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25 不機嫌な夫人

 その日、ソルヴィは前侯爵夫人フィルラに呼び出しされていた。

 応接間に座す彼女は既に不機嫌そうな空気を出しており、入室するなりソルヴィに冷たい視線を向ける。


「フィルラ様、おはようございます」

「おはようございます。さぁソルヴィさん、座って下さいね」


 明らかに不機嫌そうではあるが、丁寧な言葉使いは崩さない。

 ソルヴィはそんなフィルラの対面のソファに座した。その傍らで、フィルラの侍女──スキュルダが二人分のお茶を手際よく用意する。


「ソルヴィさん。なぜ呼び出されたか分かりますわよね?」


 湯気立つティーカップを摘まみつつ、彼女は淡々と訊く。ソルヴィは小首を傾げ何も応えなかった。否……だいたい見当はついているが。

 すると彼女は大袈裟なため息をつき、ソルヴィに向きあった。


「ソルヴィさんが雇った使用人の事ですよ」


 きっぱりと言われて、案の定。とソルヴィは心の中で呟いた。


「あの赤髪の娘は王都の貧困街出身者だそうですね。ルーンヴァルトの汚点とも言える街にいた……」

「フィルラ様、お言葉ですがそれを言ってしまうと、ノクティアはどうなるのです。あの子の話によれば、幼い時に母を喪い、伯母と食い違いがあって貧困街で仲間と生活していたとの事ですが」


 ──貴女の愛娘、エリセ様が私との婚姻を嫌がった。そもそも、貴女自身も私の家の爵位を理由にエリセ様との結婚を嫌がっていた。

 その旨を丁寧に伝えると、彼女はため息をつき、眉間を揉む。


「確かにそうですわ。ですがね……あんなにタトゥーだらけの使用人なんて、他の使用人たちが怯えているのですよ。素行も言葉使いも悪いようで」

「それはこれからエイリクを筆頭にしたイングルフ様派の使用人たちが育てていきます。私もそれを手助けします。ノクティアも同じです。彼女らは学ぶ機会が無かっただけですから」


 その言葉にフィルラは片眉をヒクつかせながら、お茶を飲む。

白い額には青筋が浮かんでいた。相当立腹だろう。ソルヴィは臆す事も無く続けた。


「フィルラ様は使用人から聞いていませんでしたか?」


「何がでしょう?」


「ノクティアがこの領地に来て早々に逃亡した際、私は彼女を保護しましたが、全身に鞭打ちの痕がありました。彼女は使用人たちに対して、ひどい怯え方をしていました。先日家庭教師の件もそうです。ノクティアの侍女が乱暴されそうされるなど、この屋敷であまりに彼女の立場はあまりに弱すぎます」


 その旨を伝えると、フィルラはぽってりとした唇をカップから離して、小さな吐息をつく。

 その時だった。叩扉が響き、エイリクがフィルラに来客を知らせに来た。お得意の宝石商との事。フィルラは頷き、「手短に終わらせましょう」とソルヴィに再び向きあった。


「……庶子で貧困街育ちというのは確かに憐れに思いますよ。ですが、鞭打ちに関しては使用人がやったという証拠もありません。家庭教師についての話は私も詳しくは存じていませんが、教師を手配したのはエイリクでしょう?」


 フィルラはエイリクを一瞥する。

何の話か理解したのだろう。エイリクは申し訳無さそうな面をソルヴィに向けた。


「事実、この家の使用人たちには私派、夫派の派閥があるでしょう。ですが、そんなものはどこの貴族の屋敷でもある事でしょう? ソルヴィさん、貴方の言い方では、私派の使用人がノクティアさんを虐げているとでも言いたげに聞こえますよ」


 甘ったるく毒々しい言い方だった。ソルヴィは膝の上で拳を握る。


「そういうつもりはございません。私は別に、フィルラ様と争う気はありません」

「そうですか? ならば良かったです。何だか、まるで私の事を悪人のように仕立てるのではないのかと思ってしまって」

 ──不安に思ってしまいました。と続けて付け添えた言葉はどこか弱々しい。


 しかし、どうにも演技くさい。

 夫人はいつもこうだ。刺々しい面を見せたかと思うと、しおらしい女のような態度を取る。どうにもこれが、ソルヴィには引っかかっていた。嘘だろう。そうは分かるが、自分の方が弱い立場だからこそ、気遣い寄り添う他なかった。


「ただ、派閥を抜きにしてもノクティアの生まれや育ちが理由して、悪意を向けられているのは事実です。私の妻です、妻にした以上は、幸せにしてあげたい。私の目が届かない時は守れるような予防線を張りたいだけです。だからこそイングリッドを迎え入れました」


 真摯にソルヴィが告げると、フィルラは複雑な面で頷いた。


「それに、イングリッドの燃えるような赤髪は、ルーンヴァルト人の色素ではない。明らかに異国人の混血です。海の向こうにある島国の王族貴族はあのような赤髪が非常に多い。それにあちらの国でも十年以上昔戦乱があった。身元が分からないにしても、ノクティアと同じような立場だってありえますでしょう」


 そう言い切って、ソルヴィは湯気が消えかけたカップを手に取り喉を潤した。


「そうですか。確証はない事ですけどね。では、私は客人を待たせる訳にもいかないので退出いたしますわね」


 フィルラは立ち、スキュルダを連れて颯爽と部屋を出て行った。

 足音が遠のいたのを見計らって、ソルヴィはエイリクと自然と顔を見合わせる。


「……ソルヴィ様はフィルラ様相手になかなかの雄弁ですな」

「そうでもない。内心では結構ビビリ散らかしている」

「〝ビョンダルのヒグマ〟とも囁かれる猛獣騎士ですのに」

 ──説得力が無い。なんて、エイリクはやんわりと笑んだ。


「まさか。そのヒグマだって実際は臆病な生き物だ」


 ソルヴィは負傷した肩を摩りつつ言うが、エイリクに聞きたい事をふと思い出した。


「そういえば、エイリク。使用人頭だからと、おまえにほぼ丸投げしてしまったが、イングリッドは実際に使用人としてはどうなんだ?」


 エイリクはニコリとどこか胡散臭そうな笑みを浮かべて、頷いた。


「明るくてとても良い娘ですよ。器用な上、体力もあります。ですが、ソルヴィ様の想像の斜め上をいく、じゃじゃ馬娘ですよ」


 胡散臭い笑みの意味は後半だろう。確かに、ノクティア同様に敬語をほぼ使えない。使用人頭のエイリクの事は〝おっさん〟呼び。それは知っていたが……。


「そうか。良い娘ならば何よりだ」

 ソルヴィがそう答えると、エイリクは尚更に胡散臭い笑みを浮かべた。


  ※


「──ッ、ぶぇっくしゅ!」


 その頃、ノクティアの隣で文字の書き取りをするイングリッドは盛大なくしゃみをした。

 あまりの大音量に、傍らで読み書きを教えていたソフィアは目を丸く開いて硬直する。片やノクティアは動じる事も無く書き取りを続けていた。


「あ、悪いねソフィア。驚かせた」


 イングリッドは鼻の下を擦り「多分、誰か私の噂をしてるな」なんて目を細める。


「使用人じゃないの? 私は関わり無いから知らないけど、イングリッドってどう考えても目立つもん」

「赤髪を持つ絶世の美女が新人としてやってきたって?」


 そんな風に戯けるが、確かに使用人姿のイングリッドは美女だった。


 タトゥーを隠すために、一人だけお仕着せが違う。派手に髪を編み込んで結い上げているものの、控えめな化粧を施していて綺麗だった。 

 しかし、彼女が目立つのは髪色だけではない。恐らく体格もだ。スラリと背が高く、胸が随分とふくよかなので、きっと若い男の使用人は釘付けになる。そうは思っていたが、案の定だった。


 つい先日、随分と不機嫌そうに部屋に戻って来たので話を聞けば、男の使用人たちに囲われて厭らしい事を言われたそう。そこで、その場に居合わせた男たち全員投げ飛ばしたらしい。


 盛大に暴れたせいでブラウスのボタンが飛び、複数人に首のタトゥーを見られたようだ。これによって、女使用人たちはイングリッドに完全に怯えてしまったそうである。

 あまりの強かさにノクティアは笑ってしまったが、直々の教育係となったエイリクがさすがに参った調子だったとソフィアが言っていた。しかし、それを語るソフィアはとても楽しそうだった。


 そう。ソフィアとイングリッドは、見るからに正反対な気質を持っていそうなのに、すぐに打ち解けていた。

 共通点は歳が同じ事。その上、誕生日が二日しか違わないだとか……。

 イングリッドが侍女になった事で、ノクティアはソフィアと話す機会が多くなった。教えられる限りならば……と、今は彼女が教師となって読み書きを教えてくれている。

 彼女の教え方は上手だった。その上、褒め上手で、イングリッドもその丁寧さに感心していた。


 ソルヴィが居ない昼間は三人で昼食を取り、一緒に過ごす時間が長い。自分が最も年下なせいか何かと気に掛けられるので、姉が二人できたような心地がした。心地が良い。主従だとしても、気兼ね無い関係で居られるのもありがたく思った。


 しかし、つい最近まで同じ生活をしていたのに今は主従といったのも変な心地もあり、罪悪は感じた。自分は何をする訳でもなく働いていない。

 その点をイングリッドに言えば、〝旦那の妻で居るこの結婚がノクティアの仕事だろ〟と笑って言われるのであった。

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