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33 彼が見抜いたその強み

 夏至祭に参加してからというものの、ノクティアは侍女たちとともに麓街に降りるようになった。

 読み書きは、ほぼ完璧。勉学に費やす時間が減った事もあるが、これはソルヴィが与えた課題でもあり、ノクティアの妻としての仕事だった。


 そもそも貴族の妻の仕事は、周囲の貴族との関係を良好にする為に手紙でやりとりをする社交や、教会で行うバザーに出品する刺繍や布製品をチクチクと拵えるらしい。

 しかし攫われるように連れて来られた庶子だ。

エリセの言ったように〝お飾り妻〟に違いなく、ノクティアにはこれといった役目や仕事が無かった。


 この仕事を与えられた理由は、夏至祭後、ソルヴィが麓街に下りた時に会う婦人たちが悉く「ノクティアに会いたい」と言っていた事だった。


「あの時、婦人方に囲われているとは思ったが、ノッティいったいどんな話していたんだ?」


 困惑気味にソルヴィに聞かれたが、覚えている事はただ世間話に付き合っただけ。

 ただ話を聞いて、共感できる事や理解できる事が多かったから、それに頷いていただけだった。

 その他は、この地方のちょっとした話や名産の事。夫人たちはここぞとばかりに面白い話を聞かせてくれたので、興味深く聞いていた。たとえばフィヨルドの岩場に住むトロールの話だとか、夏至の夜の伝承だとか……。


 その旨を言うと、ソルヴィはたちまち目を瞠った。


「それだ! ノッティ……少し仕事を頼まれてくれるか。これはきっとノッティだからこそできる事だ」


 そうして彼に言われたのが、できる限り麓街で人に関わる事だった。そんな事に何の意味があるのか……と、ノクティアは困惑した。


「ノッティは過酷な生活をしていたからこそ、庶民の言葉に共感できるのだろう。そして身の上も庶子と知れている。庶民でも半端に身分が高い家柄や金持ちからは反感を買うかも知れないが、本当の庶民こそ近寄りやすいんだ。ノッティの素直さに惹きつけられているのかもしれない」


 だからこそ、間近で領民の話を聞ける。真実の言葉を聞き出せる。よって、ソルヴィにもそれが伝わる。全てが良い循環へと繋がっていくと彼の説明にノクティアは納得した。


 つまりは彼と領民の間を取り持ち、多くの声を聞き出すという事で……。


「私に務まるかは分からないけど」

「ノッティなら大丈夫だと思う。あとソフィアとイングリッドもだ。多分、あの年代の婦人方には、おまえたち全員を〝娘属性〟で見ているんだろうな」


 娘属性。その言葉に、その場に居合わせた侍女たちは顔を合わせて小首を傾げる。


 ……ソルヴィが言うには、庶民の娘は早ければ十六歳程からと、比較的結婚は早い。下手をすれば貴族より早い場合があるらしい。

また、ソフィアのように働きに出ている者もいるので、家にずっといる訳ではないので奥方たちは寂しいのだろうと。

 それに、女児に恵まれなかった母親というのは、やはりその年頃の娘を可愛く思うのだと……。たとえそれが自分の娘でなくとも。


「俺の母親もそうだ。俺の家は俺と兄だけ。一人くらい女の子が欲しかったとは散々言っていた。〝暇ができたら嫁さんを連れて帰省してくれ〟って何度も手紙を寄越すくらいでな……」


 やれやれといった調子で彼は言う。しかし、それを言う彼はどことなく嬉しそうであった。


「……そうなんだ?」


首を傾げるノクティアにソルヴィはほんのりと微笑んで頷いた。


「それとな、イングリッドが入って守りが強くなったとはいえ、現状屋敷の中でノッティの立場が弱いままで俺は申し訳なく思っているんだ」


 ソルヴィの琥珀色の瞳に憂いの色が射す。しかし、こればかりはどうにもならないとノクティアはもう分かっている。自分は、前領主の過ちの象徴に違わない。


「そんなの気にしなくても……」

「いいや。だが、領民の信頼を得る事で外堀は少なからず埋まる。いつかはエリセ様に何も言わせないようにできるかもしれない。悪意に晒されなくなるかもしれない」


 少し前、エリセが茶を誘われた事が過った。あの時、彼はノクティアを選んで守ってくれた。

 彼が、そこまで考えてくれていたとは思わなかった。しかし、これが回り回って彼の為に領地の為になるならば……ノクティアはこの件を了承した。


 そうして、週に二日、三日ほどノクティア麓に降りている。

 初めは何をしたら良いか分からなかったが、教会の植え込みの手入れをしていた司祭に話しかけた所から始まり、教会の掃除の手伝いや聖歌隊から歌を教わるなど、できるだけ人と接触し、領民たちの話す試みを図った。


 司祭はこの麓街の町長でもある。彼は、ノクティアに街で商いをしている人たちも紹介してくれた。夏至祭で会った婦人たちもその中に数名いて、再会を喜んでくれた。


 その中で、ノクティアの父の話を聞く事もあった。


 私腹を肥やし、貧しい者は見て見ぬ振り。何一つ責任能力も無い……きっと、どうしようもない父なのだろうとノクティアはずっと思い込んでいた。

 しかし領民の言う、ノクティアの父──イングルフ・エリクソン・ヘイズヴィークは心優しい良い領主だったという。


 大雨で橋が壊れた時はすぐに直す手配をしてくれた。子どもが行方不明になった時には屋敷の使用人を引き連れて、自ら捜索に協力してくれた事。夏至祭や冬至祭などの行事にはいつも必ず顔を出して、領民を思ってくれたなど。

 病に伏せてから見かける事がめっきり無くなり、とても残念だと言う人も居た。それほどまでに愛されていた事があまりに意外だった。


(ママを追い出したのに……お金を与えて私たちを見捨てたのに)


 想像とかけ離れた人物に、ノクティアは複雑な気持ちが交差した。


---


 そうして、この日。侍女たちと三人で麓の街から辻馬車で帰って来た時だった。

 玄関のアプローチにはまた違う辻馬車が留まっていた。

 父親を見に来る医者の馬車とは違う。不思議に思って、ノクティアたちが止まると、何やら聞き覚えがある声で揉めている声が聞こえた。


「お客さん困りますよ、銅貨三枚分足りません」

「はぁ?! まじかよ、うっわー!」


 この豪快で喧しい声は。もうその声が誰か分かったのだろう。イングリッドはすぐに駆け出した。

 その後に続きノクティアも走り出す。ソフィアは何が何だかといった様子だが釣られるように小走りになった。


「おいおいおい~お貴族様の屋敷の前で大騒ぎする馬鹿がいるか!」


 イングリッドの呆れた声に馬車の前で御者と悶着していた長身の男が振り向いた。


「うわ、誰……って姉貴!」


 振り返ったジグルドは素っ頓興な声をあげる。

 何だよその恰好。いや結構似合っているが。と、お仕着せ姿のイングリッドを見てジグルドは目を細めつつも嬉しそうに笑んでいる。


 しかし、そんな彼の身なりも随分と変わっていた。

 マントのついた夜空のような紺色の衣類に銀刺繍。腕章には翼を広げた大鷹が煌めいていた。

 こんな装束、王都で何度か見た事がある……。


「あの、騎士様の身内の方ですか? どうやら手持ちのお金が足りなかったみたいで……」


 御者がイングリッドに言うので、ノクティアは急ぎハンドバッグから巾着袋を取り出し中に入った銅貨を三枚出す。


「ねぇ、おじさんこれで足りる? 銅貨三枚だっけ?」


 ノクティアが訊くと、御者はにこやかに頷き、丁寧に銅貨を受け取った。

 御者は御者台に乗ると帽子をあげて礼をする。間もなく、馬車は小気味良い音を鳴らして去っていった。


「ノクティアありがとな……」


 後ろ髪を掻いて、気まずそうにジグルドは言う。しかし、本当にこの変化ぶりに驚いてしまった。

 サイドを刈り込んだ髪だったはずだが、今は上品に短く切り揃えられていた。腕や手に入ったタトゥーは上品な服で隠れていて……。

 それも腰には立派な剣まで携えている。どこからどう見ても騎士そのもので……。


「あんた誰」


 自分の知っているジグルドではない。思わず言ってしまうと、「ひでぇ!」と彼は目頭を押さえた。

 しかし、どういう事だ。理解が追い付かないが、薄々と初冬のあの日を思い出す。


「ソルヴィ……本気で、ジグルドを騎士にしちゃったん、だ……」

「あの日の翌日の明け方。即刻、騎士団にぶち込まれたンだよ」


後ろ髪を掻きながら、目を細めジグルドが言う。

 その言葉にノクティアは目をしばたたく。自分とソルヴィが王都に滞在した日。宿に一泊したが、ノクティアが寝ている間にそんな事が起きていたとは。


「イングリッドは知っていたの?」

「うん。まぁさ。あんたの旦那は悪いようにしないのは分かったし、首根っこ掴まれたジグルドが引き摺られて行くのを見送ったよ」

 ……で、柄の悪い私の弟は本当にどこに行ったんだ。と、イングリッドは半眼になる。傍らに立つソフィアはイングリッドとジグルドを交互に眺めていた。


「見た事も無いが、ヒグマに追い掛けられるって、あんなだろうな。しつけぇし、怖えし、強ええし。しつけぇ。そんで雪解け頃に毎週のように来て鍛錬鍛錬鍛錬……」


 ジグルドの答えから雪解けの春から合致する。

あの時期、ソルヴィが頻繁に外出した理由はそうだったのか。

 そうしてやりとりをしていれば、玄関からソルヴィがやってきた。その風格はやはりヒグマのごとし。ジグルドは途端にピシリと背筋を正した。


  ※


 玄関前の賑やかさにその男は椅子から立ち上がって窓辺に歩み寄る。

 エイリクは慌てて枯れ枝のように細い彼の背を支えた。


「あの子は今日も元気そうだな……笑うようになったのか、よかった」


 薄紫の瞳の先には白金髪の少女の姿がある。

 この娘がこの屋敷に来てからというものの、何度か姿を遠目から見たが、今日はいつもより少し近くで見られた事に、彼は口元を綻ばせた。


「ああ……あの子に……本当にリルフィアにそっくりだ」

 男はヒースの花に似た薄紫の瞳を優しく細めて、遠くのノクティアを愛おしげに眺めた。

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