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30 それはただの羨望と嫉妬

 ──四月。雪が完全に解けて野に緑が芽吹くこの季節。ルーンヴァルトの社交界シーズンが始まる。

 エリセは四月に入ってからというものの忙しかった。先々週は都市部の方の侯爵家主催。先週は公爵家主催。そして今週が王宮主催……と、夜会三昧である。


 エリセはクローゼットの前で腕を組み、今週末はどんなドレスで行くか悩んだ。

 夜会は自身を売り込むに最高の機会だ。


 しかし毎回同じドレスでは目立たない。

 出費はなかなかに嵩んでいるようだが、それでも母は文句の一つも言わずに新しいドレスを作る事を許諾してくれた。


 その金の出所は父だろう。

 どの道、父の余命はあまり長くない。この冬だって越せないかもしれないなんて言われていたのに、越せてしまった。だが相変わらず部屋で寝たきりだ。


『死者の世界……冥府にはお金なんて持っていけないでしょうからね。きっと貴女がドレスや装飾品を拵えて着飾ってくれた方があの人も喜ぶと思うわ。庶子のあの娘に与えるより、私の娘のエリセに与える方がもっと嬉しいに決まっているわ』


 母に言われた言葉を思い出したエリセは少しご機嫌になり、鼻歌を歌いながら仕立て屋が置いていった複数点のドレス図案を眺めた。


 深い緑の生地を基調として、クリーム色のフリルを組み合わせたもの。これは金糸で刺繍がたっぷりと。ビジューもふんだんに散らして淑やかの中にも華やかさがある。

 それから、紫色の生地を基調としてラベンダー色や黒のシフォンを幾重にも重ねたドレス。これは少しだけ背伸びをした色っぽい魅惑が詰まっている。それに、薔薇の刺繍と装飾をふんだんにあしらった深紅のドレス……。


 エリセはそれら図案を見てため息を溢す。

どれも素晴らしい。うっとりする程に華美なものだった。


(確かに私は髪色も目の色も何もかもお母様譲りで普通。事実あの貧困街のネズミに比べたら……)


 エリセはノクティアの姿を思い出した途端に腹が立った。


 ルーンヴァルト人らしい白金髪。それも癖がなくサラサラとしている。父と同じ神秘的な薄紫の瞳。あの瞳だったら良かったのに。あんな髪色だったら良かったのに。その全てをあの小汚く生きてきたネズミは持っているのだ。


「神様ってなんて不平等なのかしら」


 エリセは、独りごちて親指の爪を噛む。


 勿論自分の容姿には充分に自信はある。緩く波打つ栗毛も若苗色の瞳も全部母譲りなので嫌いではない。しかし、〝ありきたり〟で地味なのだ。


 そもそも、白金髪・碧眼が古くからルーンヴァルト人らしい特徴とはされるが、実際そこまで多くない。どちらかというと栗毛や灰金髪、亜麻色の髪が多い。瞳の色に関しては、青と緑と灰色が多く、榛色や琥珀色というのも希少だ。


 そう。父や小汚い義姉のようなヒースを思わせる薄紫の瞳は極稀だった。


 だからこそ、目の前に現れたあの日は唖然とした。

 あの女は自分の欲しかった全てを持っていたから。自分の方が年下な筈なのに、あの女にはどこかまだ幼く愛らしい可憐さがあったから。

 義姉ノクティアの姿が脳裏に浮かんだ瞬間に余計に腹が立ってきた。エリセは半眼になって、ため息をつく。


 しかし、もう四月。義姉がこの家に居座るようになって半年以上も経つのか……と、エリセは舌打ちをした。


 腹違いの義姉ノクティアと会う事はほとんど無かった。

 否、会う必要もない。新しく領主を継いだソルヴィが伴っている時に見かけるだけだ。エリセはソルヴィに挨拶するがノクティアの事は存在そのものを無視した。否、ノクティアもエリセを一瞥もしない。姉妹仲は猛吹雪が吹き荒れる如く冷え切っていた。


 エリセは義姉ノクティアが何から何まで心底気に食わなかった。

 極めつけは、結婚相手のソルヴィが思った以上に顔立ちが良く紳士的だったから。それもノクティアとなかなかに仲睦まじいらしい事も気に入らなかった。


 ノクティアが癇癪を起こして出て行き、ヒグマに襲われそうになった時に戦い、守り抜いたそうで、勲章とばかりに傷が残ったそうだ。

 それから、あの女の仲間を侍女に迎え入れるなど、端から見ても大切にしている事が嫌でも分かる。


「相応しくない相手同士をくっつけて。恋や愛と錯覚させる。本当に神様は不平等で意地悪だわ……」

 やれやれと額に手を当てて。エリセは独り嘆いた。


  ※


 四月半ば。春になってからというものの、玄関のアプローチの方から頻繁に馬車が出入りする音をよく聞くようになった。


 夕食前。スキルとヴァルディを連れたノクティアは中庭で草木の手入れをしていた。

薔薇の芽も芽吹くようになったものの、雪が解けて暫くしてから雑草が生えてきたのだ。この中庭はあまり庭師がほとんど面倒を見ていない。


 それもその筈。侯爵家の邸宅自体、広大なので、なかなか手がついていないようだった。重点的にするのは、正面。こんな裏も裏……秘された離れなど、あまり面倒を見ていないそうだ。


 しかし現在はソルヴィが領主なのに管理不足とは滑稽な話だろう。だが、前領主が存命な上、本妻とその娘も住んでいるので彼らは本邸にいる。

 やはり貴族独特の家柄・身分といったものが付き纏っているように窺える。肩身が狭いだろうに本当によくやっているなとノクティアはソルヴィを今更のように感心したが、彼曰く『離れてる分、こっちの方が気楽』との事だった。


 しかし、粗雑な庭は侘しいものだ。

ノクティアは暇を見つけると、薔薇の根元の雑草をむしるなど手入れするようになった。

 伯母の日雇いの仕事に草むしりがあって、それに何度か着いていった事があった。なので未経験で無知という訳ではない。しかし花は育てた事がないのでよく分からない。


 何か種や苗など貰えたら、もう少し庭が華やぐようにも思うのだが。そうしたら、庭で過ごす時間も少し楽しいだろうなんてノクティアは考えた。だが、この辺りの事はエイリクかソルヴィを経由して、庭師から話を聞いた方が良いだろう。


 そんな事を思いつつ、ノクティアが立ち上がるや否や、玄関のアプローチの方で馬車を留める音が聞こえた。すぐに聞こえるのはキャンキャンとした声でかしましい。


「ちょっとぉ──荷物、早くしてちょうだい! パーティーの開始時間に遅れちゃうじゃないの!」


 高圧的に捲し立てるこの声に聞き覚えは勿論ある。エリセだ。不快に思ってノクティアは半眼になって部屋の方に戻ろうとした。しかし──


「騒がしいですよエリセ! 淑女たるもの態度に気をつけなさいと何度も!」


 続けて聞こえた声にノクティアは立ち止まり、耳をそばだてる。 

 エリセの母、前侯爵夫人……フィルラだろう。怒られて、ざまぁみろ。内心でほくそ笑みつつ、ノクティアは興味本位で薔薇のアーチをくぐり抜けて庭木の陰からアプローチの方を見た。


 そこにはそっくりな親子がいた。エリセはなかなかに豪奢で奇抜な深紅のドレスに身を包んでおり、艶やかな栗毛も綺麗に結い上げている。


『血の色みたいなドレスですねぇ』

『ひょ~臓物みてぇ』


 スキルとヴァルディの物騒な表現に噴き出しそうになる。

ノクティアが二羽を睨むと『悪りぃ悪りぃ』なんてヴァルディは悪びれた様子もなく謝った。


 そんなエリセは侍女の手を借りて馬車に乗り込んだ。すると、フィルラはエリセに対し、念を押すように忠告する。


「いいですか。貴女はできるだけ早く、身分の高い素晴らしい殿方と巡り合わなくてはなりません。今年に入って夜会も二回目。不躾な失敗は許されませんよ。素敵な淑女を演じなさいエリセ」

「はいお母様……」


 忠告を受けたエリセはシュンとする。そんなしおらしい態度も取るのか。というのか、怒られる事もあるのかと、ほんの少しノクティアは意外に思った。


 しかし、貴族の女は結婚こそ仕事のようなものだ。見合い以外ならば、社交の場である夜会に全てがかかっていると言っても過言でないだろう。夜会は唯一の自由な恋愛ができる場所……そんな話をノクティアも聞いた事があった。

 そうして御者の男が御者台に乗り込むと、馬車はアプローチを回り、門を抜けて屋敷の外へ出て行った。

 その馬車の姿が見えなくなるまでフィルラはエリセを見守っていた。どんな表情をしているかは分からない。だが、案じているのだろうと分かる。


 ──もし、母が父と結婚していたら。自分が屋敷育ちのお嬢様ならば、ああやって母に怒られて見送られる事があったのだろうか。

 ありえもしない気持ち悪い想像をしてしまった。ノクティアは変な想像を振り落とすように首を振り、踵を返した。


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