らせる時に、惹きつけようだとかするだろうと思うし。あの祟りのような呪いもこの類いだろう。惹きつけ引き寄せるから願望を叶えて呪いとなる。あと最後は治癒の魔法みたいなあれ……」
「ソルヴィ詳しいね魔法使えるの?」
とても分かり易かった。ノクティアがきょとんとしてしまう。彼は目を丸くするが、たちまち豪快な笑い声を溢した。
「はは。騎士で魔法まで使えたら最高にかっこいいが、残念ながら使えない。ただ一つずつ、言葉を解していくと、そういう事だろうなって思っただけだ」
「でもさ、私ね。ソルヴィに力が使えなかったんだよね」
初めて出会った時の事もそうだ。だが、あの時は酷く心が揺れていた。しかし、今ならできそうな気もする。
「ねぇ。すぐに起こすから、少し眠らせてみてもいい?」なんて彼に聞くとあっさりと了承してくれた。
そうして彼の目を見つめるが、どんなに見つめて念じた所で、やはり眠りに落ちる気配が無いもので……。
「本当に何なの……」
お手上げと、ノクティアが首を振ると、彼は思案顔になる。
「ノッティ、一つだけ心当たりがあるんだが」
「何?」
「この世に〝加護〟というものが本当にあるのか知らんが、子どもの名前って、何か願いを込めるとか、加護を授かるようにって親が付けるだろ。俺たちの名と誕生日で相殺されているんじゃないか?」
名前と誕生日。
冬至周辺の生まれで夜を由来する名の自分、そして夏至周辺の生まれで太陽を由来する名……。
言わんとしている事を理解してノクティアはたちまち目を瞠る。
「充分にありえるかも」
今まで目に見えないものなんて、まず信じなかったが、死に戻って非現実的な存在になってから、これはありえるように思えた。
正反対の属性で精神作用のあるものを相殺する。だからこそ彼に力が通じないのだと……。
……夜の恵み。植物を育てるのは夜と聞いた事がある。
花は枯死しても、種を落として根雪の下で春を待つ。そうして再び、春が訪れれば命は芽吹く。名と生まれの加護によって、本来持たぬ才能が少しだけ持っているのかと。
全てが繋がった心地に納得し、ノクティアが何度も頷くとソルヴィは嬉しそうに微笑んだ。
「あとノッティ、おまえは俺に魅了は使えてる」
どういう事だ。相殺されているといったばかりなのに。ノクティアが小首を傾げると、彼は背を折り曲げて額に頬に口付けを落とした。いきなり何だ。ノクティアは真っ赤になって彼を見つめると、唇の端にもう一度口付けを落とす。
「出会った日から魅了されてるさ。一目惚れだろうな。ノッティは言葉も性格も本当に素直で愛おしいんだ」
──あと、そうやってすぐに真っ赤になるのも可愛い。なんて甘く囁かれるので、ノクティアは耳まで赤くなる。
「そ、そういうの恥ずかしい。誰かに聞かれてたら……」
そんな言葉をノクティアが言った途端。スキルとヴァルディとも違う甲高い囁きが幾つも響く。
〝見ちゃった~あら、薔薇みたいな頬。可愛い〟
まさかこのタイミングで話しかけてくると思わなかった。
「居るなら、話しかけた時に返事して……」
ノクティア顔を覆って一頻り悶えるのであった。
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それからソルヴィは少し興味深い話を教えてくれた。植物の精霊と繋がるには植物に詳しくなるのが良さそうだろうと。
「この家の庭師を紹介しよう、古くからここに遣えているらしく、エイリクとも仲が良いらしい」
名はタリエ。なかなかに気が良い男だと言う。
「きっとノクティアに悪い風にしないだろう。ここの苗を取り寄せてくれたのはタリエだしな。納屋で起きたイングリッドの怪我も心配していたくらいだ」
ノクティアはその提案を嬉々として頷いた。