目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

28 愛せないその理由

 侍女たちに死に戻りの魔女と明かした二日後──ソルヴィは沢山のお土産を買って帰って来た。

 王都で流行らしい貝の形を象った黄金色の焼き菓子に、ころんとした砂糖菓子。キラキラとした銀の包みに覆われたチョコレートと、お茶を数種類。

 そして琥珀のイヤリングと、真っ白な生地にライラックのリボンの付いたふんわりとした夏用のワンピース。

 そしてまた、おもちゃまで……。


 今度は木製のアヒルが三匹繋がっており、糸で引っ張って歩かせて散歩ができるという。しかし、自分は一八歳の成人だが。ノクティアは訝しげに思いつつも、見た目が可愛らしいので、これも少しだけ気に入ってしまった。


 しかし、なぜこんなものを買ってくるのか。

謎に思っていた事だが、ふとイングリッドの言った言葉が頭に過った。


 ──不妊のノクティアを諦めて社交界に出向いて、新しい妻を探しているだの変な噂がある。

 その言葉を思い出し、ノクティアは眉を寄せた。


「ソルヴィ。これって全部私にくれるの?」


 就寝前。ソファに座って、アヒルのおもちゃを撫でながら訊くと、隣に座した彼は頷き、少し神妙な顔をする。


「そうだが。全部ノッティへのお土産と言っただろう? 菓子とかお茶はソフィアとイングリッドと三人で楽しんで欲しくて買って来たが」


 どうした? と彼はノクティアが訊く。


「このおもちゃも? 私もう十九歳だけど……」

「た、確かにそうだよな、年齢は……すまなかった。ただ、前の小さな木工玩具も気に入ってくれたみたいだから選んできただけだ。それに……いつか」


 そこまで言って、ソルヴィは口を噤んだ。

 いつか。何がいつかなんだ。しかしノクティアはもう彼が何を言わんとしたか想像できてしまった。

 このおもちゃはいつか授かる子どものために。そうとしか考えられなかった。


 気楽にやっていけばいい。この結婚を彼はそう語っていたが、そこに子を成す事まで含まれていたのか。

 自分は誰も愛する気がない。特別にはなりたくない。惨めになりたくない。そう願っている筈なのに、そうでなければいけない筈なのに。どうしてだろう。どうしてだか、他の人とソルヴィがこうして一緒に生活をして、愛称で呼ばれる事を腹立たしく思えてしまった。


 使用人の噂がもし本当ならば……。


「どうしたノッティ?」


 ノクティアの表情の変化を悟ったのだろう。ソルヴィは心配そうな面で覗き込む。


「ソルヴィは王都で社交界とか行ったの?」


 その質問に傍らで大量の土産を片付けていたイングリッドとソフィアはぎょっとした顔でノクティアを見る。


「おい、ノクティア」


 イングリッドは慌てて口を挟むが、イングリッドの袖を掴んで、ソフィアはすぐに首を振る。

 ソルヴィはそんな侍女たちを見て小首を傾げた。


「既婚の俺が妻のノッティを連れないで、そんな場所に行く訳ないだろ。というか、俺がそういう華やかで賑やかな場が苦手な事は想像できるだろう?」

 ──どうして、そんな質問をするんだ? と、ソルヴィは訝しげな顔をした。


 どう答えよう。ノクティアは膝の上でナイトドレスの生地をきゅっと握りしめた。


「……変な噂が流れてるみたい。結婚して半年も経つのに私は妊娠してない。私が不妊だからソルヴィが次の奥さんを探してるんじゃないかって」


「いや。探してないが……なんだそれは。フィルラ様派の使用人どもの噂か?」


 ソルヴィが侍女二人に訊くと、イングリッドは目を手に当てて頷く。ソフィアもおどおどといった調子で肯定した。


「ノクティア。バカ素直に旦那本人にそれを聞いてくれるなよ……言っただろ、旦那に限ってそれはないだろうって」


 気の抜けた声でイングリッドは言う。ソルヴィはやれやれといった面でこめかみを揉んでいた。


「それだけノッティが俺を考えてくれたと思うと素直に嬉しい。だが、噂のような事は一切無い。用事があるのは、もっとむさ苦しい場所だ。王都にある騎士団の拠点に行っていただけだ。昔なじみに用事があって顔を出している」


 彼はそう言い切ると、膝で拳を握るノクティアの手をひったくるように握った。


「俺にはノッティがいる。今更俺は誰を妻にするんだよ」


 そう言って、ソルヴィは小さく息をつく。

 しかし、その言葉一つで確信した。

 ノクティアは怖々と唇を開き、ソルヴィを見上げた。


「ソルヴィは子どもが欲しいの? おもちゃは子ども向けでしょ。それ買ってきて、私に渡すって。私に産んで欲しいって思ってるの?」


 その言葉にソルヴィは固まった。侍女二人も同様で、唖然とした面を浮かべている。

 静かな沈黙が流れた。暫しして、ソルヴィは小さく息を吐く。


「……欲しいとは思うさ。前も言ったが、いずれそうなれたらとは思う」


「でも私は……」


 複雑な気持ちが交差した。それがここへ連れて来られた理由だと、頭では分かってはいる。別に彼の事は拒絶するほど嫌ではない。けれど……。


 脳裏に母と伯母が交互に過った。


 ──子を持った。それ故に貧しい境遇に追いやられた。裏切られ、惨めな思いをした。私もきっとああなってしまうのだろうと。

 愛は惨めにさせるもの、恐ろしいもの。まるで呪いのようなもので、受け入れてしまえば、その思いを抱けば、いつか壊れる日が来る。畏怖に自然と肩が震えた。


 ソルヴィはそんなノクティアの肩を抱き、髪を撫でる。


「……大丈夫だ、分かってるさ。俺にもそれが〝今〟ではないとは分かってる。だが、聞きたい、どうしてノッティは誰も愛せないんだ?」


「……惨めになるから」


「それは前も言っていたな」


 どういう事だと彼は穏やかに訊く。ノクティアは戸惑いつつも唇を開いた。


「ママも伯母さんも裏切られた。子どもなんて作ったから捨てられた。私は同じ血が流れている、流れてるから……きっと私だって同じ」


 ノクティアが震えて、言葉にした途端だった。


「──ッ! ノッティは俺がそんな事をすると思うのか! どうして俺がこんなにも大切に思っている事が分からないんだ!」


 今までに聞いた事も無い悲痛な声だった。見た事も無い程に切迫した表情だった。


「……どうして分からないんだよ」


 弱く呟いた彼の琥珀の瞳は僅かに揺れていた。かと思うと、その顔は近付き強引に噛みつくように唇を塞がれ、体勢を変えてソファの上に押し倒される。


 カラン。と、ノクティアの持っていたアヒルのおもちゃは音を立てて床に転がった。


 唇への口付けは、結婚式以来初めてだった。

 しかしどうして。なぜにこんな事をするのか。それも侍女たちの前でだ。ノクティアは必死に藻掻き、彼の分厚い胸板を押すがびくとも動かない。それどころか、噛みつくように唇を食まれた。


 乱暴な口付けからの解放は思ったよりも早かった。彼は緩やかに唇を離すと、部屋の傍らで立ち尽くした侍女たちに目をやった。


「……下がってくれ。妻と二人にさせてくれ」


 今までに聞いた事も無い、示唆に慣れた厳かな口調だった。ソルヴィの言葉に、ソフィアとイングリッドは即座に退出した。


 そうして、ソルヴィは再び組み敷いたノクティアから離れると、膝の裏に手を入れて、当たり前のようにベッドに運ぶ。


「証明してやろうか? おまえが妊娠して子を産んだとしても、俺は離れず裏切らないと……」


 脚の間を割ってシーツの上に組み敷かれて、完全に逃げ場なんて無い。そんなノクティアを見下ろして、ソルヴィは優しく笑む。

 彼の表情にノクティアはゾッとした。これもまた見た事も無い顔。琥珀の瞳は飢えた獣の如く──色濃い情欲を持つ男の顔だった。


「そんな顔するな。理性が飛びそうだ」


 先程の口付けで息が上がり、ノクティアの薄紫の瞳は潤い、目の縁が赤く染まっていた。

 間髪入れず与えられる口付けは甘く啄むようなものだった。しかし噛みつくような深いものになるには時間も掛からない。


 それなのに、髪を愛でる手つきはいつも通りに優しい。

 梳くように撫でられ、その手は耳から首筋にデコルテを下り、やがてナイトドレスのボタンに手がかかる。ひとつひとつ外され、ノクティアの白い喉と鎖骨が露わになった。

 やがて唇を割って生暖かな塊が滑り込む。それが彼に舌だとは分かるが、いよいよどこで呼吸をしたら良いか分からない。まるで溺れるような感覚だった。


 堪らずノクティアは彼の胸板を押すが、やはりびくとも動かない。体格差がありすぎる。こうも大きくて無骨な彼に組み敷かれて叶わないのは初めから分かっている。


 これからされる行為は分かっている。けれど極めて最低限の知識しか無い。

 ただならぬ畏怖にノクティアはたちまち震え上り、唇の隙間で嗚咽を溢し始めた。その途端にソルヴィは唇を離す。


「いや……やだぁ」


 怖い。嫌だと、ノクティアは頬を上気させ幼子のようにはらはらと大粒の涙を溢す。対するソルヴィは、ひどく沈痛な表情を浮かべていた。


「……悪かった」


 彼はそう詫びて、すぐに身を退けた。

 その後、ノクティアは仰向けのまま顔を手で覆って、一頻り泣き続けた。


  ※


 泣き濡れたノクティアはそのまま、自分のベッドで眠りに落ちてしまった。

 やはり泣き顔も寝顔も幼い。

 途端に彼女の先程の言葉が蘇る。


 ──怖い。そう言って、縋るように母親の存在を小さく呟くのが聞こえた。


 貧困街育ち故に、汚い罵り言葉を知っている癖に、教養が乏しすぎたせいか、彼女は選ぶ言葉が時折どこか拙い部分ので、その罪悪感は余計に重かった。

 ソルヴィはベッドの縁にかけて大きなため息をつく。


 しかし、愛せない理由がそんな理由だったとは……。


 ソルヴィ自身、ノクティアの生い立ちは一応聞いているが、そこまで彼女の認識を歪めて、傷付けていたとは思いもしなかった。


「俺はノッティを、もっと幸せにしてあげないといけないな……」


 その言葉を聞いていたのは、部屋の隅でヒラヒラと飛んでいた青白い二匹の蝶だけだった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?